ハンス・ブリクス氏の暴言

竹内雅文

ハンス・ブリクス氏は国際原子力機関(IAEA)の事務局長だった人で、任期は1981年11月30日から1997年の12月1日まででした。現在の天野氏の2代前の方だということになります。

チェルノブイリの事故の時には、ちょうど彼が事務局長でした。困ったことに、当時のブリクス氏には、起っていることの重大さがあまり理解できていなかったようです。フランスの日刊紙「ル・モンド」の1986年8月28日には「原子力産業の重要さを考えれば、チェルノブイリ規模の事故が年に一度くらいあっても、それで良しということだ」という発言が掲載されました。この発言はその後、今に至るまで、IAEA責任者の失言として繰り返し取り上げられ、糾弾されています。

それに先立つ6月2日には、「チェルノブイリでは、昨年ブリュッセルで起ったヘイゼルサッカー場の乱闘事件ほどにも、人は死んでおりません」と発言して物議を醸しています。1987年頃には、もうあと一年くらいの間に、ベラルーシやウクライナの避難民たちは、皆、故郷に帰れる、と言った意味のことをあちこちで発言していたようです。

ところでブリクス氏はスエーデンの出身(1928年生まれ)で、1978年10月18日から1979年10月12日まで、同国の外務大臣でした。その後、国際舞台に転出したわけです。外務官僚の超エリートであったわけなのでしょう。これは、後任のエルバラダイ氏、天野氏も同様です。

ブリクス氏には原子力発電所の事故とはどういうものか、被災者はどんな状態に置かれるのか、といった点について知識が不足していたようですし、エリート官僚特有の「上から目線」で、現場の人たちの苦しみも十分に見えていなかったのだろうと思われます。しかし、こうした人たちが国際組織を動かしているのです。

ブリクス氏は決して無能な人間でも信念のない人間でもなく、イラク戦争に至る過程で国連の要員としてIAEAでの後任者エルバラダイ氏とともにイラクに入ったブリクス氏は、根も葉もない核兵器保有疑惑をネタにイラクを攻撃しようとしていたブッシュ政権に追従しようとはしませんでした。天野氏のイラン問題を巡る動きが公正を欠く点にも、きちんと批判をし続けているようです。

現在のブリクス氏は、チェルノブイリ原子力発電所の石棺に被せる、巨大な覆いのための資金集めの財団で代表をしています。こんなものを毎年一基ずつ作るわけにいかないことをブリクス氏は理解していると思いますが、覆いが完成しても、彼の失言が人々の記憶から消え去ることにはなりそうもありません。


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