核の時代という神話(抄訳)


ジャンマルク・セレキアン

2011年9月13日

フクシマ以後の考察・第4部

金銭は戦争の神経系である。宗教戦争でもそうだ。核の時代という神話は多分、誰か妄想的な人の頭で自発的に芽生えたのだろうが、それを効果的に広めるには莫大な資金が必要だった。核の司祭団のメンバーたちは、清貧をありがたがりはしなかった。

フクシマの黙示録の後、核の時代の栄光と富に満ち満ちた聖堂の最後の10年間を、私たちはおそらく生きているのである。その神話は、今や蒙昧主義のものである。

核のインターナショナル

IAEAという名の方が良く知られている国際原子力機関は、国連を媒にした合衆国の製品である。国連(united nations)というのも、国民(nation)の連合だと言っているが、客観的に見れば国家(state)のカルテルで、この脆弱な機構を占領しているのはまさに国家である。united statesなのだ。この事実としての状態によって、国連は今もなお、合衆国United Statesを筆頭とする専制のより集りということで…..

IAEAは核の時代の世界的な到来を目指してプロパガンダを行なう国際的な機関である。創設は1957年だ。名誉ある機構の中で、IAEAは当初から、その特殊な階級的位置からくる例外的な権力を与えられていた。例えばWHOはIAEAに恒久的に忠誠でなければならない。エネルギーという微妙な主題に関して、作成した文書を核の時代のドグマに適合するよう、読み直し、修正することを余儀なくされるのだ。

かの脆弱な機構の最上位に置かれているIAEAは、文化的放射能、科学的放射能のご威光の限りを尽して照り輝かなければならない。IAEAこそは、新しい時代を切り開くべき福音を伝える新しい教会なのだ。

その中心的なドグマは«核の処女受胎»で、三本足の概念(訳注)でできている。進歩の中にある«平和»、«富»、«健康»という、この三本足は«平和のための原子力»«豊かさのための原子力»«健康のための原子力»という3つの神話の三位一体ふうの中に照り輝く。

訳注: 概念: フランス語では«受胎»と«概念»が同じ語根の似た語になる。

IAEAが設立された栄光の時代、全世界に«アメリカの平和Pax Americana»が築かれた。この産業発展の新時代のオーラのためには、新世界の母国民を広島と長崎という二重の«原罪»から洗い清める必要があった。正式な言い方に従うならば、«戦争犯罪»であり、«人類に対する犯罪»である、もしも、第二次世界大戦の大いなる勝者にも適用が可能なのならば。歴史学者たちはずっと以前から、この2つの犯罪行為が軍事的地平では完全に無用のものだったことを知っている。日本はずっと以前に勝機を失なっていたし、ギュンター・アンデルスが喚起しているように、原子爆弾の「製造は、最初は、国家=社会主義の«無化主義»の拡大を食い止める以外の目的ではなかった」…..

第二次世界大戦に勝利者となった軍=産の支配的な力が、大量破壊兵器を完璧にし、多重化していくための«核実験»によって地球を殴りつけていた間、かの脆弱な機構の中にあって強い手段と例外的な地位を付与されていたIAEAは地球を巡り歩いて諸国に布教をしていた。核の時代の到来という福音を携えていたのだった。

そうしたセミナールでは、核のサイエントロジーの上級免状を持つ連中が、核の反軍的«貞操帯»という新しい観念を発展させつつ、«処女受胎»なる中心的ドグマを構築し、鍛造していったのだ。

エーテルに満たされた球体の中で、核の教会の高位司祭団は様々な核の物質的施設の間で概念的貞操を確保し、そうして«核の二重の処女受胎»に到達するために、«善悪の軸»を慎重に引いていった。実験炉、エネルギー炉、製錬工場、再処理センターの数々が、核の貞操の組織図の従って、«ハラル»«可»と«ハラム»«禁»(訳注)とに振り分けられたのだ。

訳注: ハラル、ハラムはアラビア語

設立以来、この国際機関は絶え間なく沸き立っている。物質的に低い核の世界では、絶えず係争点が出現するのだから。抑圧を解かれた«ハラム»が時折、無恥に、そして奥深過ぎるところにまで、«ハラル»に入り込み、貞操が完璧に確保されたためしはない。そこで絶えず多量の宣教師たちに世界中を隈なく歩き回らせ、核の使い方の中に原理主義を確保し、«良きお言葉»に適合させるのである。

機関の人々はしばしば交渉に携わるが、交渉は終りがなく、難しく、しばしば厄介で、時に試練である。そうした人々の中には、使命感、例外的な明晰さ、そして非の打ちどころのない原理主義によって、核の聖人の域に逹し、ノーベル平和賞によって祝福を受ける者も出てくる。モハメド・エルバラダイこそはその至上の光輝ある化身である。核、平和、豊かさ、健康の«ニューエイジ»の到来に奉仕した栄光ある過去によって後光のさしているエルバラダイは、光輝満てる未来のパースペクティブの中で、至福の人々の列に引上げられる。アラブ世界の中での、石油の時代の古き軍人専制から、担い手が変っていく時期にあたっていたのは、彼には幸福な状況であった。エルバラダイが故郷であるエジプトに原子力の洗礼を施すのが既に予感される。

核の拡散は核に内在する必然

だが、国際機関が掲げている善き意図などに騙されるのは終りにしよう。かの脆弱な機構が半世紀来、核の聖化のために続けているサイエントロジー風の世界十字軍と同様、他の戦争の神経系も何十兆ドルという金であった。核は、いかなる国にも«平和»も、«豊かさ»も、«健康»ももたらしてはいない。«ハラル»な研究施設、あるいはエネルギー施設が出現してからアフリカでは伝染病が猖獗し、大規模に核化されている西欧では、癌の増加が停まるところを知らない。«約束の地»にあってさえ、戦争はずっと続いたままで、豊かさなどはまったく仮初めのものでしかない。しかし実にこの、神聖なる教義が激しく争われ、係争の絶えない聖地中の聖地に、60年代にフランスは«ハラム»な核再処理施設を提供(資金面からだが)したというのだから怖れ入る。

イランや北朝鮮の«怖るべき»核の陰謀を、IAEAは演出し、暴き立てたが、自らスターになっただけの話である。その権力、核のインターナショナルの権力を押し付け、«核の三位一体»を信じ込ませるために、IAEAは«悪の枢軸»の烙印を押す。

当初から、«核の拡散»は所謂«民生»原子力とは、単純に経済的な必然性によって緊密に繋がれていた。フランスはそれをよく理解していたが、実のところ、理解すると言ったようなものではなく、エネルギーという強迫に支配された世界の、確固たる現実そのものである。その独占が権力の絶対的な源なのだから。

                            (以下、フランスに関する記述が続くが、省略する)

新しい教会の長女と、神話の終焉

しかし核の時代の世界の中で、新しい教会の長女の称号は反論の余地なく日本のものである。

«平和のため、豊かさのための原子力»が日本に拡散したというパラドクスは、IAEAの布教活動だけでは説明し切れない。戦争によって、焼夷爆撃によって、敗戦によって、そして原子爆弾によって多重にトラウマを負ったこの国で、合衆国はショック療法を  選んだ。悪の治療には悪をもって。戦争のための核の治療には平和のための核で。しかし、帝国主義と軍国主義の時代の遺産といえる、日本が内にもつ諸要素もまた、合衆国の任務遂行をしやすくするものであった。

あらゆる軍事的宗教的な歴史的要因が熔け合わさって、ヒロシマとナガサキという2つの核のトラウマを奇蹟的に変質させ、トヨタ主義と並ぶ新しい経済戦争に役立つものにしたのである。

記憶の番人である歴史家たちは、日本がどのようにして、ヒロシマといナガサキを、日本の原子力アヴァンチュールの道具として使ったかを知っている。福島の発電所の建設の時の、一つの挿話が事故後、再浮上してきた。地元の人々は発電所には賛成でなかったし、通常の技術的、経済的な議論は、彼らを説得するに至らなかった….そこで、ある東電の社員が、自分の誠実さと、地元の人々の懸念をもっとも良く理解できる立場の人間であることをしょうめい する殺し文句を思いついた。1945年8月6日、広島にいました、と彼は言った。原子爆弾で町が灰になった日に彼はそこにいて、そして兄はそこで亡くなりました、と付け加えた。彼は体にも心にも深い傷を負った、«ヒロシマ体験者»で苦しみの過去という栄光に輝き、だから並の技術者のような嘘が言えるはずはない。人々は彼を信じ、そして発電所は建設された。多数の核の代理人たち、そしてまた体制側の知識人たちが、ヒロシマとナガサキの過去とトラウマとを広く、平和と豊かさと健康のための原子力という神話を作り上げ、信頼させるための道具として利用したのである。

今日、こうした多くの物語が苦い想い出として蘓える。権力の手先になる一握りのエリートたちが平気でつく嘘の物語である。

2011年、広島長崎の原爆犠牲者で作る日本原水爆被害者団体協議会は、合同慰霊祭の際に、列島の完全非核化のために闘うことを決議した。半世紀前に啓示を受けた科学者たちの頭から生まれた核の時代の神話は、今や、蒙昧主義のものである。