エートス非公開セミナー闖入記/パリ


コリン・コバヤシ

EchoEchanges«言霊の交換»より転載

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今日は3月11日、東北原発大震災の三周年である。パリは快晴で心地よい小春日和だ。

エッフェル塔、パリ日本文化会館のあるすぐ脇の、国際鉄道会館(予定されていた会場CAP15が急に変更になった。ここは過日、愛知万博の開催が決定された場所で、そのとき、万博に反対の環境派の人たちがデモった場所でもある) で非公開に開催されたIRSN(仏放射能防護・安全研究所)とCEPN (核防護評価研究センター:仏原子力ロビーによって作られたNPO)によって開催された非公開セミナーだが、コーヒー・ブレークの隙を見計らって、闖入した。54人ほどの参加者が入るちいさなホールで、皆学生のように、おとなしく聞いている。

しばらく多田順一郎センセ(放射線安全フォーラム)のお説を拝聴した後、ちょうど,ロシャール氏が立ち上がったところで、仲間のI女史が、 彼に向かって最後列から呼びかけた。

「ロシャールさん、ロシャールさんはあなたですか。あなたはチェルノブイリでエトスをやった。福島でもやろうとしている。放射能に防護も安全も存在しないのに、あたかもそれが出来るように吹聴している。あなたは犯罪的で、ここにいる人たちも共犯者だ」。会場は騒然となった。ロシャールせんせは近づいてきた。共同主催者であろう丹羽センセもブットンできた。丹羽先生はすごい剣幕で、<ここは非公開のセミナーだ、静かに聞いている分には許すが、会議を混乱させるなら、出て行ってくれ>と。

例の自称<市民運動>のアンドーさんも、かけ参じた。私の顔をみて、<コバヤシさんですね。よくもでたらめをたくさん書いてくれましたね>と。ハハァ、なるほど拙著を読んでいる!<アンドーさん、あなたもよく色々なさってますね。ところで、今回はどなたのお金で、こちらにいらしたんですか?>と私。<そんなこと、応えられません。返事する必要ありません>と言って、私を睨みつけている。まあ、盗人猛々しい風の人だ。こういう風の人だから、<福島イン・エートス>が出来るのだと、合点した。我々はしばらく留まることにして、多田せんせのご講演を拝聴した。なるほど、彼ら推進派の放射線防護の人たちは、除染すれば放射能は低くなり、飯舘村も除染したので、だいぶ低くなったと測定図を開陳する。

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そして、事故後、しばらく混乱が起こっているのは、反原発派の様々な異論や、いい加減な知識を持つ人々が、いい加減な情報を振りまき、世相を混乱させたからで、きちんとしたステークホルダーが必要だ、と結論。

相変わらずの独善的な結論で、原子力ロビーの専門家たちというのは、あたかも、自分で自分を納得、正当化しているような、他の考え方に対して理解してもらおうなどとは思わない。自分が一番正しくて、その価値観をきちんと普及させれば、すべてが解決すると言った風なのであった。

私は、他の用事があったため、会場を後にした。

アンドーさんは、ツイッターで、あちこちパリ見物をして、グルメ三昧の生活を書き送っているそうだ。震災の三周年で、皆被災者は悲しみを新たにしているというのに、バチあたりなことである。そもそもこのような、原子力を推進するために放射線管理を検討し合う推進派のセミナーを開催すること自体が、バチあたりなことである。

参加者の大半は、どうやらIRSNの研究者や専門職員のようだ。まったくあきれ果てた組織である。他に、CEPN, OECD, ASNの職員、そして、ロシャールせんせとシュネイデールせんせだ。彼らのなかに良心のかけらを持った人さえもいないのだろうか。

日本側の招待パネラー:
安東量子(エートス・イン・福島)
伴信彦(東京保健大学)
早野龍五(東京大学)
勝見五月(伊達市、前富成小学校校長)
黒田佑次郎(東大病院)
丹羽太貫(ICRP主委員会委員 京都大学名誉教授)
多田順一郎(放射線安全フォーラム)

(放射能と)ともに生きる術を学びなさいって?


ロール・ヌアラ

リベラシオン紙2004年4月24日

今、ベラルーシで開始されようとしているのは、論争の的になっているプログラムである。汚染地域の生活条件再建のための協働プログラム(CORE)に参加している機関は様々だが、また、公的機関が大半だとも言える。国連開発プログラム(PNUD)の傍らに、ミュタディスというリスクのある活動を管理する専門会社も入っているが、また核の分野での防護評価研究センター(CEPN)、フランスとドイツの大使館、フランスの原子力安全保安院(IRSN)、等々を挙げておこう。資金は欧州委員会、PNUD、在ベラルーシのフランス大使館などから出ている。現地の住民に依拠した動きを一つにまとめようというのがCOREである。「住民たちを参加させるのが、一番の課題でした」と、ベラルーシ当局で大惨事の帰結の数々を管理しているセクションである、チェルノブイリ委員会のゾヤ・トロフィムチクも認めている。参加することによって、何がしか得るものがある、ということを理解させるのが一番ということだ。「再建ということはつまり、汚染と共存するということで、新しい生活様式を身に着けるということなのです」とミュタディスのジル・エリアル・デュブルイは説明する、「私たちはベラルーシの人たちにこう言うのです:あなた方に起ったことは、私たちにも起りうる、と」プログラムは4部門に分れている。放射能の状態、経済発展、大惨事に関する教育と記憶、そして保健である。

本当の課題をよけて通る

プログラムの推進者たちとしては、汚染の問題は、社会=経済的条件を考慮する形でしか取り扱わない。そこで、COREは農民たちが種や器具を買うことができるように、200ドルまでの金額の小規模貸付けというプロジェクトを擁護していく。「国境なき遺産」というフランスの団体が「教育と記憶」の部門を担当し、大惨事の体験を未来の世代に伝えていく。「ここ18年というもの、子どもたちは汚染された地域に出生しているのですから、彼らに放射線防護に関する情報を申し送りしていくのは、絶対に必要なことです」と、CEPN代表のジャック・ロシャールは説明する。「世界の医師団」とフランス原子力安全保安院(IRSN)はもっとも論争の的になっている保健の部門を担当する。医師団はチェルチェルスク地方の妊婦200〜300人の面倒を見る予定で、IRSNは子どもたち3000人を5年にわたって年に1度、医療診断と線量測定することになっている。

批判者たちの急先鋒は、ベラルーシの研究者たちと密接なドキュメンタリー映像作家のヴラディミル・チェルトコフだが、彼らに言わせれば、COREというプログラムは「本当の課題を常によけて通る」類のものである。課題とはすなわち、「生まれながらの汚染まみれの人生」から「救い出す」ということだ。チェルトコフによれば、プログラムが何も措いても取り組むべきなのは健康の分野であって、なかんずく、暮す人々を除染する道を探ることである。「未来の諸世代にとって、これは根本的なことです。低線量被曝の健康への効果をキチンと評価できるように試みていく必要があります」と小児科・心臓科医師のガリーナ・バンダジェフスカヤは考えている。COREの参加者たちは、ベラルーシの一部の研究者たちが進めている仕事を「疑うことをやめる」のではなく、むしろ、「人々が実害を減らしながら生活するのを助ける」方を選ぶ。特に、汚染された食品を避けることに重点が置かれている。

核のロビー

しかし、それでは不十分だ。「汚染した地帯に住む人々に対して、本当は避難させる必要があるのに、大丈夫です、暮していけます、と言うのですよ」とフランスの放射能測定独立機関CRI-IRAD代表のロマン・シャゼルは苛立ちを隠さない。様々な水準に汚染された村々に生活する、貧しいことの多い200万人の人々を移住させるのは、しかし簡単でない。「そのうえ、動きたくない人たちというのもいます。この人たちはこの自然に深く根を下していて、しかし自然は彼等を根こぎにしているわけです」と、ジャック・ロシャールは指摘する。

批判のもう一つの論点は、CEPNのCOREプログラムへの参加である。CEPNには、EDF(フランス電力)とアレヴァ社という、フランスの民間原子力の一番の擁護者を主力にした組織だ。CRII-RADのメンバーたちは語気を荒げる。「核のロビーの連中は、汚染した地域に人々を再居住させることによって、核事故は破局的なものではないことを示そうというわけなのですよ」とシャゼルは断言する。そしてチェルトコフは告発する:「ベラルーシの当局者たちは汚染された大地に人々を再居住させようとしていて、こうしたロビーの連中はその共犯です。こんなんことが見過ごせますか?」CEPNの代表はこれを全面的に否認する:「私は無関心でいる権利がないという意味合いで、現地のことに責任も感じているわけです。あの人たちは「汚染者=支払うべき者」という原則を振り翳して迫ってくるくせに、核事故に限っては、惨事に巻き込まれた人たちを産業界が助けてはいけないとでも?」

確かなことは、国土の1/4が放射能に汚染されてしまっこの国に援助が必要なことである。チェルノブイリ委員会のゾヤ・トロフィムチクはこう語る:「人々はあそこで暮し続け、結婚し、子どもを作り続けているのです。こには不幸があり、しかしまた、現実の暮らしがあります。日々の暮しです。ここでの問題が世界中の問題になってしまっているのは、私たちの責任ではありません。世界中で、私たちを援助する必要があるのです」

私の友達のジャックがねえ…


CRIIRAD機関誌25/26合併号に載った、メンバー2人(R・シャゼル、M・マザル)によるベラルーシ訪問(2003年4月)記から

私たちの最初に歩を踏み入れたのはストリン地区である。フランスの核ロビーが始めたエートス・プログラムは、この地区で進められている。地域はまったく孤立していて、ブラリとやってこれるような場所ではない。泊まったホテルのすぐ脇には、巨大なレーニン像が、街にのしかかるように聳えている。ホールには大惨事の結果起こっている様々な物事を処理するのが仕事の、コム・チェルノブイリという政府系の団体の責任者が、私たちを待ち受けていた。私たちがこの地区にいる間、彼がお供をするというのである。私たちは住民たちと話がしたいのだが、場合によっては、彼をうまく巻く必要もでてきそうだった。

«mon ami Jacques…»(私の友達のジャックがねえ…)というのが、彼の知っているただ一つのフランス語の«言い回し»で、ろくでもないが、何度も何度も繰り返すことになるその言い回しに出てくるジャックというのは私たちの大統領ではなく、エートスの責任者の一人であるロシャール氏のことであり、COGEMA(総合原子力社。アレヴァの前身),EDF(フランス電力),CEA-IPSN(原子力局=原子力安全保安研究所)という、フランス原子力界の三大勢力を一纏めにした「npo法人」CEPN(原子力部門防護評価研究センター)の代表である。フランスではモスクワの監視という考えはお馴染だろうが、ここでは旅の途上、ずっとパリの監視というものにつきあわされることになったのだ。

ベラルーシへの旅を準備している最中に、この地域でエートスのために働いているパシャという看護婦が主人公のルポルタージュを、インターネットで見つけた。今日、「案内役」の監視下で、私たちはオルマニー村まで、彼女に逢いに生くのである。チェルノブイリの結果と取り組む測定専門家とての彼女の体験を話してもらえるものと期待していた。

番組ではパシャは地域地域にある放射能測定センターの一つで働いていた。こうしたセンターはベルラド研究所の作ったもので、フランスの科学者たちの提案によってベルラドからコム・チェルノブイリの手に奪われてしまったのだ。彼女はやはりそうしたコム・チェルノブイリの測定所にいたが、しかし、ピンスクという別の町の測定所に移っていた。このエピソードに関して彼女が言うには、「以前は、ベルラド研究所が給料を払ってくれましたが、エートスが始まると、装置はピンスクに映されました。私の給料の方は、ちゃんとしてもらえませんでした。研究予算はここまで回ってこないようです」

エートス・グループの要求する仕事は、大部分、彼女の肩にかかっている。インターネットにあった、彼女のことを書いた文章を、私たちは持っていっていた。「パシャ、チェルノブイリ後に生き甲斐を見つけた」という題の記事である。彼女をキーパースンの一人として、エートスの栄光を謳い上げようというわけだ。

記事を彼女のために読んだが、「欧州委員会の出資を受けたフランスの研究者たちからなるエートス・チームは、まさに救い主だった」という部分を彼女は話題にした。「このくだりをお読みいただいた時、凄いショックでした。問題が何一つ解決していないのに、全部うまくいったみたいに書いてあるじゃないですか。放射能はそのまんまだというのに」

(パシャの証言はもっとあるが、今はここで止めておく。彼女にとって舌禍になる可能性もあるからだ。私たちは別の印刷物で、この分を埋め合せようと思っている)

日を追って、私たちに少しずつ奇妙な感覚が忍び込んできた。あちこちで、どうしてペクチンにはお金が出ないんでしょうね、ということを聞いたのだが、実にスラスラとこんな答が返ってくるのである。「だって、効くからですよ。そうなったら、もう実験できないじゃないですか。私たちが徐々に汚染されていくのを観察して、そこから教訓を引き出して、知識を増やしたいんでしょう、それができなくなっちゃうからでしょう」

醒めきった答えの中に、酷いことになってしまったこの地域に毎年毎年、入れ替り立ち替りやってくる科学者たちの行動がどんなものなのかが、雄弁に物語られている。チェルノブイリ大惨事の犠牲者であり、一かけらの民主主義もない政治体制の犠牲者でもあるベラルーシの人びとは、それに加えてまた別の苛つかせる連中がやってくるなど、本当に真っ平なのだ。途方もない孤独を感じさせる元が彼らの国にあるとすれば、途方もない怒りを感じさせるものが、私たちの….