こんな恐怖があるうちは、私たちの非常事態は終りません


大賀あや子

さよなら原発1000万人アクション(2011年12月10日)東京日比谷野外音楽堂

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皆さん、今日は。

9月19日の集会での武藤類子さんのスピーチが私たちをまさに代表して勇気を与えてくれるものでした。さらに反響が伝わっていき、さらに多くの方々にご支援いただいております。有難うございます。

それから3ヵ月の間を振り返り、お話ししようとすることにとても自信の持てないような困難を感じてしまうという気持でした。この期間に放射能の減衰がまだあまり進まないのは当然ですけれども、秋から冬のこの季節風が山の汚染を拡散させたりして、放射線量が上がっている地域・地点も沢山あります。

除染活動に期待しても、あまり放射線量が下がらない、除去した土や草の保管、作業の負担や被曝など困難が明かになってきています。農産物の汚染の実態も次々に明かになってきています。真実が隠され、人と人が分断されていく、この不安がいったい何時まで、どれほど続くのか。

この先の見えなさに、疲れ途方に暮れてしまうことがあります。これはすべて、東京電力が放出した放射能を巡る混乱なんですけれども、脱原発については福島県ではもう方向が決してきています。10月20日、福島県議会は県内の原発全10基の廃炉を求める請願を可決、11月30日、福島県知事は福島県復興計画に県内全原発の廃炉を明記することを表明となりました。

これは県民大多数の「もう原発は要らない」という世論を受けて、{1語不明}しているところです。

しかし日本全国で今も運転中の原子炉、再稼動が図られている原子炉があることは、私たちの不安・恐怖を増すものでしかありません。

私たちのところにまた放射能が降ってくるかもしれない、私たちはまた家を出て、避難することになるかもしれない、こんな恐怖があるうちは、私たちの非常事態は終りません。

どうか、日本中、世界中で皆さんと繋りあって、一日も早く、脱原発が果せるようにと願っております。有難うございました。

震災、爆発、避難、そして活動へ


大賀あや子

2011年4月24日、芝公園にて

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この3月26日が福島原発、第一原発1号機40周年にあたる日でありまして、私たち、福島の市民活動をしているグループで、延長運転をしても、もう間もなく段々、廃炉の時期を迎える、寿命がくるということで、去年の秋から「ハイロアクション」という活動を始めた時には、今、原発に賛成の人も反対の人も一緒に、廃炉になっていく原発のことを、考えましょう、廃棄物のことを考えましょう、っていうふうにして、準備をしていました。第一原発も第二原発も放射性廃棄物が残り、原発が廃炉になっていくのを、まあ、一生できる限り、自分でかかわれることは市民として声を挙げていくっていう活動をしていくんだなあー、なんて思っていたところでした。

25年前、チェルノブイリの放射能が日本まで来て、当時、私自身、妹が小さくてとっても心配でしたので、本当に、こう、妹とか、自分より若い人たちを放射能の被害に逢わせてはいけないっていう思いで、ずっと活動していましたので、原子力防災っていうことも、こう色々、こう自分も学んで、常にクルマの中にマスクとか合羽とか何人分もつけて歩ってましたけど、本当にこういざっていう時にどうしたらいいかなんて、あんまり人にお伝えする活動ってできてなくて、そして、3月11日が来てしまいました。

もの凄い揺れの地震で、まずはこう、津波の注意がこう、アナウンスされて、全部、停電で、町の防災無線以外、何の情報もなくて、ラジオでやっと緊急停止したっていう情報が入ったぐらい、っていう中で、余震のもの凄い恐怖とかある中で、近所の人と声を掛け合って、もう地震の対策を、こう地震の被害の対策をしているっていう、あの日の午後でした。

そして、やっと繋がった携帯で、福島市にいた友人から、非常ディーゼル全部止まったっていう情報がちょっと入ったんですけど、えらってもっと詳しく情報の出所とか聞く前に、切れてしまって、それからもう、その後ずっと携帯は繋がりませんでしたので、私は地元に16年間暮して、お隣りのうちはお一人原発で働いてる、そのお隣りのうちは二人働いてる、とか分ってる中で、余りにも不確かな情報を誰にも伝えられないで、もうちょっと確かめてから逃げた方がいいかもしれないって、こう、やんわり言おうかなって言って、うちの家族だけでクルマでこう、電波の通じるところに向かって走り出してしまいました。

一回、電源車ともすれ違ってしまったりして、あれはデマでなくて本当に電源車がいるんだ、なんて思って、そして3キロ圏避難ていう情報が入って、ラジオでやっと入って、もうその時は引き返して近所の人を誘っては、本当にパンクで人に迷惑かけるんじゃないかっていう中で、まったく隠すんじゃなくて、もう避難、少しは始めたっていうことで、そこに希望を繋いで、もう、これ以上、こう渋滞しないように前に進むしかないっていうふうにして、11日の夜、いわきまで移動してしまいました。

もうそれから一日二日は大熊町とか双葉郡がほぼ一日ぐらいで避難できたっていうのをラジオで、テレビラジオで見ながら、本当に一足先に来てしまったっていう罪悪感でもの凄く自分、個人的には辛かったです。もうそれが、全然、放射能止まらない、もうドンドン爆発とかして、毎日毎日、状況が悪くなって、もう一日二日で逃げられた双葉郡の人はかえって運が良かったぐらいになって、20から30キロで屋内退避でずっと宙ブラリンにされた人々、それから30キロより外でも、汚染がひどい地域になってしまった人々が、本当にこう、ちゃんと避難させられず、っていうこう、ますます混乱していく、もう避難所に入った人たちが本当にひどい状況が続くっていうことを、こうニュースやメールで色々、連絡取り合ってる仲間とかから、情報を得て、本当にもう、ますます辛い、そして子どもを連れて県外に避難したメンバーと一緒に、廃炉アクションの活動を続けまして、緊急声明を発表したり、色々、福島県内に残ったメンバーの色んな活動を一緒にサポートしていったり、そういうことをもうひたすら、やっているという、その後の毎日です。

東京に、一週間で東京に移動してきたりしまして、東京で色んな方とまた出会って、そういう活動、色んな方と進めております。福島にいるメンバーと、東京の有志の方々で、まず福島市内に新聞折り込みチラシを入れるっていうプロジェクトも、進めております。

本当に皆さん、ご存知のようにマスコミの情報、実際の情報っていうのが偏っていて、正しい・・・・マスクをするとかいうのから始まった防護対策が、こう、理解されてないっていうことがあります。そのために分りやすいチラシを至急、作成して伝えていこうっていうプロジェクトです。ちょっと今日、具体的に、その爲のカンパの募集っていうことがうまくできないんですけれども、今後、その呼び掛けに逢いましたら、ぜひ、ご協力をお願いしたいと思います。ハイロアクションというホームページ行ける方は、そこにドンドン色々な情報を載せていますので、どうぞご覧ください。

1日2日、泣き通しでした。


大賀あや子

2011年4月14日、福島原発の廃炉を求める署名提出後の記者会見(議員会館)

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私は11日の地震のあった日にまったく停電してましたから、もう大熊町の人たちは誰一人分っていなかったと、テレビ見てなくて分ってなかったと思いますが、実は5時、6時、夕方にディーゼル全部停まったってことで、東京で電気通じてれば、異常事態が分ってましたよね。

それを偶々、携帯電話で私に言ってきた友人がいまして、あと、メールで東井さんとか詳しいNPOの方が、相当危い可能性があるから離れた方が良いのじゃないかと言ってるよって…ただ;そこで電波、切れてしまいまして、ちょっと私自身、ただディーゼル停またっていうだけでは、ちょっとそういう周りじゅう…東京電力に遠慮してお金もらっている人いっぱいいるところで、余りにも不確かな情報の段階で、隣の人が2歳の子がいて心配でも、ちょっと言えなくて、もうちょっと携帯電話通じる所に行って、信頼できる人にいい情報聴いて、もうちょっと分ってから隣の人誘って、まだ放射能漏れてなくても、かなり危いっていうことがはっきり分ったから念のためにお子さんだけ、お子さんと何人かだけ、避難してみませんか、って誘おうかと思ったんですけど、私と夫で電波を求めてクルマで出発しましたら、海の方はさっき言ってたように、大熊を通る高台なので問題、少なかったんですけれど、富岡町は結構低い所もあって、津波の影響だと思いますけれど、国道6号ね、国道に行く途中がもう通行止めになってて、山沿いの県道がもう段差だらけで、いつパンクするか分んない状況で走って...

何とか情報を得なくちゃって言って進んでって進んでって、夜9時半に3km圏避難、っていうような情報を始めて聴いたっていう、私の一日目の直接体験だったんですね。

ーー3月11日の夜の話ですね?

そうですね。

ーー津波とか実際には体験はされてない?

はい、大熊町はほとんど、海岸べりに住んでる人は少ないですから、地震で部分損壊した建物はいっぱい見ましたけれども、で、灯油タンクが倒れて町中、灯油臭かったり、もうテンヤワンヤ、もちろん断水、停電で、ああ、これから暗くなるからどうやって今夜過ごそうね、っていう単なる地震対応のドタバタした町の中だったんですね。

ーー凄い激しい揺れを体験されたんですか?

もの凄かったですね。それで私は危険性を充分知っておりますから、東電に対しても毎月ずっと交渉、参加してましたから、この凄い揺れ方が続いて、本当に原発の配管、どうなってるんだろう、っていうことで凄い恐怖でしたけど、何も分らない、もう…晴れてて、余震以外は平穏な感じで、あの、1時間半くらいで全部、無事に緊急停止しましたっていうことはあったので、でもちゃんと冷えるかな、心配だよねって、言いながら、そんなこと周りの人に、余計な情報、何も確かでない状況で言えないっていう感じで….

あ、でも雪降ってくるし、合羽着といたら、もう今日は家の中に泊まれないから、胡麻化しながら周り近所の人に言ったりして…

それで、その9時半にラジオで始めて聞こえたんですけれど、本当に良くその危険性を知っている私が、もうクルマの中にこの16年ずっと、もしも避難する時のために、乾パンとかマスクとか何人分も用意して、特にお子さん用とかも持って、どなたかに分けてあげられる時あったらって、用意してあった私でも、もう揺れで凄いパニックになって、何かこう、安心する方の情報というか…自分の中で色々な想定があったら、取ろうとして、ああ、3km避難てこと隠さないでそうやってくれているから、何とか上手く避難できるかなって思っちゃって、まああと、事実上、引き返せばパンクして人に迷惑かけるリスクがあるっていうことで、引き返さないまま私と夫で南に向って走り続けてしまいまして、次の日に朝、起きたらぜんぜん前の日よりも、もっと事故が進んでいて、あの…10kmに拡がった…拡がったって5時半に言っているのに、7時、8時のニュースでまだ、避難法とか、避難の経路は協議中とか、双葉だったですけど、そんな話も聞こえたり、「何やってんの!」って言いながら、本当に私、何で引き返して隣の子たちにもっと誘ってあげなかったんだろうと思って、本当に1日2日、そのために泣き通しでした。

テレビに見ちゃ泣きっていう感じだったんです。

で、私自身は親戚がいる土地の方に避難したんですけど、でもそうやって大熊町の人に、自分は何時間か…12時間ぐらいですかね、早く出てきてしまって、もの凄い罪悪感で泣いてたのは最初の1週間で、もうその後は、無事、避難できた10km、20kmの人より、その周りで被曝して大変な混乱、もう、状況にあるってことの方で、もう、それからはずっとそっちの方のことで…心配し、色々、できることを取り組んでっていう日々です。

そして今、もう5週間めくらいですかね、なっております。

本当に判断甘くて、ディーゼル全部停まったっていうくらいじゃあ、何か上手く…想像できなくって、津波、全部被ったとかいうこと分んないから、偶々揺れてディーゼル全部、停まったか、みたいな…だいたい、去年とかでもしょっちゅうディーゼルのトラブルとかもありましたけど、まあ、復旧して間にあいましたってこと何回もやってますから、「ああ、上手く復旧するかな、全部」っていうのは何かのガセで間違いかなって、去年ツイッターで玄海の方でデマ情報流しちゃった経験もあったから…

う〜ん何かそんなこともあって、うちの犬を置いてきちゃったんですよね、はい。