私の友達のジャックがねえ…


CRIIRAD機関誌25/26合併号に載った、メンバー2人(R・シャゼル、M・マザル)によるベラルーシ訪問(2003年4月)記から

私たちの最初に歩を踏み入れたのはストリン地区である。フランスの核ロビーが始めたエートス・プログラムは、この地区で進められている。地域はまったく孤立していて、ブラリとやってこれるような場所ではない。泊まったホテルのすぐ脇には、巨大なレーニン像が、街にのしかかるように聳えている。ホールには大惨事の結果起こっている様々な物事を処理するのが仕事の、コム・チェルノブイリという政府系の団体の責任者が、私たちを待ち受けていた。私たちがこの地区にいる間、彼がお供をするというのである。私たちは住民たちと話がしたいのだが、場合によっては、彼をうまく巻く必要もでてきそうだった。

«mon ami Jacques…»(私の友達のジャックがねえ…)というのが、彼の知っているただ一つのフランス語の«言い回し»で、ろくでもないが、何度も何度も繰り返すことになるその言い回しに出てくるジャックというのは私たちの大統領ではなく、エートスの責任者の一人であるロシャール氏のことであり、COGEMA(総合原子力社。アレヴァの前身),EDF(フランス電力),CEA-IPSN(原子力局=原子力安全保安研究所)という、フランス原子力界の三大勢力を一纏めにした「npo法人」CEPN(原子力部門防護評価研究センター)の代表である。フランスではモスクワの監視という考えはお馴染だろうが、ここでは旅の途上、ずっとパリの監視というものにつきあわされることになったのだ。

ベラルーシへの旅を準備している最中に、この地域でエートスのために働いているパシャという看護婦が主人公のルポルタージュを、インターネットで見つけた。今日、「案内役」の監視下で、私たちはオルマニー村まで、彼女に逢いに生くのである。チェルノブイリの結果と取り組む測定専門家とての彼女の体験を話してもらえるものと期待していた。

番組ではパシャは地域地域にある放射能測定センターの一つで働いていた。こうしたセンターはベルラド研究所の作ったもので、フランスの科学者たちの提案によってベルラドからコム・チェルノブイリの手に奪われてしまったのだ。彼女はやはりそうしたコム・チェルノブイリの測定所にいたが、しかし、ピンスクという別の町の測定所に移っていた。このエピソードに関して彼女が言うには、「以前は、ベルラド研究所が給料を払ってくれましたが、エートスが始まると、装置はピンスクに映されました。私の給料の方は、ちゃんとしてもらえませんでした。研究予算はここまで回ってこないようです」

エートス・グループの要求する仕事は、大部分、彼女の肩にかかっている。インターネットにあった、彼女のことを書いた文章を、私たちは持っていっていた。「パシャ、チェルノブイリ後に生き甲斐を見つけた」という題の記事である。彼女をキーパースンの一人として、エートスの栄光を謳い上げようというわけだ。

記事を彼女のために読んだが、「欧州委員会の出資を受けたフランスの研究者たちからなるエートス・チームは、まさに救い主だった」という部分を彼女は話題にした。「このくだりをお読みいただいた時、凄いショックでした。問題が何一つ解決していないのに、全部うまくいったみたいに書いてあるじゃないですか。放射能はそのまんまだというのに」

(パシャの証言はもっとあるが、今はここで止めておく。彼女にとって舌禍になる可能性もあるからだ。私たちは別の印刷物で、この分を埋め合せようと思っている)

日を追って、私たちに少しずつ奇妙な感覚が忍び込んできた。あちこちで、どうしてペクチンにはお金が出ないんでしょうね、ということを聞いたのだが、実にスラスラとこんな答が返ってくるのである。「だって、効くからですよ。そうなったら、もう実験できないじゃないですか。私たちが徐々に汚染されていくのを観察して、そこから教訓を引き出して、知識を増やしたいんでしょう、それができなくなっちゃうからでしょう」

醒めきった答えの中に、酷いことになってしまったこの地域に毎年毎年、入れ替り立ち替りやってくる科学者たちの行動がどんなものなのかが、雄弁に物語られている。チェルノブイリ大惨事の犠牲者であり、一かけらの民主主義もない政治体制の犠牲者でもあるベラルーシの人びとは、それに加えてまた別の苛つかせる連中がやってくるなど、本当に真っ平なのだ。途方もない孤独を感じさせる元が彼らの国にあるとすれば、途方もない怒りを感じさせるものが、私たちの….