エートス非公開セミナー闖入記/パリ


コリン・コバヤシ

EchoEchanges«言霊の交換»より転載

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今日は3月11日、東北原発大震災の三周年である。パリは快晴で心地よい小春日和だ。

エッフェル塔、パリ日本文化会館のあるすぐ脇の、国際鉄道会館(予定されていた会場CAP15が急に変更になった。ここは過日、愛知万博の開催が決定された場所で、そのとき、万博に反対の環境派の人たちがデモった場所でもある) で非公開に開催されたIRSN(仏放射能防護・安全研究所)とCEPN (核防護評価研究センター:仏原子力ロビーによって作られたNPO)によって開催された非公開セミナーだが、コーヒー・ブレークの隙を見計らって、闖入した。54人ほどの参加者が入るちいさなホールで、皆学生のように、おとなしく聞いている。

しばらく多田順一郎センセ(放射線安全フォーラム)のお説を拝聴した後、ちょうど,ロシャール氏が立ち上がったところで、仲間のI女史が、 彼に向かって最後列から呼びかけた。

「ロシャールさん、ロシャールさんはあなたですか。あなたはチェルノブイリでエトスをやった。福島でもやろうとしている。放射能に防護も安全も存在しないのに、あたかもそれが出来るように吹聴している。あなたは犯罪的で、ここにいる人たちも共犯者だ」。会場は騒然となった。ロシャールせんせは近づいてきた。共同主催者であろう丹羽センセもブットンできた。丹羽先生はすごい剣幕で、<ここは非公開のセミナーだ、静かに聞いている分には許すが、会議を混乱させるなら、出て行ってくれ>と。

例の自称<市民運動>のアンドーさんも、かけ参じた。私の顔をみて、<コバヤシさんですね。よくもでたらめをたくさん書いてくれましたね>と。ハハァ、なるほど拙著を読んでいる!<アンドーさん、あなたもよく色々なさってますね。ところで、今回はどなたのお金で、こちらにいらしたんですか?>と私。<そんなこと、応えられません。返事する必要ありません>と言って、私を睨みつけている。まあ、盗人猛々しい風の人だ。こういう風の人だから、<福島イン・エートス>が出来るのだと、合点した。我々はしばらく留まることにして、多田せんせのご講演を拝聴した。なるほど、彼ら推進派の放射線防護の人たちは、除染すれば放射能は低くなり、飯舘村も除染したので、だいぶ低くなったと測定図を開陳する。

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そして、事故後、しばらく混乱が起こっているのは、反原発派の様々な異論や、いい加減な知識を持つ人々が、いい加減な情報を振りまき、世相を混乱させたからで、きちんとしたステークホルダーが必要だ、と結論。

相変わらずの独善的な結論で、原子力ロビーの専門家たちというのは、あたかも、自分で自分を納得、正当化しているような、他の考え方に対して理解してもらおうなどとは思わない。自分が一番正しくて、その価値観をきちんと普及させれば、すべてが解決すると言った風なのであった。

私は、他の用事があったため、会場を後にした。

アンドーさんは、ツイッターで、あちこちパリ見物をして、グルメ三昧の生活を書き送っているそうだ。震災の三周年で、皆被災者は悲しみを新たにしているというのに、バチあたりなことである。そもそもこのような、原子力を推進するために放射線管理を検討し合う推進派のセミナーを開催すること自体が、バチあたりなことである。

参加者の大半は、どうやらIRSNの研究者や専門職員のようだ。まったくあきれ果てた組織である。他に、CEPN, OECD, ASNの職員、そして、ロシャールせんせとシュネイデールせんせだ。彼らのなかに良心のかけらを持った人さえもいないのだろうか。

日本側の招待パネラー:
安東量子(エートス・イン・福島)
伴信彦(東京保健大学)
早野龍五(東京大学)
勝見五月(伊達市、前富成小学校校長)
黒田佑次郎(東大病院)
丹羽太貫(ICRP主委員会委員 京都大学名誉教授)
多田順一郎(放射線安全フォーラム)

ブレスト地方のストリン地区


ベラルーシ共和国のストリン地区の、医療の状態が概観できるレポートです。ここはフランスの原発関係企業の資本で「エートス」が実施された地域です。(オリジナル版編集=ベルラド研究所)

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ストリン地区は1940年1月15日に設立されました。ブレスト地方の南東にあって、ブレスト地方のいちばん南になります。ブレスト地方のピンスク地区とルニネト地区、ホメリ地区のジコヴィチ地区に接しています。ウクライナのロヴノ地方の3つの地区にも接しています。ウクライナとの国境には、2つの越境点があり、一つは鉄道(ガリン駅)、もう一つは道路上(ニズニ・テレブゾフ)です。

地区の領域は、ベラルーシ大湿地の中央を占めています。地域の首都がストリンです。地域の広さは3342km2で、人口は82500人です。地域の領域内に鉄道のバラノヴィチ←→サリニ(ウクライナ)線があり、高速道路のピンスク←→ツロフ線があります。駅は3つあります。ホリニ、ヴィディボリ、プリピヤチです。ストリン地区の土壌の質は、氷河堆積、水成氷河堆積、旧および新河川湖水堆積、沼泥堆積、風成堆積、( ローム土壌(セルダム)、均質粉状砂ローム、砂と木質化石)などが代表的なものです。

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ストリン地区の地学的特徴は、川や湖沼や溜池が密な網になっていることです。水の供給には困りません。領域内には大小17の河川があります。大きい方から、プリピヤチ川、ホリニ川、スチル川、ストゥイハ川、ルア川、モストゥア川などです。いちばん大きな大ザソミノイェ湖は地区の南部にあります。大オルリ(ドゥベネツコイェ)池とモロチュナ池は最近できた大きな貯水池です。

地区の南東部の特徴は、沼地の多さです。モロチノ沼、クラシュノウェ沼、ガロ沼の3つの沼があります。うしろの2つは科学者の目から見ると、人手の入っていないヨーロッパの森沼地帯としては最大規模のものです。1998年に、ここに94000ha規模の「オルマニスキイェ・ボロタ」国立景観保存区が、珍しい、消えつつある植物や鳥や獣の種を保護する目的で作られました。

ストリン地区は森林が豊富で、地区の35%を占める128300haは森林です。

行政区の上では、当地区は19のソヴィエトに分れています。ダヴィド・ホロドク都市ソヴィエト、レチスタ居住区ソヴィエト、そして17の田園ソヴィエトがあります。地区には、ストリン市、ダヴィド・ホロドク市、レチスタ産業区など98の居住区があります。2009年1月1日現在で、人口は82516人でした。大部分は田園地帯の住民で、56566人になります。64747人が、チェルノブイリ事故の結果として汚染された地域で暮しています。

放射能汚染された地帯には59の居住区があり、うち3つは都市型の居住区です。32840haの農地、44700haの森林が1Ci/km2を超えるセシウム137および(または)0,15Ci/km2を超えるストロンチウム90によって汚染されています。

ストリン地区は、チェルノブイリ原子力発電所の事故による汚染が、ブレスト地方でもっとも激しい4つの地区の一つです。現状で、98の居住区のうち、59が放射能汚染地域にあります。64000人を超える人々(地区の総人口の78%)がここに生活し、うち16300人は子どもや10代の人たちです。

放射性核種セシウム137と結び付けることのできる基礎的な線量は格別に大きいというのではなく、大概の場合、1から5Ci/km2程度です(定期的に測定している地帯の数値)。けれども、ベラルーシ大湿地の川の多い、湿地ないしは人手で排水してある大地は、土から植物へ、そして食品へという、セシウム137の移行の度合いが大きいのが特徴です。

人口の動き(単位:1000人)

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14歳以下の子どもの数の動き

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出生率の動き(人口1000人あたりの人数)

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死亡率の動き(人口1000人あたりの人数)

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人口の自然増加率の動き(単位:1000人)

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医療施設数

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田園部の病院数

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医師に予約した人の数(歯科を除く)

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手術を受けた人の数

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病気の子どもの人数の動き

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病気の成人の人数の動き

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成人の罹患率の動き(成人1000人あたり)

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癌による死亡者の割合(人口100000人あたりの人数)

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腫瘍系の疾患による死亡者の割合(人口100000人あたりの人数)

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ミンスク
ベルラド研究所
2013年

(放射能と)ともに生きる術を学びなさいって?


ロール・ヌアラ

リベラシオン紙2004年4月24日

今、ベラルーシで開始されようとしているのは、論争の的になっているプログラムである。汚染地域の生活条件再建のための協働プログラム(CORE)に参加している機関は様々だが、また、公的機関が大半だとも言える。国連開発プログラム(PNUD)の傍らに、ミュタディスというリスクのある活動を管理する専門会社も入っているが、また核の分野での防護評価研究センター(CEPN)、フランスとドイツの大使館、フランスの原子力安全保安院(IRSN)、等々を挙げておこう。資金は欧州委員会、PNUD、在ベラルーシのフランス大使館などから出ている。現地の住民に依拠した動きを一つにまとめようというのがCOREである。「住民たちを参加させるのが、一番の課題でした」と、ベラルーシ当局で大惨事の帰結の数々を管理しているセクションである、チェルノブイリ委員会のゾヤ・トロフィムチクも認めている。参加することによって、何がしか得るものがある、ということを理解させるのが一番ということだ。「再建ということはつまり、汚染と共存するということで、新しい生活様式を身に着けるということなのです」とミュタディスのジル・エリアル・デュブルイは説明する、「私たちはベラルーシの人たちにこう言うのです:あなた方に起ったことは、私たちにも起りうる、と」プログラムは4部門に分れている。放射能の状態、経済発展、大惨事に関する教育と記憶、そして保健である。

本当の課題をよけて通る

プログラムの推進者たちとしては、汚染の問題は、社会=経済的条件を考慮する形でしか取り扱わない。そこで、COREは農民たちが種や器具を買うことができるように、200ドルまでの金額の小規模貸付けというプロジェクトを擁護していく。「国境なき遺産」というフランスの団体が「教育と記憶」の部門を担当し、大惨事の体験を未来の世代に伝えていく。「ここ18年というもの、子どもたちは汚染された地域に出生しているのですから、彼らに放射線防護に関する情報を申し送りしていくのは、絶対に必要なことです」と、CEPN代表のジャック・ロシャールは説明する。「世界の医師団」とフランス原子力安全保安院(IRSN)はもっとも論争の的になっている保健の部門を担当する。医師団はチェルチェルスク地方の妊婦200〜300人の面倒を見る予定で、IRSNは子どもたち3000人を5年にわたって年に1度、医療診断と線量測定することになっている。

批判者たちの急先鋒は、ベラルーシの研究者たちと密接なドキュメンタリー映像作家のヴラディミル・チェルトコフだが、彼らに言わせれば、COREというプログラムは「本当の課題を常によけて通る」類のものである。課題とはすなわち、「生まれながらの汚染まみれの人生」から「救い出す」ということだ。チェルトコフによれば、プログラムが何も措いても取り組むべきなのは健康の分野であって、なかんずく、暮す人々を除染する道を探ることである。「未来の諸世代にとって、これは根本的なことです。低線量被曝の健康への効果をキチンと評価できるように試みていく必要があります」と小児科・心臓科医師のガリーナ・バンダジェフスカヤは考えている。COREの参加者たちは、ベラルーシの一部の研究者たちが進めている仕事を「疑うことをやめる」のではなく、むしろ、「人々が実害を減らしながら生活するのを助ける」方を選ぶ。特に、汚染された食品を避けることに重点が置かれている。

核のロビー

しかし、それでは不十分だ。「汚染した地帯に住む人々に対して、本当は避難させる必要があるのに、大丈夫です、暮していけます、と言うのですよ」とフランスの放射能測定独立機関CRI-IRAD代表のロマン・シャゼルは苛立ちを隠さない。様々な水準に汚染された村々に生活する、貧しいことの多い200万人の人々を移住させるのは、しかし簡単でない。「そのうえ、動きたくない人たちというのもいます。この人たちはこの自然に深く根を下していて、しかし自然は彼等を根こぎにしているわけです」と、ジャック・ロシャールは指摘する。

批判のもう一つの論点は、CEPNのCOREプログラムへの参加である。CEPNには、EDF(フランス電力)とアレヴァ社という、フランスの民間原子力の一番の擁護者を主力にした組織だ。CRII-RADのメンバーたちは語気を荒げる。「核のロビーの連中は、汚染した地域に人々を再居住させることによって、核事故は破局的なものではないことを示そうというわけなのですよ」とシャゼルは断言する。そしてチェルトコフは告発する:「ベラルーシの当局者たちは汚染された大地に人々を再居住させようとしていて、こうしたロビーの連中はその共犯です。こんなんことが見過ごせますか?」CEPNの代表はこれを全面的に否認する:「私は無関心でいる権利がないという意味合いで、現地のことに責任も感じているわけです。あの人たちは「汚染者=支払うべき者」という原則を振り翳して迫ってくるくせに、核事故に限っては、惨事に巻き込まれた人たちを産業界が助けてはいけないとでも?」

確かなことは、国土の1/4が放射能に汚染されてしまっこの国に援助が必要なことである。チェルノブイリ委員会のゾヤ・トロフィムチクはこう語る:「人々はあそこで暮し続け、結婚し、子どもを作り続けているのです。こには不幸があり、しかしまた、現実の暮らしがあります。日々の暮しです。ここでの問題が世界中の問題になってしまっているのは、私たちの責任ではありません。世界中で、私たちを援助する必要があるのです」

歪曲される情報


サシャ・ケイガン

ボルドー政治科学院での、核ロビーをめぐる学術研究集会での発表(2003年)より

政治的な決定をする人たちにとって、情報の欠如は、自身の選択の中にあるあらゆる変動因子を、実は把握できていないという、大問題になってくるわけで….

実際まさに、コリン・ルパージュによれば、大臣たちというのは、«厳しい監視下»にあるそうで、情報や、あるいは問題になる一件そのものが、下部のスタッフが報告する価値なしと判断すれば、官房や政策責任者には上ってこないわけです。
……………

国際的な場面ではどうでしょうか。

IAEA(国連安全保障理事会の支配下にある)とユラトム(欧州原子力共同体)とが、放射線防護の規準を定める機関なのですが、ところが、この2つの機関の基本的な仕事は世界中で核を開発していくことのわけです。

CEPN(核の分野での防護査定研究中枢:フランスの推進派npo)はベラルーシで、一般の人たちを援助するというエートス、エートス2、COREといった欧州のプラグラムの枠内にあって、チェルノブイリによる汚染の放射線学的な見積もりを、一手に任されている組織です。この組織が入り込んでいく過程で、ベラルーシで中心的な役割を果していた科学者たち(ネステレンコ教授など)は、自分たちで立ち上げた放射線測定センターや医学研究所などの管理権を奪われました。

ベラルーシの研究者たちの論文はフランスの専門家たちの手で蔭に追いやられました。中でも、、バンダジェフスキー教授の9年にわたる研究は、ベラルーシ南部の子どもたちの汚染の結果生じている病の状態にるいて、警告を発するものでした。IRSN(放射線防護原子力安全研究所:フランス)の研究とはまるであい入れませんが、バンダジェフスキーはセシウム137への被曝と、心臓疾患との間に、直線的な依存関係(グラフが直線になる比例関係)があるのを発見しました。放射性核種はCEA(フランスの原子力委員会)の理論モデルによって予測されるようには振る舞わないのです。そこでCEAはバンダジェフスキーの研究結果の受け入れを拒否しました。実際、フランスの公式の専門家たちは放射性核種の研究を1種類の核種だけに絞りました。半減期のたいへんに短い、沃素(そして甲状腺癌)だけにしたのです。こうしてご都合主義的に近視眼になることによって、ベラルーシ政府は広い地域に人々を再居住させることができました。フランスの保健当局は健康の問題に深入りしないで済んだわけです。«低線量の放射線は無害であるというドグマ»(バーゼル大学医学部のフェルネ名誉教授による)を疑問に付さなくてもよくなったのです。

事実を切り棄てるという、こうした嘘の手法は、WHOの反煙草キャンペーンを回避するために、煙草のロビーが長年にわたって取ってきたやり口を思いださせます。

CEAの主導する«チェルノブイリの交差点»プロジェクト : 目的=汚染した地域に再居住させる。 方法=どうやって放射線を避けるかを説明した教育キットを配布する。 問題=子どもたちの健康にとってはあまりにも汚染の強い地域(15〜40Sv/km2)にも同じものが配布されています。「これほど苛酷な環境に子どもたちを留めておくのは、まさに犯罪的です」と、問題を指摘したフェルネ教授は言っています。

ロビーの人たちの物言いをそのまま受け取るのはますます難しくなっています。ベラルーシでは1986年には1000人の子どもにつき150件の入院がありました。これが2000年には…1200件になっているのですから。核ロビーとは別のところからエートス・プログラムに加わった人たちの間からは、不協和音も出始めています。エートスで農業問題を担当しているパリ第7大学のアンリ・オラニョンは「仕事は進んでいるが、子どもたちはますます病気になっている」と語っています。

私の友達のジャックがねえ…


CRIIRAD機関誌25/26合併号に載った、メンバー2人(R・シャゼル、M・マザル)によるベラルーシ訪問(2003年4月)記から

私たちの最初に歩を踏み入れたのはストリン地区である。フランスの核ロビーが始めたエートス・プログラムは、この地区で進められている。地域はまったく孤立していて、ブラリとやってこれるような場所ではない。泊まったホテルのすぐ脇には、巨大なレーニン像が、街にのしかかるように聳えている。ホールには大惨事の結果起こっている様々な物事を処理するのが仕事の、コム・チェルノブイリという政府系の団体の責任者が、私たちを待ち受けていた。私たちがこの地区にいる間、彼がお供をするというのである。私たちは住民たちと話がしたいのだが、場合によっては、彼をうまく巻く必要もでてきそうだった。

«mon ami Jacques…»(私の友達のジャックがねえ…)というのが、彼の知っているただ一つのフランス語の«言い回し»で、ろくでもないが、何度も何度も繰り返すことになるその言い回しに出てくるジャックというのは私たちの大統領ではなく、エートスの責任者の一人であるロシャール氏のことであり、COGEMA(総合原子力社。アレヴァの前身),EDF(フランス電力),CEA-IPSN(原子力局=原子力安全保安研究所)という、フランス原子力界の三大勢力を一纏めにした「npo法人」CEPN(原子力部門防護評価研究センター)の代表である。フランスではモスクワの監視という考えはお馴染だろうが、ここでは旅の途上、ずっとパリの監視というものにつきあわされることになったのだ。

ベラルーシへの旅を準備している最中に、この地域でエートスのために働いているパシャという看護婦が主人公のルポルタージュを、インターネットで見つけた。今日、「案内役」の監視下で、私たちはオルマニー村まで、彼女に逢いに生くのである。チェルノブイリの結果と取り組む測定専門家とての彼女の体験を話してもらえるものと期待していた。

番組ではパシャは地域地域にある放射能測定センターの一つで働いていた。こうしたセンターはベルラド研究所の作ったもので、フランスの科学者たちの提案によってベルラドからコム・チェルノブイリの手に奪われてしまったのだ。彼女はやはりそうしたコム・チェルノブイリの測定所にいたが、しかし、ピンスクという別の町の測定所に移っていた。このエピソードに関して彼女が言うには、「以前は、ベルラド研究所が給料を払ってくれましたが、エートスが始まると、装置はピンスクに映されました。私の給料の方は、ちゃんとしてもらえませんでした。研究予算はここまで回ってこないようです」

エートス・グループの要求する仕事は、大部分、彼女の肩にかかっている。インターネットにあった、彼女のことを書いた文章を、私たちは持っていっていた。「パシャ、チェルノブイリ後に生き甲斐を見つけた」という題の記事である。彼女をキーパースンの一人として、エートスの栄光を謳い上げようというわけだ。

記事を彼女のために読んだが、「欧州委員会の出資を受けたフランスの研究者たちからなるエートス・チームは、まさに救い主だった」という部分を彼女は話題にした。「このくだりをお読みいただいた時、凄いショックでした。問題が何一つ解決していないのに、全部うまくいったみたいに書いてあるじゃないですか。放射能はそのまんまだというのに」

(パシャの証言はもっとあるが、今はここで止めておく。彼女にとって舌禍になる可能性もあるからだ。私たちは別の印刷物で、この分を埋め合せようと思っている)

日を追って、私たちに少しずつ奇妙な感覚が忍び込んできた。あちこちで、どうしてペクチンにはお金が出ないんでしょうね、ということを聞いたのだが、実にスラスラとこんな答が返ってくるのである。「だって、効くからですよ。そうなったら、もう実験できないじゃないですか。私たちが徐々に汚染されていくのを観察して、そこから教訓を引き出して、知識を増やしたいんでしょう、それができなくなっちゃうからでしょう」

醒めきった答えの中に、酷いことになってしまったこの地域に毎年毎年、入れ替り立ち替りやってくる科学者たちの行動がどんなものなのかが、雄弁に物語られている。チェルノブイリ大惨事の犠牲者であり、一かけらの民主主義もない政治体制の犠牲者でもあるベラルーシの人びとは、それに加えてまた別の苛つかせる連中がやってくるなど、本当に真っ平なのだ。途方もない孤独を感じさせる元が彼らの国にあるとすれば、途方もない怒りを感じさせるものが、私たちの….

エートスへ、そしてCOREに至る流れ


ウラディミル・チェルトコフ

2002年11月15日

COREの基本文書へのチェルトコフ執筆の批判文書に、予備的な注釈として付されているもの

ヴァシーリ・ネステレンコ

チェルノブイリ大惨事が生み出した状況に関して、ソヴィエト政府は動きもせず、嘘を重ねていた。物理学者のヴァシーリ・ネステレンコ教授は学士院会員であり、ベラルーシ科学院原子力研究所の所長であったが、事故の直後、政府の決めた30kmではなくて100kmの半径内の住民たちを即刻避難させるように要求して、当局と対立、余分な警告を行いパニックの種を播く人物であるとして、1987年7月に解任された。1990年にネステレンコはこの国立研究所を最終的に離れ、アンドレイ・サハロフ、カルポフ、さらに作家のアレス・アダモヴィチの支援を受けて、放射線防護独立研究所«ベルラド»を設立し、放射性降下物の被害にあっている地域で、子どもたちの救援に乗り出した。ベラルーシのもっとも汚染の激しい地域の村々に370個所の放射能測定地域センター(CLCR)を設立し、そこに医師たち、教師たち、看護婦たちを集めて放射線防護の手解きをし、また家族たちに食品から汚染を減少させる調理法を学ばせた。短期間しか続かなかった「民主化」の時期の間、政府の「チェルノブイリ委員会(コムチェルノブイリ)」からの資金を得て、初めのうちは運営されていたわけだが、核ロビー(IAEA、WHO、およびミンスクの保健省内でこれに対応するセクション)が状況をその手に取り戻して以後は、CLCRはその数を68にまで縮小されることになった。

1996年にネステレンコは林檎ペクチンをベースにした食品添加物の導入に成功し、ウクライナの保健省からはセシウム137の吸収剤として推奨されることにもなった。子どもの身体組織に溜ったセシウムが1ヵ月の治療で60-70%ほど減少するのだった。

ユーリ・バンダジェフスキー

1994年にネステレンコはホメリ医学院院長で、解剖=病理学者で医師のユーリ・バンダジェフスキーの知己を得た。バンダジェフスキーは1991年より、汚染地域の住民たちに見られる、これまでにない病理的状態について、病原学的研究を重ねていた。小児科・心臓科医師の妻、ガリーナとともにバンダジェフスキーは、心臓の形態的・機能的変質の頻度と重篤性が、身体組織に含まれる放射性セシウムの量に比例して増加しているのを発見した。彼は「セシウムによる心筋病変」をこう描いている:心筋組織の変質をともなった小児、青少年、成人の心臓疾患。あらゆる年齢層、小児にさえおこる突然の死。バンダジェフスキーと共同研究者たちのチームは、「心臓、肝臓、腎臓、内分泌諸器官の各部で、また免疫系にも同様に見られる、相互依存的な病変過程」を描いている。こうした傷ついた状態は、すべて、似たような病理過程からきている。彼らはそれを「放射性核種の長期間摂取による症候群」と呼んでいる。ホメリ医学院のあらゆる研究部門から上がってきた何千人もの子ども、大人の健康状態の厳密な研究の成果であった。9年にわたって、25の研究室が同じ主題で、臨床、動物実験、病理解剖学という3つの方向性で研究を続けるのである。ホメリ医学院には200人の教員と300人の補助職員、1500人の学生がいた。

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1996年から、「ベルラド」研究所とホメリ医学院とは協調して仕事をするようになる。ネステレンコは村々を一つひとつ訪ね歩き、西欧のNGOから提供を受けたホールボディカウンタをもって、セシウム137による身体組織の内部汚染を測定することに力を注いだ。セシウムの身体組織への作用の、神経解剖学的研究には、彼は自作のガンマ放射線自動測定器を、ホメリの研究者たちに提供した。これによって、調べている器官ごとの、kgあたりのセシウム137量を、解剖の度に測定することができた。両研究組織によって、子どもの場合でも実験動物の場合でも、食事を管理してセシウム137を極小にすれば、生命に影響する器官の致命的な損傷を避けることができることも、示された。まったく新しい研究への道が、ここい開かれたのだった。

1999年4月、2人の科学者たちはベラルーシ議会に招かれた。線量白書と、チェルノブイリ事故の諸帰結に関する医学研究の中での、保健省の放射線医学研究所による国家資金の使用の正当性を審議する委員会で意見を述べるためであった。2人の陳述の結論は、委員会内の保健省に近い筋のメンバーたちの気に入らなかった。バンダジェフスキーとネステレンコと研究所前所長のストジャロフの3人は、別の報告書を作成して、住民の健康に責任を負っているベラルーシ国家評議会に送付した。評議会は保健省の線量白書を撤回させ、ネステレンコ、バンダジェフスキー、ストジャロフの「結論をベースにして、早急に」白書の内容を見直すように指示した。一方、バンダジェフスキーは一通の報告書をルカチェンカ大統領に送付し、その中で、保健省の研究所の基本方針に厳しい批判を向け、総予算1700000ルーブルのうち、有効に使われているのは100000ルーブルだけだと主張した。その数週間後、1999年の5月だが、保健省の3つの統制委員会が突然、ホメリ医学院を臨検したが、何も異常を発見できなかった。1999年7月13日の夜、バンダジェフスキーはルカチェンカ大統領の発布した反テロリスム条例を根拠に逮捕された。2001年6月18日、彼はベラルーシ最高裁の軍事法廷で証拠のないままに汚職の罪で禁固8年の有罪判決を受けた。ホメリ医学院の新しい医学院長はバンダジェフスキーが創設した研究プログラムは、高等教育機関のプログラムの名に値したないとして、廃棄たのだった。

ガリーナ・バンダジェフスカヤ

小児科・心臓科医師だったガリーナは、ホメリ医学院の小児医学講座の教授だったが、追放された。2002年9月2日以来、彼女は「ベルラド」研究所で科学秘書兼医学部門責任者として働いている。

エートス

こうした間に、1996年、エートスと名乗るフランス人の研究者グループがネステレンコ教授の運営するオルマニー村の測定センターCLCRを頼ってやって来た。彼らはネステレンコの放射線測定データを手に入れ、チェルノブイリの汚染地域で前例のないこの研究所の内部で、ネステレンコから放射線防護を学んだのだった。エートスはCEPN(核の領域での防護評価研究センター)の作ったものだが、そのCEPNはEDF(フランス電力)と原子力庁(CEA)が作ったもので、フランスの核ロビーの化身のような団体である。

エートスの目的の一つは、「放射線量と社会的信頼との長期管理を定義」(2001年4月1日の要約議事録)し、核事故と、寿命の長い放射性核種に汚染された地方の管理に関して、欧州連合向けに研究成果を文書化することである。1996年から1998年まで3年の間、エートスはオルマニーのCLCRの測定データを集め、ネステレンコが養成した技師を使い、ネステレンコが設備した装置を使って、食品や牛乳などの放射能測定を行ない、女性技師が測定で残業になっても一銭の支払いもしようとはしなかった。この同居状態に実りがなかったわけではないが、しかしそれもエートスがベラルーシ当局に、ネステレンコをオルマニーと、ストリン地区の他の4つの村から追放させた日までのことであった。

今日、エートスはチェルノブイリ地方の放射線防護に関する科学的権威であるかのような顔をしている。そして、COREプログラムを編成したわけだ。

「ベルラド」研究所は切迫した経済状態の中で、存続のために苦闘を続けている。資金の提供者たちは、ヨーロッパのつましい市民たち、環境と健康を防護するNGOのメンバーたちである。エートスの動きに対してこうした諸団体が批判を強めたために、ネステレンコもCOREプログラムに加えられることになったが、しかし、汚染を受けている子どもたちの病気を予防する活動を続ける手段を、ネステレンコは奪われたままだ。