国際放射線防護委員会の創設

ロザリー・バーテル

「チェルノブイリ:信じられない救援の失敗」(2008)より

原子力の平和利用を推進するために、IAEAは国連から労働者たちや一般の人々を防護するために適正な指針を勧告するよう、求めれらました。IAEAが権限を与えられた1957年には、合衆国、イギリス、そしてソ連が大気圏内で核実験を行なっていたことを思い起す必要があります。合衆国が太平洋のビキニ環礁で実験を始めたのは1946年です。ロシアの最初の核実験は1949年です。イギリスがオーストラリアで実験を始めたのは1952年です。

イギリスのロンドンで1952年に開かれた「原子力の生物学的危険性」という経義の出版されている議事録から、容易に見て取れるのですが、マンハッタン計画に加わった物理学者たちは、大気圏内核実験には北半球全体にわたる核の降下物の問題があることを、予見していました。1946年から1950年の間に一連の会議があり、その間にこの物理学者たちは放射線防護の共同体制について合意していました。この物理学者たちは、原子放射線の問題のうち、1)癌による死 と2)生きて産まれた子孫のうちでの、重大な遺伝疾患 のみを勧勘定に入れるべきだと、決めていました。今日でもなお、放射線被曝による「損傷」として通常数え上げられているのはこの2つです。ただし、業界は時には「子宮内での」精神遅滞を含まることがありますが。

多くの人たちの予想に反して、日本での犠牲者たちの疾病の全般にわたる調査は、この1956年の決定では大きな役割を果していません。実際問題として、1950年の日本の国勢調査からは284000人の原爆生存者が特定され、そのうち195000人が当時、広島と長崎にまだ居住していました。ABCCの資料によれば、原爆の爆発の瞬間に爆心から2,5km以内にいた適格者が全員含まれていて、さらに、それ以上遠くにいて被曝した人たちが20%ほど含まれています。この遠くの人たちは年齢、性別、町ごとに一定数ずつ無作為抽出されています。爆発時に2,0km以内にいた人たちとの間に対照ができるようにしたのです。研究者たちは爆心地から10km以遠にいた人たち26000人を「町にいなかった」人として特定することもしました。最初の試験的な線量測定が利用可能になったのはやっと1957年のことです。

…………………………..

この1950年のロンドンの会議では、「標準的な人間」というものについて、細かい議論がされました。その後、核物理学者たちのこの委員会は、医療放射線従事者たちの放射線被曝の防護標準を設定していた「国際放射線協会」という既にあった委員会のところへ出掛けていって、彼らと合体し、「国際放射線防護委員会(ICRP)」を創設するよう求めました。この時以来、物理学者たちは13人からなる委員会の過半数を占めていますが、多くの国々で使われている放射線防護勧告のすべてを、この委員会が作成しています。

ICRPはその後、国際放射線協会との絆は断ち切るのですが、物理学者たち、核国家の医療的規制担当者たち、放射線科医師たち、業務に放射線を使用するその他の人々からなる、メンバーを自己充足する非政府組織(NGO)であると考えられています。ICRPでは、現在のメンバーの誰かによって推薦を受け、執行委員会によって受け入れられた人が「メンバー」になります。職業的専門家の組織がICRPの基幹委員会に人を送り込むことはできません。WHOでさえ不可能です。

放射線防護規準の勧告に直面した時、できたばかりのIAEAはWHOよりもむしろ、ICRPに助言を求めました。主要な放射線災害で、関心事項を不適切に絞り込み、致死性の癌と、生きて産まれた子孫の重大な遺伝疾患とだけを選んでいることを、問題にする人はいないようでした。想像してみてください、セヴェソのダイオキシン大災害で、ボパールのユニオンカーバイドの大災害で、アジアでの津波やカテリナ台風の後で、死者以外は問題にしないなんて、できますか?チェルノブイリの降下物のあった地域での甲状腺癌を取ってみても、こういう制限は明らかに適切性を欠いています。国際放射線防護委員会によれば、甲状腺癌で死亡する人はたった5%ていどだということです。

国際連合のシステムの中でのUNSCEARの権限は、原子力産業の汚染水準と、電離放射線への被曝が環境と健康へもたらす効果とを査定し、報告するというものです。世界中の政府や組織がUNSCEARの見積もりを、放射線の危険度の評価や防護策確立の科学的基礎とし、信頼を置いています。一般的に言って、合衆国を除いて、すべての国が労働者や一般の人々の放射線防護のためのIAEA/ICRPの勧告を受け入れていますが、UNSCEARはそうした勧告が受け入れてよいものかどうかの、チェックになると考えらることができます。

前にも述べたことですが、メトラ博士は1991年にIAEAのためにチェルノブイリの健康調査の責任者でした。その後、ICRPの主幹委員会に指名を受け、同時にUNSCEARの健康影響評価委員会にも指名を受けています。それぞれの機関の権限を考えても、これは甚大な利益相反です。メトラ博士はチェルノブイリの後遺状況調査で、被害を与えたものの中から放射線を除いてしまいました。しかしICRPとUNSCEARという2つの組織での地位を得たのはこうした調査の「成功」より後であって、地位によって成功したのではないではないかと、論じる人もいることでしょう。ご指名は見返り謝礼、という方が当っていそうです。

2つの国連機関でのメトラ博士の地位は、彼の報告書より後なのですから、そうした彼の地位が、彼の発見に影響したというのは明らかに違います。けれども、医学学校の教科書に欠いてある専門職業的情報は大半、そしてまた健康物理学のプログラムも1957年以来ICRPによって作られていて、またメトラ博士が最初に取った学位がコロンビア大学の数学士で、ついで1970年にトマス・ジェファースン大学から医学博士号を取っていることなどが分ると、癌の初期症状を報告できずにいることが明白になるのです。

メトラ博士は、ICRPの潜伏期モデルの下では、明白な癌であっても10年の潜伏期を持たないものは、放射線に関係のあるものの数に入らないということを、しっかり学んだわけです。そういうわけで、チェルノブイリの甲状腺癌は目には入っていたのに、放射線が原因のものとしては報告されませんでした。惨事の5年以内に発症しますから! 原子力産業が、放射線と、人の健康の科学的情報を独占しています。そうした情報が大学を通じて原子炉施設に、病院の放射線科の研究室に、国連組織に、原子力産業の独占のもとに拡散していきます。その先にはさらにずっと深刻な問題があります。通常、人は理論よりも生の事実を信じます! 理論を事実として教え込まれる時、状況はより煩わしいものになります。ICRPは放射線の健康上の効果に関する、作り物の「合意」を形成したのです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Website Protected by Spam Master


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)