あたしの心は今でもまだ、川内村の土や山や川に繋って生きています


大塚愛

2011年5月15日、いわき市での「さよなら原発」パレード会場にて

イマジンにのせてフラを踊る大塚さん(右)

イマジンにのせてフラを踊る大塚さん(右)

私は94年から福島県川内村の山の中に住んでいました。美しい自然の中で自分の手で家を作り畑を作り田圃を作り、それから電気が来てないところだったので、エネルギーの自給ということでソーラー発電で独立型の電気だけを使って12年間、生活してきました。

美しい自然の中で暮しながら、20kmのところにある原発のことを常に心配しながら、生きてきました。そして今まで、起って欲しくないと一番、思っていたことが現実のことになってしまいました。

今は幼い子どもが2人いるので、岡山市の実家に家族4人で3月から避難して帰っています。でも岡山に帰って子どもたちも安心しましたけれど、心のほとんどは福島県に残ったままです。あたしの心は今でもまだ、川内村の土や山や川に繋って生きています。

そんな中で今、岡山市でできることをやろうと思って、原発災害の話を私なりにさしてもらったり、それから、福島県や関東から岡山市に避難してこられている方がいるので、そういう方に空家の情報を提供したり、サポートする活動をしたり、あと、福島県に正しい情報を伝えたいと思って田中優さんのDVDを送る活動をしたり、今、自分にできることをやっていこうと思って今、岡山市で生きています。

昨日、2ヵ月ぶりに川内村に帰ってきました。2ヵ月ぶりの川内で何を感じるかなって思ってたんですが、帰ってきて感じたことは、素直に、自分の好きな場所に帰れて山や田圃や畑や家に出会えて、嬉しいという気持でした。

これからも私は岡山にいて生活していきますけども、岡山から福島に心を繋げて生きていきたいと思っています。そして廃炉アクションの一環として私はジョン・レノンのイマジンという曲をフラで踊って、それで廃炉・脱原発をアピールいていきたいと思って、岡山でもそれを始めています。

どうぞ福島の人たちに思いを寄せてください


大塚愛

「100万人アクションinヒロシマ」(2011年4月24日、広島中央公園)より

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今日は、大塚愛です。私は3月11日まで福島県双葉郡川内村の住人でした。今、30キロ圏内の丸の中にスッポリ入るところです、川内村は。12年前、1999年から自給自足の生活がしたいと思いまして、選んだ農場が偶々、福島県でした。とてもそこに惹かれたので、岡山から研修に行きました。そしてその後、東北の美しい自然が気に入って、そのままそこに住みつくことになりました。

住みついた場所は電気も電話も通じていない、もちろんガスも水道も通ってない山の中でした。そこにまず自分で小さな小屋を作り、田圃や畑でお米や野菜を育てて、暮し始めました。その後で村の大工さんと知り合って、大工になりたいという思いを持っていたので、4年間、大工修行をしながら田圃や畑を作るという暮しをしていました。

その後で横浜の設計士をしていた男と知り合って、今度は二人で大工を卒業した後で、自分たちで20坪ぐらいの土壁の家を作りました。新しく作った家には夫が電気を欲しいと言ってソーラー発電を取り入れました。電線が来ていないところなので、ここと同じシステムです。

畑にパネルを置いて、そこからできた電気をバッテリーに蓄めて、で、そこのバッテリーに入っている分だけを使いながら生活する、だから曇り、雨が続く時はちょっと電気を抑えながら、暮すという、お天気に合わせたような暮しをしてました。

そこはとても自然の美しいところで、場所が気に入って住みだしたんですけども、住んですぐ、原発が20kmのところにあると気付きました。そして、チェルノブイリで起ったことを本で読んで、コトの大きさということが分って、そこに住みながら自分にできる行動を取っていました。

そこの川内村は«原発城下町»と言われていまして、経済を…原発関連の仕事に就いている人が、沢山いました。村としても、助成金を沢山もらってました。その中で、「原発が危いよ!」って声を挙げることはタブーのような、ちょっと重い空気を感じていました。

それでも村で住む人たちは肌で原発が危いということを知ってました。なぜなら、原発に働きに行った人が病気で亡くなるからです。私と同じ部落に住んでたおじいちゃん、おばあちゃんには、大事な一人息子がいました。その息子さんは若い時に亡くなりました。彼も仕事は原発関連の仕事でした。

また2年ほど前、村で人一倍元気な、村造りに本当に貢献してたいいおじさんがいたんですけども、その人があっと言う間に急病で亡くなりました。その方も仕事の一部で原発関連の下請けの仕事をしてました。

そんな話を幾つも聞きながら、住んできました。村の人たちは危いって気付いてたけども…そうですね、「要らない!」と言い切れない状況にありました。そんな中で私は、もし原発で働いてる人が、同じ電気を造る仕事だったらば、ソーラーパネルを作る工場だったらどんなにいいだろうか、燃料電池やリチウムイオン電池とか、そんな新しい自然エネルギーの工場だったらどんなにいいだろう、同じ電気を作る仕事で。そう思いました。思っていました。

そんな中、3月11日、地震が起り、今まで心配していたことが本当に起ってしまいました。地震は震度6強だったので、家は随分揺れて…揺れたんですけれど私たちが建てた家はうまく揺れてくれる家だったせいか、あまり被害がありませんでした。そして、割れた物を片付けたぐらいで、後は、元々ライフラインのないところですから、停電することもなく、自分たちで掘った井戸から水を汲み上げて、五右衛門風呂を薪で沸かし、薪をくべてご飯を作り、いつもの通り夕方、生活を再開…始めました。

そこまでが、私が川内村で暮していた時間でした。暗くなった頃に、まず冷却水ストップのニュースが、ニュースの中でほんのちょっとです。凄く大きなことなのに、ちょっとだけニュースで聞こえました。何か起ってるんだと思いました。それから、1〜2時間後、3km圏内避難指示というニュースが入ってきて、夫と一緒に、何が起るか分らないから、少し離れたところまで行って寝ようと言って、パジャマを着せた子どもを…5歳と1歳の子どもがいるんですが…子どもをクルマの後ろに布団を敷いて寝せて、取り敢えずの荷物…取り敢えず、取り敢えずって自分に言い聞かせながら、家を出ました。

そして40km離れたとこまで行って一晩明かし、次の日は100km離れた会津のへんまで行って、様子を見てましたが、一向に収まる気配はなく、水素爆発の手前の頃でしたが、私はその時、後ろ髪が引かれて、自分が住んでた場所だけはきっと大丈夫って、避難を決められなかったんですね。

でも夫は小さい子もいるんだから、絶対、川内には帰れないから、離れようって言うんですね。頭では分ってるんです。けども心と体が動かないんですね。突然、裁ち切られて、自分の家から出てきて。

暫くボオーッと会津若松の町で過した後、ある時に「そうか、私が住んでたあそこにも、放射能、来ちゃったんだ」って認めた瞬間があって、とても悲しくって、それから、取り敢えず、暫く滞在できる岡山の実家に帰ろうと決めて、クルマで新潟を通って、3月13日に岡山に着きました。

今、私が住んでいた川内村は全村避難で、村の人たちはほとんど牛を飼っている人や鳥を飼っている人はどうしても離れられなくって、少しは残ってるんですけど、今、川内村は空っぽです。

働き者の大工の親方も、春が来て種を播きたいお百姓さんたちも、狭い避難所やビジネスホテルでこの春を迎えています。

今日、広島の町にバスに乗って入った時に、「ああそうか」って気が付いて、ここは原爆が落ちた時に、火傷して亡くなった人たちは、私はもう、後に生まれて話を聞いたから、その人たちを被爆者としてしか認識してなかったけど、8月6日のその日まで、普通にそこに生活していた人なんだっていう事実に気が付きました。

今、福島県で被災している人たちも、当たり前のように自分の場所で細やかな幸せな日常を送っていた人たちが、自分たちの土地と生活を離れています。

またそれは、放射能は眼に見えません。一見、自分が住んでいた場所は何も風景が変わっていません。少しだけ屋根は落ちてたりするんですけども、変わってません。その事実を認識することの難しさというのも感じています。

人はお金が無くっても土と水と空気さえあれば生きていけます。どんなに札束があったって、人はそれだけで生きていけません。私たちの命を支えるものを、この大地と水と空気です。その一番大切なものを福島県の人たちは奪われてしまいました。

これから5年、10年、ずっと長い間、どうぞ福島の人たちに思いを寄せて、関心を持って、そして愛を送ってあげてください。

それから、この教訓から、エネルギーシフト…この教訓をエネルギーシフトへの、明いエナルギーに変えていけるように、人が繋って…繋がることからしか、力は生まれないと思います。皆で繋って変えていけたらいいなと思っています。

ハイロアクションが去年、始まって、私はそのハイロアクション…廃炉を目指しながら、それぞれが色んなことをやっていこうというのが始まって、私は、じゃあ、何をしようかって思った時に、イマジン、ジョン・レノンのイマジンっていう曲のフラがあるっていうことを知りました。私は「あ、これをやりたい!」と思って、「アロハで廃炉」っていう名前を付けて、去年、福島の仲間たちと練習し始めていました。後程、そのイマジンを踊らせていただきたいと思います。

その前に今日、下関から、素敵なフラシスター、ママさんたちが来られています。後でイマジンも一緒に踊ってもらいますが、その前に、「故郷」のフラを踊っていただきます。どうぞ、福島の地に愛を送りながら、観ていただけたらと思います。