嘘をやめて体内除染研究を


ミシェル・フェルネ

2012年5月16日広島市立大学平和研究所での講演より

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私は、ベラルーシの子どもたちを助ける活動をしている「チェルノブイリ/ベラルーシのこどもたち」の一員として、また同時に、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の一員としてここに参りました。実は25年前にもIPPNWの関係で広島に来ています。私は原発と核兵器の双方と取り組んできました。核兵器の情況は未だに45年当時の何千倍も深刻です。兵器も原発も同じように莫大な健康被害を与える、一繋がりの問題です。

福島の事故はまだ終わりがなく続いています。放射能に汚染された水が地下水に漏れてそれが海に行くという状況でどうなっていくかまだわかりません。先がわかりませんが、今大事なことは福島にいる家族をどうやって支援していくかです。特に最初の6年間ぐらいが非常に大事で、食料を送るとかバカンスの場所を確保することが重要になります。

福島とチェルノブイリに一つ大きな共通点があります。それは「嘘」です。政府によって嘘がつかれ、真実が言われていないことが家族を不安に陥れています。

ベラルーシと日本の両国とも最初の段階では、ヨウ素131の問題が大きかったです。安定ヨウ素剤をきちんと配らなかったことが共通点として挙げられます。ヨウ素が去った後は、セシウム137という半減期30年の物質が脅威を与えています。最初、セシウムは空気を通じ、呼吸によって肺に入っていきますが、一方では地表に落ちていきます。体内に入ると特定の器官に集まって蓄積していきます。

セシウムを何とかするためには、まず測定することが大事で、比較的正確に簡単に3分間でだいたい様子がわかるイスの形をした簡易型ホールボディカウンターがあります。セシウムは地に落ちてしみ込んでいき、それを植物が吸い上げ、野菜や果物に吸収されることが問題になります。食品が直接体内を汚染していく一方で、ベラルーシの場合、燃料として薪を燃やし、灰を肥料として使います。そこからさらに食品の汚染が広がっていくという問題があるわけです。

ヨーロッパ全域で地域地域の詳細な汚染地図が作られていていつでも使えます。ベラルーシでは、これとは別に、子どものホールボディカウンターの測定結果を基にした子どもの体内汚染地図が作られていて活用されています。現在ベラルーシでは子どもの約80%に異常がみられるという状況になっています。地図をみても非常な深刻度がわかりますけれども、どうやって子どもたちの体内汚染を取り除いていくかが大きな課題になっています。

リンゴに多いペクチンが有効

冷戦の時代、70年代頃ですが、ソ連ではそうやって人体が核汚染した場合、どうやって取り除くかという研究がイリンとコルズンという学者たちを中心に広く行われました。イリンたちの研究で、ペクチンという多糖類に、放射性核種を吸収する力があり、しかも体内に吸収されにくいことが分りました。腸内で放射性物質を吸収してくれるので、セシウムは糞便と一緒に排泄されるのです。

ペクチンは野菜やリンゴにたくさん含まれています。また海藻にも多く含いです。黒海で採れるアマモに非常に多く含まれていますが、それに次ぐ第2の産地が日本の南部とされています。ソ連軍は当時、これによって核戦争に対する一つの武器を得たと考えました。この物質はソ連では商品化され、30年前から売られています。

フランスでは同じようなペクチン剤が、重金属、水銀とか鉛など鉱山労働者の体内汚染に対する薬として使われています。以前、自動車工場などは非常に汚れていて、こういう薬が必要だったわけですが、今の自動車工場では、そういう状況はもうありません。現在、ドイツとかウクライナでペクチンの薬が大量に作られ、活用されています。リンゴのペクチンの方がにおいがよくて食べやすいとヨーロッパで考えられていますが、日本なら海藻の方いいと言う人もいることでしょう。ベラルーシは最初、ロシアからペクチンを買っていましたが、逆にベラルーシで作って外部にも供給するようになってきました。

ペクチンは多糖類で分子が非常に大きいです。長くて複雑な形をしているのでそのままでは吸収ず、糞便と一緒に出ていくのが中心なのですが、一部は大腸の中でバクテリアによって、中ぐらいの大きさの幾つかの分子に分割されます。そうなると体内に吸収されるらしいということが最近わかってきました。吸収されたペクチンの破片が血液とともに体内を回り、セシウムや重金属を回収し、尿と一緒に排泄されるということもわかっきました。

肝臓周辺にもセシウムは集まるりますので、胆汁にはそれを回収して腸内に排出する機能があります。これはそのままだとまた腸で再吸収されてしまいますが、その時にペクチンがあれば再吸収されないで糞便の方に行ってくれることになるのです。

セシウムが集まる場所は幾つか決まっていて、例えば心臓によく集まります。そういう数値の比較研究がベラルーシとかロシア、ウクライナで行われていて、ペクチンなどの排泄する機能のあるものを適切に摂ると、心臓疾患などの発生をある程度抑えられるらしいということが数値として明らかになっています。

ビタミンA・E、カロチンも重要

セシウムであれストロンチウムであれ、放射性核種が出す放射線がガンマ線であろうとベータ線、アルファ線であろうと、結果としての病理はだいたい同じようなもので、放出される核種が体内の分子を壊すことによって遊離した状態のフリーラジカル(遊離基)を生みだします。あるいはそれを拾う形で過酸化状態の分子を生みだします。それによってたんぱく質が、あるいはゲノムが破壊されるのです。

人の場合、過酸化物と闘う酵素を持っているのですが、酵素が働きやすい条件と働きにくい条件があって、働かせるためにはビタミンAとかビタミンE、あるいはカロチン類の存在が非常に重要です。

鳥の話をしましょう。チェルノブイリでは鳥たちも有毒な放射性核種にさらされてきました。鳥たちも酵素を使って闘っていて、そのためにビタミンと並んで赤い色素、カロチン類を必要としています。チェルノブイリの周辺にいる鳥をみると、例えばコマドリは胸の赤いはずの部分が灰色だったり、ツバメの喉も白かったりという問題があります。放射能と闘うために色素を使ってしまうので、体が赤くならないのだと考えられます。ただ、ツバメがチェルノブイリの辺にいるのは渡り鳥であるということが大きいです。もし渡るということがなかったら多分、ツバメはみんな死んでいて、今はいないのではないでしょうか。

人間の場合の食品を考えていくときに、もちろん放射能汚染がないということが一番大事ですが、それと並んでビタミンAやカロチン類が豊富なものを摂ることが大事だと思います。カロチン類が安価に摂れるという点で、ニンジンが一番ですが、トマトもありますし、赤や黄色の果物類ならばよいのです。牛乳は、子どもたちにはジャージ種がいちばん良いです。ジャージ種の乳が黄色なのはカロチンがあるからです。カルシウムも多く、いろんな意味でよいわけです。

子どもや孫に異常

ここから難しい本来の話になります、ぜひ日本の学者に、一生懸命研究して日本の問題を解決するだけでなく、世界に伝えてほしいということがあります。

細胞の核の中に染色体があります。普通は染色体が放射線で傷つけられるのが問題になっていますが、それとは別にペリジェネティクという概念を使って説明したいことがあります。放射線が核の中に入って染色体、あるいはゲノムを破壊します。それが催奇形性だというのが普通の説明です。これが誤っているわけではないのですが、放射線が核だけでなく、細胞質のなかにも入っていった場合を考えましょう。核の外にある大量のたんぱく質のいろんな分子を破壊します。たとえば、ミトコンドリアです。そういう場合をペリジェネティクという概念で現わしています。ジェネティクは遺伝や遺伝学を現す言葉です。そしてペリは周辺部という意味の接頭語です。

細胞が普通に二つに分裂する場合を考えてみましょう。細胞質の中に染色体が出て、中心が二つあって線で結ばれたような構造に変わっていきます。分解した染色体は、片方は左側の中心、もう一つは右側の中心にいきます。そして染色体は23組ありますがが、23の片割れがそれぞれに集まって全く同じ形の核が二つでき、二つの同じ形の細胞に分かれる様子は、顕微鏡を覗けばはっきり見えます。一つ一つの形や順番などを確認することができます。

その時、染色体が壊れている状態を考えてみましょう。両方に対称にできるはずのものが、片方の腕がちぎれてもう片方についてしまっている、というようなこともあるのです。交差するような状態になっている染色体もありますが、そういう状態になっているものはきれいに離れることができませんから、壊れた形でちぎれたようになって双方にいくということが、傷ついた染色体の場合には起こり得ます。そういう状態になっていることを考えてみましょう。

そういう場合に、細胞は普通、死んでしまうのです。でも、ミトコンドリアが破壊されていると、この「自殺プログラム」が働かず、奇妙に接合した細胞がそのまま残っていってしまうのですね。これがペリジェネティクの一番の問題点なのです。

普通に知られている奇形の生成した状態というのは、だいたい薄まっていくというか、形成不全の要素が薄まっていくのが普通ですが、こういうペリジェネティクの状態では薄まっていくことがないという、非常に悲しい現実が確認されているわけです。

チェルノブイリ発電所の後始末をするために動員された何十万人という人がいます。亡くなった方もいらっしゃいますが、比較的軽症だったか症状が出ていない人でも、その子どもに異常が現れるケースが多く観察されています。これがペリジェネティクという現象と関係があると私は考えています。ソ連の核実験場のあったセミパラチンスクの近くにさまざまな放射線病院があって、これを研究しています。そこでも、被曝した本人よりも子どもたち、さらには孫たち、今、3代目まで追跡されているのですが、代々異常が増えていくという現象があります。エゴロヴァという学者とイギリスのチームがその問題を深く研究しています。

320km離れたネズミに変異

ベラルーシではホンチャローヴァさんが研究しています。ホンチャローヴァさんは1986年、事故の直後にネズミを捕まえて研究を始めました。チェルノブイリの発電所のすぐ近くにいるネズミと100kmぐらい離れた所、それからさらにベラルーシの首都のミンスクの先の320kmぐらいの所と比較しながら研究しました。ミンスクの空間放射線量は30kmの地点に比べて100分の1程度です。その結果、細胞分裂の異常が30kmの所だけではなくて320kmの所でも観察されています。ネズミは生命サイクルが短いので、ホンチャローヴァさんは22代目まで追跡調査をやったのですけれども、どんどん子孫の異常が増え続けるということが、22代目まで3カ所すべてで確認されています。そういう変異は3カ所で同じように観察されていますが、死亡率で言えば近い所が一番大きいです。

私は今、皆さんの知識を増やしてやろうと思って、こういう話をしているわけではないのですよ。こんなことは本を読めばどこかに書いてあるでしょう。そうではなくて、ここは日本なのです。日本は研究大国であって優秀な学者がいっぱいいるのですから、こういう問題にもっと真正面から取り組んで研究しなければいけません。嘘をやめたらどうだ、研究しようじゃないか、と言っているのです。

ホンチャローヴァさんは抗酸化剤を開発されましたが、非常に高価なのが欠点です。そういうものを輸入して使えばいいとかというのではないわけです、日本は研究したらどうかということを私は言いたいのです。

スルクヴィンさんという獣医学系の研究者がホンチャローヴァさんに協力し、2人はコイを使って研究しています。チェルノブイリ事故で汚染された養殖池を使ってコイを研究したところ73%のコイに異常が見つかっています。稚魚で目がないものとかエラがないものとか、口がないものがいるわけです。

ホンチャローヴァさんのチームが開発したこの物質が使えるという話ではなくて、こういう物質が発見されたということは、こういう損傷をある程度回復する手段を見つけることが、日本でもできるのではないかということを示していると思うのです。

私はかつて化学療法を研究したことがあって、昔勉強した時代にその療法の一番の先進国は日本で、日本の化学療法から多くを学びました。私が今話していることは問題点を図式的に説明しているだけで、その中でこういうことが可能であると可能性を見ているのです。今、人間でもきれいにすることができるようですが、非常に高価で普通には使えません。一方では今、魚に関して発見されている物質は養殖池に投げ入れるような、結構安い値段のものらしいですね。そういうものもあるということは、日本のように高度な研究力のある国であれば、たぶん5年、6年という時間で何とか開発できるのではないかという希望をみなさんにお伝えしたいです。

日本はまず嘘をやめるということが大事です。今、重大な事態が続いているということを考えなければいけません。少なくとも100万人という規模で問題が生じてくることがはっきりしているので、それをただぽかんと見ていてはいけません。それとどうやって闘うのかということをご一緒に考えていきたいです。そういうことをお話しするために何が何でも日本に来たくてやって来たのです。

エートスへ、そしてCOREに至る流れ


ウラディミル・チェルトコフ

2002年11月15日

COREの基本文書へのチェルトコフ執筆の批判文書に、予備的な注釈として付されているもの

ヴァシーリ・ネステレンコ

チェルノブイリ大惨事が生み出した状況に関して、ソヴィエト政府は動きもせず、嘘を重ねていた。物理学者のヴァシーリ・ネステレンコ教授は学士院会員であり、ベラルーシ科学院原子力研究所の所長であったが、事故の直後、政府の決めた30kmではなくて100kmの半径内の住民たちを即刻避難させるように要求して、当局と対立、余分な警告を行いパニックの種を播く人物であるとして、1987年7月に解任された。1990年にネステレンコはこの国立研究所を最終的に離れ、アンドレイ・サハロフ、カルポフ、さらに作家のアレス・アダモヴィチの支援を受けて、放射線防護独立研究所«ベルラド»を設立し、放射性降下物の被害にあっている地域で、子どもたちの救援に乗り出した。ベラルーシのもっとも汚染の激しい地域の村々に370個所の放射能測定地域センター(CLCR)を設立し、そこに医師たち、教師たち、看護婦たちを集めて放射線防護の手解きをし、また家族たちに食品から汚染を減少させる調理法を学ばせた。短期間しか続かなかった「民主化」の時期の間、政府の「チェルノブイリ委員会(コムチェルノブイリ)」からの資金を得て、初めのうちは運営されていたわけだが、核ロビー(IAEA、WHO、およびミンスクの保健省内でこれに対応するセクション)が状況をその手に取り戻して以後は、CLCRはその数を68にまで縮小されることになった。

1996年にネステレンコは林檎ペクチンをベースにした食品添加物の導入に成功し、ウクライナの保健省からはセシウム137の吸収剤として推奨されることにもなった。子どもの身体組織に溜ったセシウムが1ヵ月の治療で60-70%ほど減少するのだった。

ユーリ・バンダジェフスキー

1994年にネステレンコはホメリ医学院院長で、解剖=病理学者で医師のユーリ・バンダジェフスキーの知己を得た。バンダジェフスキーは1991年より、汚染地域の住民たちに見られる、これまでにない病理的状態について、病原学的研究を重ねていた。小児科・心臓科医師の妻、ガリーナとともにバンダジェフスキーは、心臓の形態的・機能的変質の頻度と重篤性が、身体組織に含まれる放射性セシウムの量に比例して増加しているのを発見した。彼は「セシウムによる心筋病変」をこう描いている:心筋組織の変質をともなった小児、青少年、成人の心臓疾患。あらゆる年齢層、小児にさえおこる突然の死。バンダジェフスキーと共同研究者たちのチームは、「心臓、肝臓、腎臓、内分泌諸器官の各部で、また免疫系にも同様に見られる、相互依存的な病変過程」を描いている。こうした傷ついた状態は、すべて、似たような病理過程からきている。彼らはそれを「放射性核種の長期間摂取による症候群」と呼んでいる。ホメリ医学院のあらゆる研究部門から上がってきた何千人もの子ども、大人の健康状態の厳密な研究の成果であった。9年にわたって、25の研究室が同じ主題で、臨床、動物実験、病理解剖学という3つの方向性で研究を続けるのである。ホメリ医学院には200人の教員と300人の補助職員、1500人の学生がいた。

★★★★★★★★

1996年から、「ベルラド」研究所とホメリ医学院とは協調して仕事をするようになる。ネステレンコは村々を一つひとつ訪ね歩き、西欧のNGOから提供を受けたホールボディカウンタをもって、セシウム137による身体組織の内部汚染を測定することに力を注いだ。セシウムの身体組織への作用の、神経解剖学的研究には、彼は自作のガンマ放射線自動測定器を、ホメリの研究者たちに提供した。これによって、調べている器官ごとの、kgあたりのセシウム137量を、解剖の度に測定することができた。両研究組織によって、子どもの場合でも実験動物の場合でも、食事を管理してセシウム137を極小にすれば、生命に影響する器官の致命的な損傷を避けることができることも、示された。まったく新しい研究への道が、ここい開かれたのだった。

1999年4月、2人の科学者たちはベラルーシ議会に招かれた。線量白書と、チェルノブイリ事故の諸帰結に関する医学研究の中での、保健省の放射線医学研究所による国家資金の使用の正当性を審議する委員会で意見を述べるためであった。2人の陳述の結論は、委員会内の保健省に近い筋のメンバーたちの気に入らなかった。バンダジェフスキーとネステレンコと研究所前所長のストジャロフの3人は、別の報告書を作成して、住民の健康に責任を負っているベラルーシ国家評議会に送付した。評議会は保健省の線量白書を撤回させ、ネステレンコ、バンダジェフスキー、ストジャロフの「結論をベースにして、早急に」白書の内容を見直すように指示した。一方、バンダジェフスキーは一通の報告書をルカチェンカ大統領に送付し、その中で、保健省の研究所の基本方針に厳しい批判を向け、総予算1700000ルーブルのうち、有効に使われているのは100000ルーブルだけだと主張した。その数週間後、1999年の5月だが、保健省の3つの統制委員会が突然、ホメリ医学院を臨検したが、何も異常を発見できなかった。1999年7月13日の夜、バンダジェフスキーはルカチェンカ大統領の発布した反テロリスム条例を根拠に逮捕された。2001年6月18日、彼はベラルーシ最高裁の軍事法廷で証拠のないままに汚職の罪で禁固8年の有罪判決を受けた。ホメリ医学院の新しい医学院長はバンダジェフスキーが創設した研究プログラムは、高等教育機関のプログラムの名に値したないとして、廃棄たのだった。

ガリーナ・バンダジェフスカヤ

小児科・心臓科医師だったガリーナは、ホメリ医学院の小児医学講座の教授だったが、追放された。2002年9月2日以来、彼女は「ベルラド」研究所で科学秘書兼医学部門責任者として働いている。

エートス

こうした間に、1996年、エートスと名乗るフランス人の研究者グループがネステレンコ教授の運営するオルマニー村の測定センターCLCRを頼ってやって来た。彼らはネステレンコの放射線測定データを手に入れ、チェルノブイリの汚染地域で前例のないこの研究所の内部で、ネステレンコから放射線防護を学んだのだった。エートスはCEPN(核の領域での防護評価研究センター)の作ったものだが、そのCEPNはEDF(フランス電力)と原子力庁(CEA)が作ったもので、フランスの核ロビーの化身のような団体である。

エートスの目的の一つは、「放射線量と社会的信頼との長期管理を定義」(2001年4月1日の要約議事録)し、核事故と、寿命の長い放射性核種に汚染された地方の管理に関して、欧州連合向けに研究成果を文書化することである。1996年から1998年まで3年の間、エートスはオルマニーのCLCRの測定データを集め、ネステレンコが養成した技師を使い、ネステレンコが設備した装置を使って、食品や牛乳などの放射能測定を行ない、女性技師が測定で残業になっても一銭の支払いもしようとはしなかった。この同居状態に実りがなかったわけではないが、しかしそれもエートスがベラルーシ当局に、ネステレンコをオルマニーと、ストリン地区の他の4つの村から追放させた日までのことであった。

今日、エートスはチェルノブイリ地方の放射線防護に関する科学的権威であるかのような顔をしている。そして、COREプログラムを編成したわけだ。

「ベルラド」研究所は切迫した経済状態の中で、存続のために苦闘を続けている。資金の提供者たちは、ヨーロッパのつましい市民たち、環境と健康を防護するNGOのメンバーたちである。エートスの動きに対してこうした諸団体が批判を強めたために、ネステレンコもCOREプログラムに加えられることになったが、しかし、汚染を受けている子どもたちの病気を予防する活動を続ける手段を、ネステレンコは奪われたままだ。