南相馬市避難勧奨解除・緊急記者会見と抗議集会


満田夏花

南相馬市避難勧奨解除に関して、12月26日(金)下記の通り、緊急記者会見と抗議集会を開催します。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-cbde.html
13:30から参議院議員会館で記者会見&集会(どなたでもご参加いただけます)、
18時からは参議院議員会館前で抗議集会を開催します。
たくさんの方が参加することで、連帯の意を示し、南相馬のみなさんを激励しましょう!

以下開催に至った経緯と開催の詳細です。
—————————–
南相馬市の特定避難勧奨地点が、12月28日、住民の強い反対の中で解除されようとしています。
南相馬市で特定避難勧奨地点に指定された住民向けの説明会が開催されました。

出席した住民は、全員、強く反対。

「指定時、【解除の際には住民の理解を得ること】との約束があった。確認の上解除の話をして欲しい。」
「家の中でも空間線量率は0.8マイクロシーベルト」
「こんな環境に子どもを帰せない」
「ストロンチウムやプルトニウムなども飛散している」
「これで、”公平性”はないだろう」
「いくら除染しても、農地や山林から線量がくる」
「避難区域よりも放射線量は高い」
「再度の説明を求める」

などの発言が相次ぎました。
最後に、行政区長が、
「地域全体を下げてから解除でしょう。同じ人間として話をしてほしい。無理を通して、道理を引っ込めるのか」
と述べました。

高木経済産業副大臣は、「川内や伊達との公平性を保つ」「積算線量20ミリシーベルトを下回っており、健康への影響は考えられない」とし、一方的に指定解除を決定しました。

今回の解除に至るまでにも10月の時点で、指定解除の説明会が開かれたのですが、住民の強い反対にあい、解除は延期。「不安をしずめるため、掃除を行う」としました。しかし、「掃除」後、大量のゴミ袋を置き去りにされ、ゴミ袋は2μS/h超え、宅地内に10μSv/h超えの場所も残っています。

その後も、住民は1,000筆を越える住民署名を国に提出し、何度も解除に反対する意思表示を行ってきました。しかし、それらの住民の意向はすべて無視されてしまっています。

今回、たまりかねた住民のみなさんが、東京にて、抗議の記者会見と集会を開催します。
また、この間、みなさまにご協力いただいた署名を、国に提出します。

南相馬の住民を応援するため、一人でも多くのみなさまのご参加をお待ちしております。

◆12月26日(金)
13:30~14:30:記者会見&集会
14:30~15:30:署名提出および政府交渉
18:00~18:30:参議院議員会館前抗議集会

※13時からロビーにて入館証を配布します。
※記者会見の間、質疑はメディアの方優先となります
※いずれも、どなたでも同席いただけます。

◆参議院議員会館 B107
◆資料代 500円
◆主 催 : 南相馬・避難勧奨地域の会、南相馬特定避難勧奨地点地区災害対策協議会
◆共 催 : 福島老朽原発を考える会(フクロウの会)、FoE Japan、避難・支援ネットかながわ(Hsink)、ひまわりプロジェクト南相馬

◆問い合わせ先: FoE Japan 満田/090-6142-1807

☆署名も継続中です。ぜひご協力をお願いします!

【応援の署名を!】南相馬市で住民無視の避難勧奨解除が進められようとしています。 http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-45b6.html

※参考映像
FFTV:選挙のうらで着々と…南相馬市避難地点解除の動き
(今回の解除をめぐる経緯を解説しました)

※報道
OurPlanet-TV
「一方的な避難解除」に抗議~南相馬住民
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1840
政府に解除反対の署名提出~南相馬・避難勧奨地点
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1850


満田夏花 MITSUTA Kanna <kanna.mitsuta@nifty.com>

福島の子どもたちの今〜教育現場から


鈴木浩行

フクシマアクションプロジェクト第3回総会より

suzuki0皆さん、今日は。私は郡山から来ました、教員です。鈴木と言います。

2011年の原発事故当時ですが、私は現場を離れていまして、教職員組合の専従ということで、郡山の教育会館にいました。その当時ですが、もの凄い揺れで、コピー機があちこち走り回ったり、向いの屋根から瓦が飛んできたり、道路から水が吹き出てきたりという中で、一緒にいた中地さんが、「原発!」って言ったんですね。そして312日に爆発ということになりました。

私は組合の書記長という立場でありましたので、学校現場に何としても情報を伝えなくちゃならない、ということで学校の方に、情報を伝えるということをやっていきます。

これはFAXの通信なんですが、郡山市内に小学校がおよそ60校、中学校が30校、およそ90ぐらい学校があるわけですけれども、学校にFAXで兎に角、情報を流していこうということを始めました。当時、電話も不通だったんですが、唯一、FAXが何故か遅れた、という状況で(場内爆笑)、FAXを流し続けます。左側にあるのが61号ですが、多分、56号くらいから始まったんだと思います。最初に流したのは315日でした。

suzuki261号は水道水に関する情報で、当然やはり豊田の浄水場(注)から150ベクレル出たっていうことで、広報車がずっと走って回っていたんだけれど、おそらく寒い季節でしたので、窓も閉め切っているし、ほとんどの人が分からない状態だった中で、学校にこういう情報を流しました。

(注)豊田の浄水場: 猪苗代湖から引いてきた水を郡山市に給水するための施設だったが、昨年、閉鎖された

それから、330日の号です。当時は放射線を測定するガイガーカウンタみたいなものもほとんど無くて、運良く手に入ったもので郡山の地域を測ることにしました。図の左側が猪苗代に近い方、右が小野を通って浜通りに向う方角です。真ん中あたり、東北自動車道や東北本線の通っているあたり、その周辺がもの凄く高いということが分かりました。

suzuki3次は4月の27日です。郡山市教委から保護者への通達が出されて、3,7μSvという基準が出されて、「これはおかしいだろう!」ということで郡山市教委に出向きまして、基準の見直しと、慎重な態度を取るようにという申し入れを行ないました。拡大解釈をせず、共通理解を求めての要求でした。

それから次は暫く飛んで、6月になりますけれど、「風評被害」という言葉は慎重に扱うべきだというのを学校現場に流しました。今でもその「風評被害」という言葉によって我々は分断されている面がありますので、当時、この言葉は非常に危険であろうということで、教員の方に流しております。下の方には、年度1mSvの計算はこういうふうになってますよ、というふうな放射能の情報であるとか、色んな知識であるとか、そういうものを学校現場に届けました。

suzuki4623日です。文科省で発表されたデータを学校に送りました。一番上の行に、数値が付いていますが、事務所の前のところで毎日測定して、その日の移り変りですとか、毎日、せっせと流し続けました。

145号は「突然アラームが!」という見出しで、線量計を買ったところ、そのスイッチを入れた途端に鳴り出したわけなんです。向こうの基準が0,3μSvだったんです。そういうことで、そういう衝撃的な中身を現場の方に流して、2学期の体育であるとか、生活科であるとか、その他の活動であるとか、学校行事であるとか、栽培活動であるとか、除草についてはいったいどうなんだ、ということで、慎重な内容を学校に求めるように、現場の方に流しました。

suzuki5夏休みを過ぎて、826日、奉仕作業とか、そういう時期が学校現場に押し寄せてきます。県の方で出された資料を、「こういうふうにするんだよ」っていうことで、現場の方に流しました。実際、放射線のことについて一般の方はほとんど知識がありませんでした。で、本当にマスクもせず、肌を露出して、そういうような活動をする動きがありましたので、現場には慎重に慎重を重ねて下さいというお願いをしたのです。

その3日後ですけれども、福島県の小中生園児17 651人が、転向した、というような数です。

suzuki695日、文科省がセシウム134137の濃度の合計を出します。ところが、濃いところがあるんだけれども、ある範囲から先は公表されなかったんです。その先はいったいどうなっているんだろう、ということですね。ぜんぜん分からない、という状態でした。

その後、郡山の事務所で、表面汚染土の測定のできる、ベクレルの測れるものを買いまして、これも5台くらい買いました。それで支部の周りの表面汚染について調べて、「こういうところが高いですよ」というような中身の内容を送りました。

で、学校現場の状況ということでありますけども、私の勤めているのは谷田川小学校(郡山市田村町谷田川)です。郡山市全体としてはだいたい、0,1μSvくらいで推移しているんですが、私の勤めている学校のあたりは、2011年の34月当時は、線量が高くて、だいたい0,40,5μSvくらいだったろうと思います。

実はその次の年からこの学校に赴任するわけですけれども、低い線量ということもありまして、保護者、それから子どもの意識というのは、町の中心部と比べると、低いというような状態でした。

suzuki7次は、現在私が勤めている学校の通学路の線量率です。Hot spot finderという機械を使って、730日頃ですね、20kmくらい歩きました。5時間くらいかけて、ズーッと歩いて、測定してきました。除染してません。その中で、高いところで0,2μSvくらい。0,3μSvというのも1個所あったんですが、田圃の中の、水が集まっているような泥のあたりですね。後は平均すると0,1前後ということです。

suzuki8一方、郡山の中心部です。郡山3Aさんというところが造られた資料を持ってきたのですが、開成山公園のところへ行きますと、今でも0,60,7μSvというような状況だということですね。

学校現場で今も問題になっていると思われるのが、やっぱり、最初からあった「線量率の差」っていうのは非常に多きくて、それは国の中もそうだし、県の中もそうだし、市町村でもそうだし、地域の中でもそうです。

それから「不安」「知識・情報の差」….こうしたもので、我々が分断されてはいないか、って思っています。意識の違いがいっそう拡大していて、不安から防御するために、まあ、原発事故の当初は、非常な高ストレス状態でしたよね、我々。そうしますと、そういう高ストレス状態がずっと続くと限界に達して、「だいじょうぶ」だっていうようなことを選択する方もたくさんいたのではないかなと思います。

今、ダンダンダンダン、原発事故のことが、現実のことが忘れられて、過去の出来事のことになりつつあったり、それから「不安」と言えないというような気持。言うとどうなるか分からない、そういう状況も実は生まれていて、この分断はよりいっそう進んでいないかなっていうふうに思います。

それから、学校現場で言いますと、学校行事の平常化です。野外活動もそうですし、運動会、栽培活動、そういうものが、普通に行なわれる。行なおうという動きがドンドン進んでいるところです。

原発事故の記憶のない子どもたちが入学してきました。小さな頃ですので、ほとんど記憶のない子どもですね。これからは原発事故の後に生まれた子どもたちが学校現場にドンドン入学してくるようにもなります。

それから、食の平常化です。ほとんど測定されることのない畑の野菜。私のところは本当に田舎ですので、じいちゃんばあちゃんが、畑で作ったものを食べていたり、前と同じように渋柿を剥いて、干し柿にしたりとか、そういうような状況も生まれつつあります。測定する場所はたくさんあっても、そこを活用して測定するようなことは、恐らくほとんどない、あるいはごく少ないというような状況であります。

これから私たちは色々注意して見守っていかなければならないんですが、まず、学校現場に落ちてきたものは、まず、震災前は「わくわく原子力ランド」っていうのを文科省が配ってましたね。「絶対事故にならない」っていうのをドンドンドンドン宣伝してましたが、原発事故後は最初は「放射線について考えてみよう」っていうものが出されて、放射線について書かれたものですが、これにはかなり批判が多くて、その後、2014年の228日に新しく「本年度から新しく使ってもいいですよ」っていうことで、「小学生のための放射線副読本」が出されます。

その中身なんですが、イラスト入りで色々書かれています:放射線から身を守る方法は「放射性物質から離れる 」って書いてあります(会場爆笑)。まあ、我々は離れると近付くといった状態、離れたはずが、より高いところ場所だった、というようなことだったですよね。

それから、内容的にはやっぱり、「福島のことじゃない」っていうことです。これはつまり全国向けなんでしょう。福島以外の人たちもこれを使って学習しなさいよ、っていう中身でありまして、福島県では到底、使えないと思っています。

suzuki9それから「退避・避難をする時の注意点」なんて書いてありますけれども、こんな感じじゃないんですよね、あの当時を思い起こしても。もっともっと緊迫感があったし、もっともっと長い間、苦しめられたし、っていうことであって、こんな簡単にイラスト付きて書かれるような中身ではないです。

それから、政治的な判断で、充分な公平性もない、一方的な政治的な情報の取捨・選択によって書かれた内容だと思っています。政府・電力会社の責任にも触れられていません。事故後の廃炉問題、放射性物質についても、いっさい、記載はありません。そういうことで、私たちはやはり、放射線教育っていうのは、これからは人権教育も含めたうえで、そういう視点を持ってですね、学校現場の子どもたちとですね、一緒に学ばなくてはならないな、とい思っています。

どうも有難うございました。

情報を隠して進められる焼却炉建設


和田央子

フクシマアクションプロジェクト第3回総会での報告

3_sokai_3福島県内で19個所、24基もの焼却炉が、どんどん建設を進められています。建設ラッシュという と思うんですが、先程、白石さんから「情報隠し」というお話しがありましたが、この焼却炉問題はまさにその典型の一つでありまして、事実、日常で皆さまはこの焼却炉の情報にほとんど触れることが無いと思うんです。それだけ、相手にとって隠したい情報であるということです。ですので、積極的にこの情報を得るようにしていただきたいと思っています。

鮫川村の焼却炉は第1号だったんですけれども、その他の焼却炉でも、地元の住民のごく一部にしか計画が知らされないということが、徹底して行なわれています。どんなに市町村の境界に近くても、隣りの市町村にはまったく報せない、住民には報せないという方法を取っています。

それから、施設の設置許可申請と言うものが、県に出されるんですが、これも、県も一緒になって情報隠しをしています。県のホームページの後の方にこっそり載せるのです。それから、設置許可申請、現地の生活環境影響調査などについては、1ヵ月間告示縦覧して、利害関係者は意見を述べることができるということが決められているんですけれども、それを知らせないんです。

市町村については、縦覧態勢は取っているんです。「来れば窓口で見せますよ」っていうことは言うんですけれども、それを住民に知らせないんですね。広報紙にはいっさい載せません。縦覧だけがあって、告示がない状態です。告示・縦覧っていうのは、2つ合わさって始めて意味のあるものなんですけれども、その告示がなされないということが徹底して行われています。

まさに今、飯舘村の蕨平(飯舘村の南東部)に施設が3つ計画されておりまして、この告示が行なわれています。で、大きな焼却炉なんですけれども、この焼却炉の部分と、「仮設資材化施設」と言って、焼却灰および、中間貯蔵施設に入れる予定の汚染土壌の、再利用、セシウムを飛ばして路盤材にしようという恐ろしい計画があるんですが、その施設が建てられるということです。これはIAEAとの共同研究ということになっています。

IAEAは環境創造センターだけではなくて、蕨平にも入ってくるんです。この許可申請が今、県の方に出されてまして、告示・縦覧の状態になっていますけれども、何故か、焼却炉の部分だけなんです。この資材化施設についてはいっさいの申請が出されていないんですね。

これにどのような問題があるかと言うと、情報開示請求をしても、「その資料がありません」と言われる可能性があるということです。ですので、焼却灰という、もの凄い高濃度の放射能の凝縮したものと、それからダイオキシンとか有害物質のかたまり。そういったものを大量に扱う施設であるにもかかわらず、どのような施設かが知らされないという、恐ろしいことになってくるかも知れないということです。

それから、つい先日、123日に、テレビニュースで発表されたんですけれども、新たな焼却炉の建設候補地が公表されました。二本松市東和町の夏無という自然公園とキャンプ場のある、凄く景観の良い所です。キャンプ場っていうのは子ども連れで利用する可能性の高い所ですよね。そういった所に焼却炉を建てるというのは、どうなんでしょうか。焼却炉が稼動したとしても、そこを立入禁止にするわけではないんですね。「焼却炉は絶対安全です」っていうことで、進められているので、「どんどんキャンプにも来てください」っていう方向で進められることに間違いはないと思います。

この二本松の焼却炉は、事業主体が安達地方広域行政組合という、一部事務組合が主体となっているんですけれども、ここは日常は二本松と本宮市と大玉村の、3つの市町村をカバーしている、ゴミを処理しているところです。ということはその3つのエリアから出る汚染廃棄物をそこで燃やすということになります。

私が電話で二本松に確認したところ、36万ベクレルの稲藁があるというのが分かっています。農林業系の副産物、廃棄物も処理されるということになります。郡山市では50万ベクレルの稲藁が見付かっています。これだって、本当の汚染濃度かどうかは分からないんです。鮫川村では最初は4 500ベクレルの稲藁、というふうに発表されていました。が、今、稼動データを毎日、チェックしていますと、何と81 000ベクレルの稲藁が燃やされたことが分かりました。このように、国や自治体が発表している線量というのは本当に信頼できるものなのか、疑わしいと思っております。

川俣町が風下になりますが、その川俣町の人たちにはいっさい知らせない、「説明会の予定はありません」と言っています。これは間もなく説明会が開かれまして、12126時半から、二本松東和文化センターにて行なわれます。400世帯にしか通知されていないんですけれども、確認したところ、二本松の市民であれば入れるということですので、是非、二本松のお知り合いの方に知らせていただきたいと思います。

風下に当たる川俣町の町民の方にも是非、知らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

仮設焼却炉_予算_A4チラシ

2014年10月12日:福島第一の近くまで


イヴ・ルノワル

この文章は福島市野田町界隈に続くものです。

1. グループ

私たちは5人だ。藤本智子(さとこ)とイヴ・シュヴァリエ、マルチン・ヴァルタ、竹内雅文と私である。全員が写真かヴィデオを撮っているのだが、私だけは撮影を諦めていた。カメラの記録カードが前夜に故障し、信頼できなかったからである。雅とマルチンと私とは、各自、線量計を携帯していた。11台、表示のし方と、多分、感度も異なるので、その場、その場での数値にも違いがある。数値を比べあうのは、無意味なことだ。

写真が撮れないので、私は移動の間ずっと車内のガンマ線量を測り続けることで満足することにした。通過地点の名称を雅が言ってくれる。測定器は、スイッチを入れると25秒後に数値を返す。私は小型のメモ用紙に値を書き入れ、必要に応じて位置情報を加える。こうやって私は休止なく409地点の数値を集め、行程の放射能の状態を図にすることができた。

11つの数値は、バス、次いで乗用車内での、さらに幾つかの特徴的な場所では停車地点の屋外での、25秒間の空間線量の平均値を示している。計測の仕方は統一した。車内では測定器を窓のそばで地面に対して45°の角度に向けて保持している。車内の値と車外での値に大差はない。このことは、腰のベルトの位置での測定で確認した。

こうした結果から一般論を導くのは慎重にすべきだ。停車時のものを除けば、計測値はすべて路上ないしは路傍の空間線量である。しかし、路上での計測値と、少し離れた地点、打ち捨てられた家屋の周辺であるとか、フレコンに入った廃棄物の集積場の周辺での値との間に、大した違いはなかった。汚染の管理の目指すところがはっきり目に見えない以上、こうした違いの無さというのも、一般化して捉えるべきではない。

2. 全体図

y-r01バスは国道114号を通って福島から私たちを南相馬まで乗せていった。途中、川俣で数分間の停車がある。南相馬が近づくと海岸平野の風景になるが、それまではずっと山の景色である。

地図に書き入れてあるのは、今回の«イニシエーション»の後半だが、その導師はNPO法人フロンティア南相馬の草野良太さんであった。

yvesminamisoma基本的な標識点を記入しておいた。違う縮尺でもっと拡大して見れば、それぞれの場所の様子がもっと良く分かる。

次に測定値をまとめて図示してあるが、それぞれの測定地点を上の図と照らし合わせられるようにしてある。

___往路のグラフ__________南相馬(原町)までの復路
yveswb3. 福島市と南相馬(原町)との間の特記事項

放射性降下物の量が甚大な地域を除染するという決定は、地形の壁にぶつかっている。坂が急峻になり、谷が曲りくねるに従って、空間放射線量はカオスの様相となり、1989年に旧ソ連内にICRPが設定した「一般住民の限度値」を超えた高い値を示す。しかし、ちょこっとでも空地があればどこでも構わず、といった感じで積まれているフレコンを見れば、これでも空間線量はだいぶ下ったか、ないしは平準化した後なのだと考えるしかない。バスから見た光景は、仰天の連続であった。家々の直前の花壇までもをフレコンで一杯にするのはまさに愚行である。住民たちの至近の環境を、除染による産物が、毒しているのである….。ウブな質問をひとつ 、ぶつけてみたくなった。「住んでいる人たちの防護を蔑ろにしてまで除染しなければならないほど重要な場所が、いったいどこにあるのか?」と。残念ながら、この山中を縫い曲る道筋をバスはあっと言う間に通過してしまい、誰も写真を撮らなかった。下のは似たような場所での写真だが、前述の現場での印象はかなり薄らぐ。

y-r04y-r05行程の間、傷ましい、悲しい思いでいっぱいだったが、反抗心も涌いた。森に覆われた山々の素晴しい景色が、家々の入口にまでごく当たり前のような顔をして山積みされている除染ゴミによって痛めつけられ、汚されている。放射能は目に見えず臭いもないが、どこにでもあること、そして20113月の福島第1の爆発以来、この地域は放射能の持続的な支配下に置かれてしまっていることが、この青や黒の袋が思い起させる。この地に住み続けている人たちは、自分たちの生活条件が陥ってしまった今の状態を、どういう言葉で表現しているのだろうか。この道を通って旅をする人たちは、来る日も来る日も目に飛び込んでくる光景に、どんな思いであろうか。陽光や風雨に曝されるプラスティックの袋の強度に、将来がかかっているということを、どう考えたら良いのだろう。中のゴミに相変わらず含まれている放射性物質の半減期が30年だというのに、こうした袋はいったいどれだけ持つのだろう。この酷い光景を繰り返し見せつけられるのは、実に傷ましい。

パノラマが開けた場所では、袋の置き場もその分だけ広大になる。何ということだ。

山間部では置いておける量が限られてくるので、集められた袋は手近で作業も楽な小さな面積の場所を除染したものに限られているように思われる。勾配のある場所はほとんど手付かずのままだし、雨の降る度に放射性物質を含んだ粒子が窪地へ運び込まれ、取り除いて袋に詰めた分も、じきに元通りになってしまう。

平地では、除染ゴミと生活の場とが網の目模様を織りなしている。

y-r06y-r07ここに見える除染地域のフレコン置き場用地には、まだまだ空きがいっぱいある。除染員たちのシジフォスの神話のような作業は、まだ当分は続くわけだ。

間もなく、バスは南相馬(原町)に到着した。

4. 南相馬(原町)から10km地点まで

測定器から得られる情報に疑問の余地はない。この海に近い、多くの部分が津波の被害を受けた地域では、先刻通ってきた山間地域よりもセシウムの量はずっと少ない。このあたりでは、降雨はずっと弱かったに違いない。海から風が吹いている時には、そうなるのが通常である。その風が内陸に入り込んで、隆起部にぶつかると、空気の塊がもち上げられて凝縮する。そして冷やされるのである。

しかし、そうであるからと言って、放射性の霧がこのあたりを通過した時に、住民たちの被曝は少なかったということにはならないのである。住民たちは放射性のヨウ素を吸い込んでしまい、それは健康上の刻印として、一生ついて回るのである。

強制避難の運営は、ガイガーカウンタが刻々と与えてくれるデータとの突き合わせに耐えられない。行政の決定によって空家になったに違いない、捨てられた住居群を通ったが、パリで私の住んでいる、石灰の壁に囲われた古いアパルトマンよりも、空間ガンマ線量は低い。ここに住んでいた人たちは昼間は家に戻ることが許されているが、夜を過ごすのは禁止されているとのことであった。どこにそういう政策の正当性があるというのか。

最近まで立入禁止標識のあった10km地点の少し手前に、津波によって破壊されたままの家屋が片づけられないまま残っていた。ここも南相馬や津波の跡がきれいに片付けられている地域と同じくらい線量が低いし、そうした地域を下回る場合すらあるのに、どうしてなのだろう。付近の空撮と、そうした家のうちの一軒の写真とをご覧いただきたい。

y-r08y-r09y-r10y-r11

囲いのついた、膨大な面積の除染ゴミ置き場が目についた。グーグルアースの空撮に見当らないところからすると、造られて間もないのだろう。青い袋と、黒い袋とが、分けて積まれている。この2色 の仕訳は、どういう基準によるのであろうか。今、津波が来れば、これらもすべて押し流されて、間近にある海へと運ばれていくことになる。あたかも、地球に 働いているさまざまな力も、当局者にとって必要な間だけはこの地に手を付けないでいてくれるだろうとでも言うのであろうか。いったい、どれだけの期間を見込んでいるのか。明かに一時凌ぎのこういう方策は、どんな見通しに立って進められているというのか。

y-r12高い放射線量の地帯に今や私たちはかなり近づいている。打ち捨てられた小集落を幾つか通過するが、放射線量は福島市よりも低い。事故のあった発電所の間近を通っている国道6号は、つい最近、通行禁止が解除された。日曜日にしては、通行量も多い。

国道は10kmの障壁に向かっている。ここの放射能は福島市と同じ程度である。ここで見た光景を2点。

y-r15y-r165. 10kmの境界: 高い放射能の地帯

立っている警官たちがもはや象徴的な存在でしかなくなっている境界地点を、速度を落すこともなく通り抜けると、いとも急速に放射能は増加していった。第2章に掲げたグラフに示されているように、今や自然な状態の10倍ほどの線量であり、福島第1のすぐ近くでは100倍ほどにもなった。

この国道は停止せずに通過するしかないのだが、道路沿いは注意深く除染されているに違いなく、この地帯でも道から離れた場所での数値に比べて、道路での数値は大幅に低いのだろうと仮定するのが正しいのだろう。粗面コンクリート平板で補強された急坂が100m200m続いた場所で、もし速度を落して通ることができていたら、そうした点についてもっと確かな考えを持つことができたことだろう。そこで計器は突如、乱舞したのである。粗面コンクリートは、ここにあるもののように老化しているものは特にそうだが、細かい穴が無数に存在し、そこに入り込んだセシウムの粒子は完全に封じ込められてしまって、除染などは不可能である。これを測定できれば、この場所と近辺との、放射性降下物の一般化可能な情報が得られたことだろう。けれども後続車両が迫っており、運転してくれている方に速度を落すように説得する時間など、ある筈もなかった。

福島第1発電所へ向う道は封鎖されていた。10Kmほど南にある福島第2への道は開いていたので私たちは進入していったが、発電所入口では警官の検問態勢が敷かれ、私たちは引き返すしかなかった。福島第2の入口では空間ガンマ線量ははっきり低下した。福島市周辺の畑地で計測した値とほぼ同じだった。

次の写真は10km境界線

y-r17次の写真は福島第2の入口の検問所だが、道の先に発電所の建物の一つが見えている。

y-r186. 高い放射線の地帯の南の出口にある石炭火力付近で停止

福島第1を過ぎた後では、空間放射線量は急速に低下していた。

福島第2から数キロのところには、火力発電所がある。ここは津波で大きく損壊したが、短時日で修復している。煙突から出る煙は見えない。日本の石炭火力はどこでもそうだが、燃焼と煙濾過に先端的な技術を使っているのである。空間放射線量は福島の町中と同程度だ。

写真は帰路の前にちょいと一休みした時のものである。右から、草野良太、藤本智子、イヴ・シュヴァリエ

y-r20広野火力発電所

y-r197. 地方道35号を経由から再び国道6号へ入っての帰路

運転の草野さんは、帰路の一部を地方道35号経由にした。この山寄りの道筋に相当する部分のグラフを見れば、並行している海岸寄りの国道6号に比べて、放射線被曝量がほぼ倍になっているのが分かる。地形が持ち上がれば直ちに降雨が強さを増す。その結果が明かである。言うまでもなく、道路周辺は念入りに除染されていることであろう。

原町駅に戻る前に、私たちは多少迂回をして福島第1の北30kmにある原町火力発電所の近くに車を停めた。空撮には、その構内の港に石炭運搬船が見える。その南に、以前はたいへんに好評だったサーフィン場があるが、今は利用する人はいない。写真には、波がくっきりと写っている。

y-r21y-r23ここでもやはり、煙は出ていないように見える。

私たちは海を眺め、ここの海岸にもまた除染ゴミの袋が無造作に積まれているのに注意していた。そこに首から名札を下げた陽気な男性が近づいてきた。お互いの自己紹介の後、会話が始まった。

y-r26竹内雅文、イヴ・ルノワル、草野良太、藤本智子、イヴ・シュヴァリエ、そして撮影者マルティン・ヴァルタの影。

y-r31傾斜に馴れ親しんだ人物の撮影による、マルティン・ヴァルタ

y-r27男性は森林の除染作業者だ。何とも膨大な事業である。森林の除染作業者である。彼の話から理解したことを、なるべく捻じ曲げないように整理すると、こんな具合になる。

破局的惨事の後、政府は再興の論理に従って一か八かの決定をした。放射能に強度に汚染された地域の全面除染である。事故を起した発電所自体を«きれいにする»には少なくとも400年はかかるから、時間が足りないということはない。

そこで政府は、放射性降下物に汚染されている地域の大半を占める森林を、浄化する財政措置を決定した。

彼の従事している作業の元請け企業は、明らかにおいしい契約を結んだ。企業は、生えている木を取り除くことに対して支払いを受ける。円相場が下落しているので、日本製の木材には需要がある。木は汚染されていても、それは表面だけだ。表皮を取り除きさえすれば、内側の材は丸ごと売り物にできる。倒れている木は、周知のように、じきにカミキリムシの餌になり、腐敗する。商品価値などはない。そういうものは、現場に残しておいて構わないことになっている。こんなボロい儲け話は誰も夢想だにしないことだろう。

こういう議論が真相から外れていないとするならば、福島の放射性となった森林に向かって、そのうち大勢が押しかけることになりそうだ。

最後になるが、福島事故とその帰結についてのイニシエーションの旅の間中、私たちのゴマであり、通訳であった二人、藤本智子と竹内雅文に、熱くお礼を申しあげたい。

原町駅前の雅

y-r28藤本智子(福島市の佐々木慶子宅にて)

satoko-chezK福島事故は日本を揺がした。物言わぬ多数者たちは事故に幕を引き、「普段の」関心事に戻ったかのように見える。

福島事故は民と指導者と公権力総体との間の暗黙の合意の根底を突き崩した。上から下まであらゆる階梯の公権力が、広い範囲にわたって責任性を喪失している。移住させられた人々に対する行政の態度のほぼ全体にわたって、欲得づくや棄民政策が顕著である。

日本の原子力保安当局は、陣頭に立つことなく机に囓りつき、名誉を失なった。前代未聞のことである。ウィンズケール、スリーマイル、チェルノブイリの事故に際して、イギリス、アメリカ、そしてソ連の原子力保安当局者たちは、救えるものは救おうと、危険を冒して陣頭に立った。生命を賭した。この恥ずべき不在の報酬はこうである:IAEAICRPやその輩下が、我が物顔に、呵責なくのさばることになったのだ。

技術官僚支配と勇気ある人々との間の闘いが、始まろうとしている。

福島市野田町界隈


イヴ・ルノワル

2014年10月12日、福島市野田町の佐々木慶子宅近辺からの、イヴ・ルノワルによる報告

1。はじめに

藤本智子とイブ・シュヴァリエ、竹内雅文、マルティン・ヴァルタと私とは、荒川の際に建っている佐々木慶子さんの大邸宅に厄介になっていた。この川は、福島市の東部をほぼ南北に流れている阿武隈川の、支流の一つである。

荒川は市街の中心部を迂回して南側を流れ、野菜畑や稲田や果樹園に水を運んでいる。慶子さんの家は新幹線の駅から遠くなく、田畑のある地帯から見れば東の端になる。下の地図では、左上のあたりにある樹木のマークのあたりである。

y-n01

前日に農道の細い網の目を通って2,5kmと少し東に行って、全体を眺めた。四角く細かな区画に区切られた耕地に混って、まだ工事が終っていなくて、グーグルアースの衛星写真にも載っていない、新しい太陽光発電設備の敷地があり、すぐ近くには、若い人たちのためのサッカーと野球の練習場もある。

まず、家の周辺部の放射能を測ったが、その結果に私は困惑した:
・家の前の路上で、0,35 μSv/h
・果樹園へと続く道の通っている土手に抜ける、家と隣家との間の小径で、0,45 μSv/h
・家とこの土手道との間の斜面では、0,5 〜0,75 μSv/h
使用計器は、ベルラド研究所から貸してもらっている、検出部の4本あるソスナである(1計測に25秒)

2。 4個所

道に沿って4個所で計測をしたが、その位置は下の航空写真に赤い数字で示してある。

y-n02計測器は腰のベルトの位置、つまり地上から約1mで水平に保持している。だから、4本の検出部は地面から正確に2πのステラジアン角に従って到来するガンマ線を記録する。空から来るガンマ線も同じステラジアン角に従う。

計測した値から0,12 μSv/h(自然放射線)を差し引くと、土中にあるセシウム137からのガンマ線がどれだけかが分る。

時速約6-7 km の早足で歩きながらの計測による平均値になる。1計測は25秒である。50mほどの間における、ガンマ放射空間線量の平均値が得られることになる。

窪地などに流れが運んできた放射能が溜って、ホットスポットになっているが、人が通常まず近づかないような場所の場合には、考慮から外すことにした。

赤字で番号を振った4個所にはそれぞれ、次のような特徴がある。
1 左にはほぼ建設を終えた600 kW の太陽光発電所がある。右には野球場がある。
2 数字の下になるが、道の反対側は野球場で、表面は土である。
3 数字の左になるが、高圧線の鉄塔が立っている。周囲は田畑や果樹園のある典型的な光景である。
4 数字の右に一種の狭い橋(水道施設)が荒川を跨ぎ、そのまま真っ直ぐ、真北の位置にあるのが、屋根に太陽光設備を載せた佐々木慶子宅で、道に沿って建っている。

畑作も稲作も、普通に行なわれていた。林檎の収穫が始まっていて(梨や桃は既に収穫を終えていた)、稻藁の束は積み上げられ、野菜畑の手入れも行なわれていた。土曜日には、高校生たちがサッカーをしていた。日曜の朝、9時少し前、野球のチームが試合の準備を終えるところだった。土手道には、人々がジョギングをし、散歩をしていた。若い人たちが自転車に乗って来ていた。

3。 写真と計測
3.1 第1地帯

y-n03北西の平地は現在、太陽光発電所になっている。右には野球場があって、隅には、道に挾まれて更衣室がある。太陽光受光部の並ぶあたりでは放射能の計測値は0,25 μSv/hだが、砕石が20cmほどの厚さに敷かれていることが、影響していよう。野球場では0,5 μSv/h 近辺である。4枚目の写真は、道の反対側あたりの荒川である。

y-n04y-n05y-n06y-n07y-n08y-n09太陽光発電材料の中でも、もっとも安価な部類になる、非結晶シリコンの技術が使われている。1枚目の写真に写っている立て札には、この発電所を作った会社の名前などが記されている。

最後の写真は野球場の反対側の風景だが、稲田は刈り終えられ、葦原があり、右手には有袋、左手には無袋の林檎が見えている。

3.2 第2地帯

y-n10y-n11右手、中ほどの高さの位置にサッカー場があり、2つのゴールが人目を引く。計測した放射能の数値はサッカー場では0,55 〜0,65 μSv/hであった。果樹園もほぼ同じであったが、やや高い場所もあり、0,75 μSv/h ほどに逹っした。反対に、水田や畑地では数値は低く、0,3〜0,45 μSv/hほどであるが、恐らく、土を耕したり、起こしたりした爲ではないだろうか。そうすると、セシウムからの放射の一部は土の下になり、土に吸収されるので線量は低くなりはするが、セシウムが減ったわけではない。植物の根がそうしたセシウムを吸い上げる可能性は常にある(その土地の物理的な性質、土壌中の有機質の量、栽培植物の種類、施肥の状態、特にカリウム肥料の量などによって、吸い上げ方は異なる)。

荒川の縁では、放射線量は概して高い。0,6〜0,75 μSv/hである。アスファルトやコンクリートの敷かれた場所では、線量は低くなる。0,45 μSv/h 前後である。

3.3 第3地帯

y-n12まず目につくのは鉄塔とその影である。地面は小片に仕切られ、野菜畑、稲田、果樹園が入り混ってパッチワークさながらだ。この付近一帯にもっとも普通に見られる土地の様相である。続く写真では、労働の質、樹々、とくに桃の木の美しさと力とをご覧いただける。遠く、稲田の向うに見えているのは梨の木だが、一種の支え木を水平に渡して、人工的な樹冠を作り出している。土は驚くほど豊穣で、手入れの行き届いた産物は格別に健康そうな様子である。農薬類の特有の臭気は私にはまったく感じ取れなかった。ただし、一年中そうなのかどうかは、調べてみる必要があるだろう。

y-n13y-n14桃の老樹の切り倒された幹が果樹園の縁に積み上げられて腐るに任されていた。切り株は、生えていたままの場に残されている。木々の枝が払われていて、風通しが良く、樹間距離も充分に取られて、隣りの木どうしが邪魔をしないようになっている。

y-n15y-n16y-n17y-n23y-n213.4 第4地帯

y-n25橋の軸上に正確にあるのが慶子さんの家だ。もっとも高い放射能の値が計測されたのは、家のすぐ前にある弓形の小径のあたりだ: 0,75 μSv/h 。
原発事故以来、日本では、太陽光発電が本当のブームであり、家々の屋根や工場あるいは商業施設の屋上もそうなのだが、太陽光発電所の形を取っているものもあり、 いちばん大きなものでは最大出力50MW を超える。
佐々木慶子の家では勾配の付いた屋根の南向きの部分の大半は受光装置に覆われているが、そこから数百メートルほどのところでは、地面に枠を設置して、多結晶シリコン技術を使った最近の型のパネルを見掛けた。

y-n26y-n274.結論は?

結論を出そうとするのは馬鹿気ていると、ギュスタヴ・フロベルが何度も言った。2011年3月11日の福島第一原発の爆発に由来する放射性降下物の害を受けている地域の置かれている、この奇妙な、整合性を欠いた、カオス的状況では、こうした攻撃的物言いがかつてないほどに当て嵌る。

県庁所在市の周辺部と言えるこのあたりに付け加えられた外部被曝値は結局、0,4 μSv/h (3,5 mSv/年)程度である。これは地表近い部分の土壌汚染に換算すると200 000 Bq/m2程度になるのだろう。しかし3年半が経つ間、除染も試みられ、豪雨も何度かあり、初期に蓄積した放射能のかなりの部分が運び去られ、あるいは地面の下に沈み込んだ。この地下に染み込んだ放射性物質から発する放射線は吸収され、その強さは、沈降した深さに応じて指数関数的に低くなる。200 000 Bq/m2 という値は、土壌の実際の汚染よりも、低く出ていることになる。本当の汚染の重大性をはっきりさせるには、数多くのサンプルを採取して分析しなければならない。

何れにしてもこのあたりは、旧ソ連の汚染地域に残された管理下に置かれた地域と同等の汚染地域である。ここからの収穫物をどうしているのか、詳細な調査を行なえば、生じる危険性について日本の当局がどのような考えを持っているのか、明かにできることだろう。私が見た範囲内では、農民たちは経済的に困っているようではなかった。クルマに乗って田畑にやってきて、落ち着いて作業をしていた。若い人たちは土埃の舞い上がるグランドでサッカーをしていた。新な危険がどこにでもあるのだが、そんなことは誰も気に留めていないようだった。

福島第一から10km少々の浪江町は準立入禁止地域なのだが、そこでこの数時間後に計測した数値は0,10 〜0,23 μSv/hだった。野田町の高い数値と、立入禁止区でのこうした数値を突き合わせてみなければならない。事故の帰結の管理に、理解し難い不整合があるのが、比較から明かだ。発電所の廃墟から12〜13kmの距離での0,26 μSv という数値は、その地域の汚染が、同じ発電所から60km以上離れている佐々木慶子さんの家の近辺と比較して、放射性残留物の蓄積量が、3分の1程度であるためであるからだと、考えるしかない。なのに、距離さえ離れていれば、放射線から守られるとでも言うような施策が取られているのである。

最後に、著者はたいへん上手い具合に風水を取り入れた部屋で、3晩を過すという喜びを味わったことを付け加えておこう。

y-n28部屋は慶子さんの家の3階にあって、南向きのガラス窓を隔てて荒川に面している。伝統的な寝室の作りそのままというのでもないようだ。共用空間である大きな部屋とは、3枚構成の引き戸で隔てられている。頭を西にして布団を敷き、窓は開けたまま、背を北に、川の流れの呟きに揺られ、新鮮なそよ風が頬を撫でるに任せて、私は眠った。ちょいと覗いただけのその時から、私は勝手にお気に入りの場所に指定させていただくことにしたのである

フクシマの嘘(新版)


飛幡祐規

下記のドイツZDFのドキュメンタリー、字幕をつけた梶川ゆうさんから回ってきました。
すでに紹介されたものをさらに補う形とのことです。こちらも拡散お願いします。

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先日、フクシマ原発事故から3周年を記念して、ZDFのハーノ記者が、「事態はコントロールされていない」ことを
明らかにするドキュメンタリー(45分ほど)を放映しました。
前回のフクシマの嘘でも字幕をZDFのお墨付きでつけさせていただきましたが、今回も、またその字幕を前回も技術を担当してくれた方と一緒につけることができました。
つい先日、その短いほうのドキュメンタリーの字幕翻訳を新井さんがつけてアップしたばかりですが、この45分ものは、その短いものを網羅し、補う形で完全版ということができると思います。

山木屋地区の仮設住民から


菅野經芳

福島原発告訴団「検察審査会第2次申し立て報告集会」(2013年1122日・東京日比谷図書館)での発言

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菅野經芳と申します。川俣町から、神奈川県の横須賀のほうに6月いっぱいまで、避難しておりました。で、7月に入って、実は町が国の言う線引きを受け入れる、あるいは除染作業の具体的な段階に入ったということで、どうしても横須賀にいたのでは話が見えないので、帰ってこい、というようなことで、実は今、川俣の仮設に住んでおります。

川俣町の…皆様、お分りかとも思いますが、川俣町は一部避難の区域です。計画的避難区域で、山木屋地区、これは約1200人ほど、戸数にして約350戸、今現在、川俣町の中心部に仮設住宅を町は作っております。その仮設住宅、約400人ほどおりますか、で、ここには飯館村の人、それから浪江町の人、それぞれ、人数はよく把握していませんが、その人たちも含めて、今現在、川俣の仮設に避難しております。

それで、今、皆さん、決意表明の中で、諸々、今回の審査会に対して、申し立ての内容について、非常に詳しくあると思うので、私は今、4ヵ月ほど前から仮設に入ってみてですね、避難している人たちの心情とでも言いますか、近況を少し、話してみたいなと思うので、お聴き願いたいと思います。

1200人ほどの山木屋地区住民の中で、約1/3が仮設におります。あと1/3が借り上げ住宅とか、それ以外、そして県外を含めて1/3ほどの人たちが避難しております。で、普段、立ち入ることは現在、認められています。でも、寝起きすることはしません。ということで、やっと除染に入ってですね、ま、具体的には、基本的に予定は国の、環境省の予定だと、今度の3月いっぱいで、全地区、除染終る予定であったそうです。が、現段階ではまだ今年の夏から入ったばかりなんで、何時になったら終るのかは、まだ見通しはついておりません。

ということで、基本的に、何時になったら帰れるのか、それもまったく見通しがありません。その中で、実は先般、線引きの内容についてですね、各集落ごとに町から説明がありました。その際に、具体的に復興の計画は、あるいは除染の、あるいは災害の対策は、あるいは、現在、仮設にいるのは既に2年半も経過しておりますので、その先の住居の手当や、そういったことをですね、実は町長と一問一答で約2時間半ほどやりました。

でも、まともな答は出てきませんでした。その中で、私がいちばんこう、「残念だな」っと思っているのは、どうしても今、川俣町、今15000の人口がいますが、その中で1200の人たちが避難をしている。一部の地区の人たちが避難によってある意味で東京電力との補償料が貰えている。避難の対象外の人たちについては補償料はないんだ、と。とすると、どうしても「お前ら、東電から金が貰えていいんだな」と、そういうことである人はですね、日中から酒飲んでる人もたまにはあるんだと思います。

そういうものが非常に非難の槍玉に挙げられている。避難している人たちの心情というものは全然、分ってないんだな、と。そんなことでですね、まあ、お互いに被害者どうしが足を引っ張ってどうするんだ、と。もっと一つ、あの、東京電力とは、今回の放射能被害とは何なのかを、もういっぺん考えてみようじゃないか、という、そういう提案を私は現在、しておるところです。

で、不幸にもですね、私の友達に当たるある人の奥さんが、現在、裁判中ですが、自殺をしております。そういうことで、ぜひですね、避難している人たちのそういった心情というものを、この中には避難してる人がいっぱいおると思うんですが、そういった人たちの心情もまた、汲み取り願いたいな、と。

今回、決意表明と言うには当て嵌らないのかもしれませんけれど、一つ皆さんにこのことを提案として、またはそれを元にして私たち、住める財産があり、住める家があり、したのが、今、住めない状態にあるわけですね。それにまた、人権、権利というものまでも侵害されている現状をですね、分っていただきたい。以上です。

何が起っても、国は私たちを守ってくれない


人見やよい

2013年10月26日、山口県山口市新亀山ふれあい広場で開かれた「反原発デー集会」より

山口の皆さま始めまして、私、今、ご紹介いただきました人見やよいと申します。福島県郡山市というところから来ました。よろしくお願いします。

山口来るの始めてです。上関原発、もうすっかり止まってるんだとばっかり思ってました。ここへ来てまだ建設埋め立ての計画がただ止まっているだけだとうかがって、本当に耳を疑っています。原発は本当にもういらないものだっていう認識を3.11で私たちは嫌というほど味わっています。これは私、福島県民だから言うんですけど、唯一良かった点はそれだと思うんです。もう原発はいらないっていうことを日本国中の人が知ることになった。それだけが唯一、良かった点だと思います。

良かったなんて言うと福島県の人たちから怒られますけれども、本当、それけです。原発事故で良かった点は。原発がなくても;こして原発が一個も動いてなくても、ゼロでもこうやって皆が普通に暮していけること分ってしまった。それまで、3割原発に依存していると言われていたことが瞞しだったことが、十分、分ってしまった。そして原発は、一度事故を起してしまったら、手のほどこしようがなくなるっていうことも、日本中の方が本当によく分ってしまった。これがオブチガタになってしまったことだけが、本当に唯一の救いです。

それ以外のことは本当、福島では、とんでもない毎日です。私の住んでいる郡山市というのは、原発から60km離れてます。だけどうちの庭は先日、除染のための事前調査というのが市からやって參りまして、庭先で測ったところ土は、0、86μSvありました。0、86μSvっていうのは、もう本当にそろそろ避難しなけりゃいけない数字ですよね。O,6というのが放射線管理区域ですから、それ以上、レントゲン室より高いところで私は今、暮しています。

で、この低線量被曝っていうのは、福島医大や国や厚生省によると影響はないっていう認識らしいです。私たち何度も、国に言ってます。霞が関行って、官庁交渉してます。高い地域は苦して欲しいっていうこと、言ってます。だけどその度に、様々な知見、長崎、広島、チェルノブイリ、様々な知見をもってしても、この低線量被曝というのは影響がないとされてますよ、と。それが世界の知見です、とおっしゃるんです。だけど世界の知見っていうのは、IAEAが決めたものだったりするわけなんですよね。ICRPであるとか。

で、その人たちはやっぱり原発を推進していくっていう立場でものを言っていますから、事故が起きても、「ここは安心し暮せるんですよ」っていうのぞ真っ先にキャンペーンに来るんです。去年も決ました。IAEAが12月に、福島県郡山市にやって来て、世界大会、開いていきました。福島県でですよ。福島県にやって来て、「これからも世界は原発を進めていくんだ、OH!」っていう大会をやったんです。百何十ヶ国のIAEAの代表が各国からやって參りました。その人たちが口々に言ったのは、「これからも福島の知見を活かして、安全に原発を推進します」っていうことだったんです。

本当に耳を疑いますよね。例えば広島や長崎で「これからも原爆を落しますよ」っていう国際集会やったら、皆、本当に信じられないでしょう?それオ福島県ではやられてるです。「これからも安全にやっていきます」と。そしてIAEAが何やったかっていうと除染のこと、健康調査のこと、測定のこと、そのことを福島県と協定を結びました。で、調印もその日して、それから何をやるのかなって思ったら、何か毎日、測ってるらしいです。飛行機飛ばして測ってるらしいです。

でも飛行機は10mの上を何か無人の飛行機飛ばしているらしいんですけれども、10mの上で測られても、本当の線量は分らないです。地面で測ってみないと本当に分らないです。小まめに測らないと、どこにホットスポットがあるかも分らないし、どこで、そこで子どもたちが遊んでいるのかも絶対、分らないと思うんです。それなのに、安全宣言をするためだけにそれをやってるとしか思えません。

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そして県は三春町というところに、環境創造センターというのを建てるっていうのを、IAEAと一緒になって、建てますっていうのを今、やてるんですけど、それが何をするのかと思ったら、つい先日、その概要というのが発表になったんですが、その、放射能教育のためのどうやらテーマパークらしいんですね。そこで何をやるのかと言ったら、やっぱり低線量被曝は安全です、ここで安心して暮してくださいっていうのを子どもたちにこれからも教えていく教育のためのどうやらそういう建物ができるらしいんです。

で、360°映せる大きな、何か日本では2つしかないというデジタチが入るらしです。そこでこれからも、「福島県の皆さん、安心して暮してください」っていうのをやっていくんじゃないかなと思うんです。とっても信じられないです。何でそんなことが行なわれなきゃならないんだろう。よく「福島県の人間は原発、受け入れたじゃないか」って言われるんです。原発、受け入れたんだから、危険を承知でしょう?と。今更、被害者面するなっていうのも、よく言われるんです。東京なんかでデモやてると、そういう野次も飛びます。

だけど、受け入れたわけじゃないですよね。受け入れたのは、絶対に安全だと言われていた原発ですよね。こんなに危険なものだと思っていたら、誰も受け入れなかったでしょう?だから上関の皆さんはこうやって三十幾年間、ずっと反対しておられるというのは本当に素晴しいことだと思います。

で、福島県は今から五〇何年前に誘致して、そこから始まっているんですけど、当時の人たちは過疎化が進む村で、ここは将来的には、仙台のような大都市になりますって、騙されたんです。安全です、と。これからの、未来のエネルギーです、って。本当に国に騙されたんです。それで受け入れたんです。一基受け入れたら、次々と原発立地のために降りてくるお金があって、そのお金によって、麻薬漬けのような形にされて、次々と受け入れさせられたんです。それで受け入れた本人も責任があるじゃないか、被害者面すんなっていうのはやっぱりおかしいと思うし、で、私たちは何にも教えてもらえませんでした。

ご存知のようにスピーディも何ヶ月も隠されてました。逃げる時に、逃げさせてもらえませんでした。すぐにもう100mSvでも安全なんだというお医者さんが福島県に入ってきて、逃げようとする人を止めましたし、逃げた人もその言葉を聞いて信じて帰ってきてます。だけどやっぱり、ご存知のように、出ましたよね。甲状腺癌、子どもたち四〇何人も。疑いありを含めて44人ですか。出てます。だけど因果関係はないって言ってます。

で、先日、東電交渉、いわき市で行なわれて私も参加してきました。その時に言ったのは、東電の方がおっしゃったのは、「因果関係は被害者が証明しなくちゃいけないんですか?」って質問したら、「その通りです」っておっしゃいました。今は、先生方は因果関係はないと言っているのだから、それは被害者の方で証明してもらわないと、払えないと、そういいうことをおっしゃるのです。

しかも、今、汚染水の問題で、何度もニュースで出ていますよね。建屋が建っていて、粘土層があって、その下に砂岩と言われる層があって、そこを汚染水が毎日、1000トンですか、流れていて、日々、400トンあまりの汚染水が外に流出しているという図を私たち何度も見てます。で、皆、疑問に思っているんです。砂岩の上にある粘土層の上にある建屋っていうなは、私たちが聞いた説明とはまったく違うんですよね。何度もボーリング調査を行って、強度な岩盤の上に建てられてるから、安全です、原発は本当に100%安全なんですって福島県民はずっと言われてきたんです。だけどん砂の上に建ってる、粘土の上に建ってる原発って、どこが強固な岩盤なんですか?全然、岩盤じゃないですよね。砂の上ですよ。

砂岩の上に建っている原発っていうのは、私たちが聞かされていた説明とまったく違うじゃないですって、東電の方におうかがいしたら、「あ、それは見解の相違です。その岩盤と言っているのは、その粘土層だ」っていうんですよね。子どもが聞いてもおかしいって思うでしょう?砂の上に建ってる粘土が岩盤だなんて言われたって。しかもその砂の中は、地下水がゴウゴウと流れているわけですよ。それなのに私たちはそういうことを言わて、騙されてきている。そして、今も色んなことが多分、騙されてるんだと思います。

何を言っても聞いてもらえないです。被害を認めてくれと、ただそれだけでも認めてくれないです。そして、いつの間にか分断というのが行なわれています。で、子ども被災者支援法、できました、昨年の6月。超党派の議員立法です。私たちはようやくこれで救済が始まるって思ってました。素晴らしい理念が書かれてました。避難した人も、留まる人も、これから避難をする人も、すべて漏れなく救済される素晴しい理念がそこには書かれていたので、本当にホっとしたんです。

これでようやく、よかった、国の腰が上がったんだと思いました。だけど先日、基本方針、発表されました。蓋開けてみたら、福島県の中の33市町村に限定です。その33市町村って、どうやって決めたのかもよく分らないです。数字の上で決めたのかも分らないし、その町の・・・・何でしょうね、何で決めたんでしょうね。私は未だに分らないです。他にも、年間1mSvを超える地域って全国にいっぱいあります。東京だってそうです。千葉だってそうです。ホットスポットいっぱいあります。年間1ミリ遥かに超える地域っていっぱいあるのに、そういう人たちは権利が認められないってことをはっきりと、国は言うんです。だから何が起っても、国は私たちを守ってくれない。そのことをずっとこの2年半、ヒシヒシと感じています。

本当にそうなんです。原発、建てられてしまったら、おしまいです。国は守りません。東電は補償しません。何かとなったら逃げます。そして私たちは、東電や国や、皆さん、原発に責任があったと思われる人を訴えました。福島原発告訴団として訴えてます。たくさんの人が賛同してくださいました。告訴人となって訴えました。で、受理もされました。だけどこの間、「不起訴」っていう決定が出ました。

何で不起訴かっていう理由を聞きに東京地検と福島地検の説明会に参加してきました。何か、そこでおっしゃるには、「予見不可能だった」っておっさるんですね。津波の想定も、予見不可能だったと。だけど、10mを超える津波っていうのは、十分、予見もされていたし、地元の人たちも、集会の度に言ってました。「こんな高さではすぐに乗り超えてくる」っていう話がいっぱい出てました。

だけど、予見不可能だったって言う。で、土木学会の、何かそういう紙に書いてあるんだそうですよ。何か、この何十メートルという津波の予想は信憑性が低い、というそういう一文があるそうなんです。その一文があるが爲に、当時の規定をもってきては予見が不可能だったという結論で、とても罪に問えないっていう結論を検察側は出しました。

だけど、その土木学会っていうのは東電の社員がほとんどです。自分たちに都合の悪いことはやっぱり、書かないですよね。そしてアリバイ作りのためにそういう一行を何気なく紛れ込ませておくなんてお手のものだと思うんです。で、これからも予測不可能の件でも、福島のこの知見を活かしてこれからも罪に問われないように、たくさんの色んな工作が行なわれていると思うんです。で、どんな想定があっても、「信憑性が低い」であるとか、そういうことがさり気なくそっと書かれているんじゃないかと思うんです。

そして、大丈夫だと言われている、「これは活断層じゃない」と言われていることも、「その活断層だと言っているこの先生の話は信憑性が低い」なんて、さり気なくどっかに書いてあるのかも知れない。いずれ裁判になった時のアリバイのために。だから、国のやることを信じちゃいけないし、国が最後に救ってくれるなんていうふうに本当、信じちゃいけないと思っています。そして毎日、そういうことをやりながら、思うんです。やっぱり、ここは日本の生き方を変える一つのチャンスにしなきゃいけなかったはずだと思うんです。

この、私たちのとんでもない被害っていうのは、これからどんな被害が出てくるか分らないです。子どもたち、これからどんな病気が発症してくるか、分らないです。この被害がね、日本が、日本がライフスタイルを変えて、方向転換をするきっかけにならなかったら、本当に私たち、死んでも死に切れないです。悔しくてたまらないです。そして、日本はそんなに上を上・・・・、右上り、右上りって、目指していかなくっていいんじゃないかと思う。そして経済なんかドンドン上がらなくってもいいんじゃないかと思う。

美しい海があって、安心して作物を作れる大地があったら、それで暮していけるんじゃないかと思うんです。そういう方向で、皆で目指していくべきだってべきだった。べきだったし、これからも、べきだと思います。それなのにオリンピックなんか招致しちゃってね。これからも、経済が上がっていくことが素晴しいんだなんていうふうに、何か上の人たちは進めています。で、そのオリンピックのために、国の整備をして、これからも都会では電気がドンドン必要になって、っていう方向をね、目指してしまうんだとしたら、これからの7年間っていうのは本当に「失われた7年間」になると思う。もったいなくてしょうがないです。

国がどんな方向を目指そうと、「国民はそんなことを望んでないんだ」っていう、私たちは安心して暮せる、豊かな自然を子どもたちに残すんだっていうことをね、力を合わせて、スクラム組んでやっていくしかないって、思うんです。そうしていただかないと、本当に、私たち、悔しいです。悲しいです。はい。だから、上関が絶対に建てられないで済むように私たちも本当に遠くからですけれど、応援しています。

何かあったらすぐ来ます。何でも言います。これからも頑張ってください。有難うございました。

川内村の原産会議プロジェクト


大沼淳一

「緑亭通信」より転載

原子力産業会議といえば、原子力ムラの本丸です。

原産会議が福島県川内村で行っている「きずなスクエア構想」の紹介動画を下記のサイトで見ることが出来ます。
http://www.jaif.or.jp/ja/jaiftv/archive53.html
(8分間ですから、簡単にのぞくことが出来ます。)

内容は見ればわかりますが長崎大学医学部の若い女性保健師が村に常駐し、村人の相談にのっているという紹介が入り、この娘さんがナレーターで動画は進みます。長崎大学は、この村に「長崎大学復興推進拠点」を設置し、彼女はその駐在員ということのようです。村内7か所には食品放射能測定器が備えられて、持ち込まれた農産物の測定を行っています。

30分測定で1核種あたり6Bq/kgが検出限界のようでした。村の祭りや各種イベントのサポートもしているようです。これが、まさに原子力ムラ側の「福島で心豊かに暮らす(?)」モデルなのでしょう。

彼女は、「放射能は恐れすぎてもいけないし、無関心でもいけない」などと教訓をたれています。

こういうやりかたは、ベラルーシで進められたエートス運動に似ています。国際原子力ロビーを構成するIAEAやICRP などが主導し、汚染地域で放射能におびえずに、「正しく(?)」放射能を測定し、被曝線量を測定し、自己管理しながら明るく生きるやり方を住民に指導したのです。

川内村で進められているのは、まさにそのコピーかと思われます。むしろ、IAEAもICRPも、福島に入ってきていますから、コピーではなく、エートスプロジェクトがすでに始まっていると考えた方が良いのかもしれません。

原発事故で放射能汚染した地域でまず大切なことは、避難の権利が認められ、避難先での新しい人生設計を十分にサポートされることです。その上で、どうしても故郷を離れられない人のために、汚染と被曝線量を常にチェックして、極力被曝を避けながら生活する方法が示唆されるべきでしょう。

ところが福島県では、やみくもに帰還政策が強行されています。避難先で、賠償や行政からのサポートが打ち切られて、帰還せざるを得ない状態に追い込まれるような事態も進行しています。安心して避難できない、放射能を恐れる発言さえ封じられ、マスクをしただけで白い目で見られるような状況が続いています。

それにしても、こんな若い娘さんを現地駐在させて進められるプロジェクトを、長崎大学医学部と原産会議がコラボしているという構図は、実に怪しからん、実に恐ろしいことです。