福島市野田町界隈

イヴ・ルノワル

2014年10月12日、福島市野田町の佐々木慶子宅近辺からの、イヴ・ルノワルによる報告

1。はじめに

藤本智子とイブ・シュヴァリエ、竹内雅文、マルティン・ヴァルタと私とは、荒川の際に建っている佐々木慶子さんの大邸宅に厄介になっていた。この川は、福島市の東部をほぼ南北に流れている阿武隈川の、支流の一つである。

荒川は市街の中心部を迂回して南側を流れ、野菜畑や稲田や果樹園に水を運んでいる。慶子さんの家は新幹線の駅から遠くなく、田畑のある地帯から見れば東の端になる。下の地図では、左上のあたりにある樹木のマークのあたりである。

y-n01

前日に農道の細い網の目を通って2,5kmと少し東に行って、全体を眺めた。四角く細かな区画に区切られた耕地に混って、まだ工事が終っていなくて、グーグルアースの衛星写真にも載っていない、新しい太陽光発電設備の敷地があり、すぐ近くには、若い人たちのためのサッカーと野球の練習場もある。

まず、家の周辺部の放射能を測ったが、その結果に私は困惑した:
・家の前の路上で、0,35 μSv/h
・果樹園へと続く道の通っている土手に抜ける、家と隣家との間の小径で、0,45 μSv/h
・家とこの土手道との間の斜面では、0,5 〜0,75 μSv/h
使用計器は、ベルラド研究所から貸してもらっている、検出部の4本あるソスナである(1計測に25秒)

2。 4個所

道に沿って4個所で計測をしたが、その位置は下の航空写真に赤い数字で示してある。

y-n02計測器は腰のベルトの位置、つまり地上から約1mで水平に保持している。だから、4本の検出部は地面から正確に2πのステラジアン角に従って到来するガンマ線を記録する。空から来るガンマ線も同じステラジアン角に従う。

計測した値から0,12 μSv/h(自然放射線)を差し引くと、土中にあるセシウム137からのガンマ線がどれだけかが分る。

時速約6-7 km の早足で歩きながらの計測による平均値になる。1計測は25秒である。50mほどの間における、ガンマ放射空間線量の平均値が得られることになる。

窪地などに流れが運んできた放射能が溜って、ホットスポットになっているが、人が通常まず近づかないような場所の場合には、考慮から外すことにした。

赤字で番号を振った4個所にはそれぞれ、次のような特徴がある。
1 左にはほぼ建設を終えた600 kW の太陽光発電所がある。右には野球場がある。
2 数字の下になるが、道の反対側は野球場で、表面は土である。
3 数字の左になるが、高圧線の鉄塔が立っている。周囲は田畑や果樹園のある典型的な光景である。
4 数字の右に一種の狭い橋(水道施設)が荒川を跨ぎ、そのまま真っ直ぐ、真北の位置にあるのが、屋根に太陽光設備を載せた佐々木慶子宅で、道に沿って建っている。

畑作も稲作も、普通に行なわれていた。林檎の収穫が始まっていて(梨や桃は既に収穫を終えていた)、稻藁の束は積み上げられ、野菜畑の手入れも行なわれていた。土曜日には、高校生たちがサッカーをしていた。日曜の朝、9時少し前、野球のチームが試合の準備を終えるところだった。土手道には、人々がジョギングをし、散歩をしていた。若い人たちが自転車に乗って来ていた。

3。 写真と計測
3.1 第1地帯

y-n03北西の平地は現在、太陽光発電所になっている。右には野球場があって、隅には、道に挾まれて更衣室がある。太陽光受光部の並ぶあたりでは放射能の計測値は0,25 μSv/hだが、砕石が20cmほどの厚さに敷かれていることが、影響していよう。野球場では0,5 μSv/h 近辺である。4枚目の写真は、道の反対側あたりの荒川である。

y-n04y-n05y-n06y-n07y-n08y-n09太陽光発電材料の中でも、もっとも安価な部類になる、非結晶シリコンの技術が使われている。1枚目の写真に写っている立て札には、この発電所を作った会社の名前などが記されている。

最後の写真は野球場の反対側の風景だが、稲田は刈り終えられ、葦原があり、右手には有袋、左手には無袋の林檎が見えている。

3.2 第2地帯

y-n10y-n11右手、中ほどの高さの位置にサッカー場があり、2つのゴールが人目を引く。計測した放射能の数値はサッカー場では0,55 〜0,65 μSv/hであった。果樹園もほぼ同じであったが、やや高い場所もあり、0,75 μSv/h ほどに逹っした。反対に、水田や畑地では数値は低く、0,3〜0,45 μSv/hほどであるが、恐らく、土を耕したり、起こしたりした爲ではないだろうか。そうすると、セシウムからの放射の一部は土の下になり、土に吸収されるので線量は低くなりはするが、セシウムが減ったわけではない。植物の根がそうしたセシウムを吸い上げる可能性は常にある(その土地の物理的な性質、土壌中の有機質の量、栽培植物の種類、施肥の状態、特にカリウム肥料の量などによって、吸い上げ方は異なる)。

荒川の縁では、放射線量は概して高い。0,6〜0,75 μSv/hである。アスファルトやコンクリートの敷かれた場所では、線量は低くなる。0,45 μSv/h 前後である。

3.3 第3地帯

y-n12まず目につくのは鉄塔とその影である。地面は小片に仕切られ、野菜畑、稲田、果樹園が入り混ってパッチワークさながらだ。この付近一帯にもっとも普通に見られる土地の様相である。続く写真では、労働の質、樹々、とくに桃の木の美しさと力とをご覧いただける。遠く、稲田の向うに見えているのは梨の木だが、一種の支え木を水平に渡して、人工的な樹冠を作り出している。土は驚くほど豊穣で、手入れの行き届いた産物は格別に健康そうな様子である。農薬類の特有の臭気は私にはまったく感じ取れなかった。ただし、一年中そうなのかどうかは、調べてみる必要があるだろう。

y-n13y-n14桃の老樹の切り倒された幹が果樹園の縁に積み上げられて腐るに任されていた。切り株は、生えていたままの場に残されている。木々の枝が払われていて、風通しが良く、樹間距離も充分に取られて、隣りの木どうしが邪魔をしないようになっている。

y-n15y-n16y-n17y-n23y-n213.4 第4地帯

y-n25橋の軸上に正確にあるのが慶子さんの家だ。もっとも高い放射能の値が計測されたのは、家のすぐ前にある弓形の小径のあたりだ: 0,75 μSv/h 。
原発事故以来、日本では、太陽光発電が本当のブームであり、家々の屋根や工場あるいは商業施設の屋上もそうなのだが、太陽光発電所の形を取っているものもあり、 いちばん大きなものでは最大出力50MW を超える。
佐々木慶子の家では勾配の付いた屋根の南向きの部分の大半は受光装置に覆われているが、そこから数百メートルほどのところでは、地面に枠を設置して、多結晶シリコン技術を使った最近の型のパネルを見掛けた。

y-n26y-n274.結論は?

結論を出そうとするのは馬鹿気ていると、ギュスタヴ・フロベルが何度も言った。2011年3月11日の福島第一原発の爆発に由来する放射性降下物の害を受けている地域の置かれている、この奇妙な、整合性を欠いた、カオス的状況では、こうした攻撃的物言いがかつてないほどに当て嵌る。

県庁所在市の周辺部と言えるこのあたりに付け加えられた外部被曝値は結局、0,4 μSv/h (3,5 mSv/年)程度である。これは地表近い部分の土壌汚染に換算すると200 000 Bq/m2程度になるのだろう。しかし3年半が経つ間、除染も試みられ、豪雨も何度かあり、初期に蓄積した放射能のかなりの部分が運び去られ、あるいは地面の下に沈み込んだ。この地下に染み込んだ放射性物質から発する放射線は吸収され、その強さは、沈降した深さに応じて指数関数的に低くなる。200 000 Bq/m2 という値は、土壌の実際の汚染よりも、低く出ていることになる。本当の汚染の重大性をはっきりさせるには、数多くのサンプルを採取して分析しなければならない。

何れにしてもこのあたりは、旧ソ連の汚染地域に残された管理下に置かれた地域と同等の汚染地域である。ここからの収穫物をどうしているのか、詳細な調査を行なえば、生じる危険性について日本の当局がどのような考えを持っているのか、明かにできることだろう。私が見た範囲内では、農民たちは経済的に困っているようではなかった。クルマに乗って田畑にやってきて、落ち着いて作業をしていた。若い人たちは土埃の舞い上がるグランドでサッカーをしていた。新な危険がどこにでもあるのだが、そんなことは誰も気に留めていないようだった。

福島第一から10km少々の浪江町は準立入禁止地域なのだが、そこでこの数時間後に計測した数値は0,10 〜0,23 μSv/hだった。野田町の高い数値と、立入禁止区でのこうした数値を突き合わせてみなければならない。事故の帰結の管理に、理解し難い不整合があるのが、比較から明かだ。発電所の廃墟から12〜13kmの距離での0,26 μSv という数値は、その地域の汚染が、同じ発電所から60km以上離れている佐々木慶子さんの家の近辺と比較して、放射性残留物の蓄積量が、3分の1程度であるためであるからだと、考えるしかない。なのに、距離さえ離れていれば、放射線から守られるとでも言うような施策が取られているのである。

最後に、著者はたいへん上手い具合に風水を取り入れた部屋で、3晩を過すという喜びを味わったことを付け加えておこう。

y-n28部屋は慶子さんの家の3階にあって、南向きのガラス窓を隔てて荒川に面している。伝統的な寝室の作りそのままというのでもないようだ。共用空間である大きな部屋とは、3枚構成の引き戸で隔てられている。頭を西にして布団を敷き、窓は開けたまま、背を北に、川の流れの呟きに揺られ、新鮮なそよ風が頬を撫でるに任せて、私は眠った。ちょいと覗いただけのその時から、私は勝手にお気に入りの場所に指定させていただくことにしたのである


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