勇気を持って、真実を明かし、福島の真実を語り、日本を守っていきましょう


渡辺ミヨ子

「つながろうフクシマ/さよなら原発集会」(2013年6月2日東京・芝公園23号地)より

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皆さん、今日は。

脱原発の思いを胸にこの会場にお集りいただいた皆さんに心より御礼を申し上げます。そして、私の尊敬する大江健三郎さん、そして落合恵子さんと同じ舞台で私が脱原発の思いを申し上げることができることを私は一生の宝と思いました。本当に有難うございます。

私は福島第一原発から25キロぐらいのところに住んでいました。今は小学5年生の孫と私たち夫婦の3人で田村市内の西側に住んでいます。これまでの全国の皆さん、そして世界中の皆さんからご支援いただき、心から御礼申し上げます。

私は戦時中に、昭和17年に生まれました。育ち盛りに、まわりの大人の人たちの話す戦争の話は子ども心にも大きな衝撃でした。その頃、ヨーロッパのスイスが平和だったことも知りました。私の心は平和なスイスのことを考えることで、いつも安らいでいました。

私が子育て中の頃に大熊町に福島第一原発が作られました。まわりの人たちがたくさん働きに行きました。私は広島に落とされたあの怖ろしい原爆のことが頭を過りました。しかしまわりのほとんどの人たちが私が聞いてもいないのに「絶対、安全だ」「事故は起きないんだ」「ここには大きな地震は来ないんだ」と口々に言っていました。そしてすべてが原発のお蔭で、生活が豊かになったように思い込んでいました。

あの3月11日の大きな地震の後、原発が4基も爆発して、広島に落された爆弾の何百倍もの放射能が飛び散らされてしまいました。生まれ育った時から私たちを守ってくれた豊かな自然はすべて、放射能という死の灰で汚されてしまったのです。

「安心・安全」という真っ赤な嘘と、少しばかりの豊かさに踊らされていた自分を悔み、未来を生きる子どもたちの空気を思い、自分の目から流れる涙を抑えられませんでした。

国は始めから「安心・安全」というキャンペーンをやる一方で、福島医大には膨大な予算が充てられました。復興予算、そして除染費用。毎日、新聞やテレビのニュースでは、福島県に充てられる予算の数字が大きな文字で映されていました。今、県内各地に大手企業が入り、除染が行なわれています。そして、手抜き除染のことも取り上げられました。水で洗い、土を剥ぎ、草木を倒して袋に詰め込むだけで、私たちの地域が元通りに戻るわけがありません。雨が降れば、大地の放射能は川へ、そして海へ流れるのです。汚染水のタンクが、汚染物の詰まった袋が、所狭しと増えるばかりです。

去年から入って良いとされる30キロ圏内の私たちの地域では、山菜から高いレベルの1万何千ベクレルというセシウムが検出されました。しかし入っている年配の人たちは知らずにそれを食べてしまうのです。福島で起きていることの真実を隠したいと考える人たちの強い力があるよに思えてなりません。

先日、総理大臣が、「わが国の世界一の技術を、原発を外国へ輸出する」と言っておられました。福島の原発が世界一のい技術であるならば、世界中の原発は今すぐ停めなければいけないでしょう。それを何故、世界中のどの国よりも放射能の怖ろしさを体験済みのはずの日本が、外国へ輸出することが許されるのか、それはまるで、日本は歴史認識が無いと外国から言われた、昔の戦争と同じになるのではないか、後に責任を問われることになるのではないかと、とても心配です。

経済成長戦略に、囚われすぎて、道を過ってはいけないでしょう。今、問わていることは、日本の使命はあの穏かに美しく凛と輝く宇宙から見た、この地球を、我らの母なる星を、地球を、知性と愛情と調和で守ることにあると思うのです。

未来の日本が昔と同じ責任を問われないため、原発のゴミと国の大きな借金で未来の日本が苦しむことがないように、今、考えを新にする時ではないでしょうか。勇気を持って、真実を明かし、福島の真実を語り、世界中の叡智を結集し、福島を、日本を、そして母なる地球を、守っていきましょう。

有難うございました。

「復興」は虚ろな言葉にしか聞こえません


武藤類子

2013年4月7日、パネルッディスカッション「女たちの力でネットワーク」より

今日は。

昨年の12月に野田首相が収束宣言というのを出されましたけれども、何も終っていないっていうのが福島県の中の人間の共通の思いだっていうように思っています。それで、一年たって、さらに色んなことが起きてきているので、そのことをちょっとお話ししたいと思うんですけれども、まず最近、3月くらいから地震が凄く多くなってきて、結構、揺れるんですね。

それにやっぱり4号機のことがもの凄く皆、不安に思っています。4号機、少し建物が傾いていて、そこに補強材が入っている状態ですけれども、また大きな地震があって、あれが崩れた時にどうしようっていうのは本当に皆、思っています。で、私も、皆もだいたいガソリンを満タンにしているんですね、いつも。何かっていう時に逃げられるように、私の家では避難箱を一人一個ずつ持っていて、皆、大事なものを入れておいたりとか、そんなふうな状況でいます。

そういうふうな状況でいる一方で、「復興」っていう言葉がね、1年たったら出てきました。「復興」っていう言葉があるんですけれども、どうしても私にはひどく虚ろな言葉にしか聞こえないんですね。で、復興が何とセットかっていうと除染っていうのとセットになっているんです。

で、除染っていうのは放射能を無くすことなんですけれど、無くなりはしないですね、どうしてもね。すぐに事故の後に、沢山の方が入られて、除染の研究をしています。色んな実験もしているんですけれども、ここ1年たって、だんだん私たちの中にあるのは、まあ「限界がある、無理じゃないの」っていうふうなね、そういう言葉が徐々に増えつつあるんですね。

確かに子供がいる学校とか通学路とか、そういうところをしなくてはならないっていう緊急性はあるんですけれど、山であるとか、まあ私のとことでも山を背負っている家なんですけれども、そういうところで除染をしても、また、一旦下ったのがまた上がってきているっていう、そういう状況です。

で、屋根の上を除染してもその水が今度は側溝に入って側溝の泥が、その放射線量が上がっているとか、そういう状況なんですね。本当に、もしかしたら、無理なんじゃないかっていうのがこう、段々、言われている感じがします。
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それから、その、除染をするから、もう大丈夫だよっていうことで色々、「帰村宣言」とか、そういうのが出されて、もう「帰ってこい、帰ってこい」っていう、そういうメッセージが出されてきているんですね。それで、遠くに避難している人のところにも直接、村長から電話が入って「もう大丈夫、綺麗になっているんだから、帰っておいで」っていうようなことが言われていますね。

それで、でもその村で、小学校を再開するために親たちが一所懸命除染しているんですけれども、皆、もの凄いマスクをして、白い防塵服を着て、必死になって工事をしているっていう、そんな状態なんです。

そしてまあ、色んなことが本当に起きていて、食べ物のことなんかも、1年たって基準値が今度、下がっていくから、最近では100ベクレル以上ですっていのは報告されているんだけれど、今までは500ベクレル以下のものは、以下っていうことで流通していたわけだから、それについて色々、数値が出ているけれども、そのことについて表示さてるとかそういうことがなかったわけですね。その間に本当に沢山の内部被曝っていうものが起きているんじゃないかっていう、そういう怖れがあります。

それから「安全キャンペーン」っていうのがあったんですけれども、放射線健康管理アドヴァイザーていうんですか、そういう長い名前の方が事故後すぐに来られたんですね、福島県に。そして沢山の講演会、そしてテレビにラジオ、そして「市政便り」とかで、まあ、「安全だ、安全だ、大丈夫だ」っていう、そういうキャンペーンを張りました。そういう表立ったキャンペーンはあんまりなくなったんですけれど、今度は小さい公民館の集りであるとか、ガンノコクミツノ集会であるとか、そいういうところの4番目くらいの人が今度は出てきて、やっぱり繰り返し安全キャンペーンっていうのは、規模と姿を変えてなされているっていう状態です。

本当に国はもの凄く莫大なお金を除染に投入しました。それで除染のための業者ていうのが、もう沢山、入り込んでいるわけなんですね。その方たちがいわき市であるとか、警戒区域以外のちょっとした大きな土地に群らがって、ちょっと賑わっているっていうそんな感じのような状況で、原発城下町は今、いわき市にあるっていうか、そんな感じもあります。

それから、そうですね、その除染に関してやっぱりお金がどんどん来るので、皆やらざるをえなくなるんですよね。ただ、どんなふうな除染が効果的かとか、どういう規準でどういうふうにやりなさいとかが何もなくて、みんなバラバラにされているので、どんどん、国、県、町、そして地区っていうふうに丸投げされているから、まあ、皆しょうがなくてやるっていう人もいれば、なんの防護もしないでやる人もいるっていうそんな状態だけれども、皆が出る地区の除染作業に出ないわけにはいかない。そういう感じも出てきているんですね。

遠くに避難している人に電話がかかってきて「明日は地区の除染の作業だけれど、まさかきれいになったところに帰ってくるんでねえべない」って。そういうことがね、言われたりするんですね。でも、それがやっぱり同じ被災者で残っている人も辛いんですよね。その作業すること。「皆やっているからやるけれど、本当は自分たちだって嫌だ」っていう思いをもつと思うんですよね。

そういう生きにくさっていうのがもの凄く深まっています。まあ、食べ物についてもそうですし除染についてもそうだし、避難とか保養についてもそうだし、あの、地元に残っている人たちの間で、避難とか保養とか放射能に関する怖さとかそういうことを口にすることが、凄くしづらくなっているというような状況があって、人々の分断っていうのが本当に微に入り細に入り、色んなところに知らないうちに放射能が入り込んでいるのと同じように、その分断が入り込んでいるっていうそういう感じが、もの凄く今、しています。

そしてやっぱり一年たって、上滑りっていうか、内実のない復興だけで「復興!復興!」って騒がれるので、皆やっぱりそれをしなくちゃいけないんじゃないかっている思いになるわけですね。で、この間、びっくりしたんですけれども、栃木県の中学生がいわき市の瓦礫の片付けにボランティアに来たっていう、20人ぐらい来たっていうのがテレビのニュースで流れていたんですね。本当にびっくりしました。

いわき市っていうのは、原発から南に30キロから50キロくらいの間にある大きな市なんですけれども、そこが本当にたくさんの放射性物質が降った地域でもありますし、まあ、今は線量は低くなっていますけれどね。でもん例え放射能がなくなっても瓦礫の中っていうのは沢山の化学物質であるとか、アスベストとかそういうものがあると思うんですね。そういうものを復興という名のもとに中学生に瓦礫の片付けをさせるという。子供たいは何かしたいという思いで多分、来ると思うんだけれど、本当に大人のすることをさせていいんだろうかということを感じました。

で、皆でやはり1年くらいたって、色んなことを常に常に選択を迫られているので、疲れてくるんですね。そして、次第にもう放射能に対する警戒を不図、手放したくなるっていう瞬間があると思うんですね。段々もう、聞きたくない、そういうことに心を向けているのがあまりにも辛くなってきているっていう、精神の限界みたいな状況に来ていると思います。

ついこの間も私の友達から、色んな保養の情報とか色々流れていましたけれど「もう言わないで」って言われてしまったんですね。聞きたくないっていうふうに言われて。そういうふうに今まで親しくしていた友達の間も分断されていくっていう、そういう状況だっていうふうに思います。

本当にの1年、この国がやってきたこと、そして東京電力の怖るべき無責任ぶり、そういうものに日々、傷付いて、無力感に襲われているっていう、そういうのが現実の状況だって思います。

福島の今


森園和重

2012年5月18日、たんぽぽ舎勉強会「隠された福島事故を暴露する」より

福島の今ということでお話しさせていただきます。昨年の3月11日に、危機を感じた方はすぐに避難しました。でも私のように何も無知な人間はそのまま地震に怯えて、原発のことよりも地震に怯えて、固まって3月を過ごしました。

まず、その時期は水道も止まっていたので、マスクはしていましたけれど、3時間、5時間と水を汲みにあちこちを走り回ったりという、そういう状況の中で過していました。

で、この1年が経ってなんですけど、国の、政府の思い通りに、福島県民はマインドコントロールをしっかりされまして、郡山に至っては、もう、本当に速い段階から「大丈夫よ」という声が市民の中からもだいぶ聞こえてて、凄い大変な状況をずっと暮してきています。

未だに窓を開けない方、洗濯物を干さない方、布団を干さない方、私も実際、窓はほとんど・・・・風がない日だけですね。それ以外は窓を閉め切ったままにして、暮しています。この辛さはちょっと経験していただかないと、分らないかなっていうくらい、大変な、ことでした。ええ。夏は暑いし。

で、去年、学校、小中高にエアコン付けるように、さんざん県や市町村に訴えたんですが、いっさいエアコン付けられず、今年も除染費用は330憶、郡山は入ったので、その一部でエアコンを小中高に付けろと、何度も何度も請願書・・・・あと、応援してくれる市議会議員さん、女性3人と何度も訴えたんですが、やはり却下されてしまって、もう今年は怒りまくってますので、ちょっと郡山市の前でマイクを持って、「窓を開けろ!」と。

眼の前には開成山公園という、まだ6マイクロ、9マイクロ、平気で10マイクロあるところの、開成山公園の前に郡山市役所がございますので、窓を開けてエアコン切って、応答しろということを、あの、マイクを持たないと分らないかな、と。子どもたちがどれほどの苦しみの中で勉強を強いられ、生活を強いられているのか、大人はあまりにも鈍感になってしまって、想像もつかない状況に陥っているのが、今の郡山の状況です。

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福島原発、今あと行なわれているのが、原発告訴団。先日も武藤類子さんがこちらの会場でお話をさせていただいたと思うんですが、6月11日を目指して告訴団の中に入っております。

それから子どもたちの集団疎開の裁判も、今、仙台高裁の方に、今週20日を目処に今、必死の思いでまとめあげて、郡山市に対抗すべく、今、メーリングリストを使って、書類を作成してます。

それから、今、昨日だったんですが、院内集会で被爆者支援法、援護法を、ということで、兎に角、被曝をしてしまったことは事実なので、これに対しての支援法、援護法の立法化を求めて、行動も起しております。

そして、そうですね、小中学校のことで、また戻るんですけれど、給食で地産地消をずっと進めてるんですね。でも東北っていうのは、冬の間っていうのは葉物がいっさい無いので、皆、西日本から全部入れていたんですが、これから葉物がどんどん出てくるんですね。その中で地産地消を進められて、米飯給食の地産地消を去年の秋からずっと強いられて、それを子どもたちが食べるのかということを、想像していただいて、この危険を知っていただけたらな、と思っております。

それから、先程も出ましたけれども避難経路。この後にもし何かあった時の避難経路や沃素剤の配布についても、県庁に解い合わせようが、やはり請願書なり申し入れ書をしても、「安全なんだから大丈夫です」っていう一言です。あと、「そんなことをしたら、福島市にも郡山市にも人がいなくなってしまうでしょう」ということを平気で県庁の人が申します。そういう状態がずっと続いています。

で、後、健康のことで言えば、皆様もご存知の山下俊一氏という長崎大学から福島の副学長になった、彼等が今、進めている甲状腺のみについての、執着というか、それによって日本全国の医師会がもの凄い圧力を掛けられて、なかなか声を出されないで今まできたんですが、やっと市民と科学者による内部被曝問題研究会というのが立ち上がって、少しずつ、協力してくださるお医者さまも出てき始めています。

今、私、個人的に考えているのが、やっぱり被曝したことを実証するには、死亡後に献体というか、本当にキチンと調べてもらえる、そういう医療施設、脳から皮膚から眼から、すべてにどれだけのものが、あるのかということを、すべてできるように、進めて。それも法律の中に入れていただいて、キチっと頭から足の先まで解剖してもらって、それによって、事実を突き付けていきたい、と。政府に対しても東電に対しても、突き付けていきたいと思います。で、今、その行動も始めました。

今、本当に、被曝は容赦なく、続いている状態で、郡山からこちらに来ると、私は凄くアレルギーがあって、敏感なんですね。なので、なのでやっぱり自分の家に戻ると体が怠くて、偏頭痛っていうのか・・・・偏頭痛とは違うんでうよ。頭痛って言っていいんでしょうか、前頭葉の方がもの凄く重たい感じになって、唇の中が痺れたり、夏、粘膜から血が出たり、疲れが溜ると血が出てくるの当たり前だったり、そういう症状が。あと、紫斑が去年が出てたりして、それに対する色んな防護法を肥田舜太郎先生とか、それ以外の先生方にお聞きしながら、色々教えていただいて、今、こうやって元気に生活してお子さんがいて苦労している親御さんのために何かできないかと思って走り回っている状況です。

何もできないんですけれど、今の福島がどうかっていいうことで、一番酷いって感じるのは、大人が、私たちの年代の大人が本当に狂ってしまっているっていうことが、大変、苦しく、辛いことで、商工会、教育委員会、医療関係、大学関係、すべて、子どもを使っての「安全安心パレード」が去年の7月からズーっと続けられてて、市のマラソン、市のロードサイクル、市の駅伝、市の運動会、って言われるくらい、酷い状況が続いてて、で、今度はプールが再開されてしまうんですが、福島市のあるプールでは6万ベクレルという水の汚染が出てるんですね。それにもかかわらず、その水をそのまま抜いてしまって、そこを除染をすると言っています。

で、郡山市は一回、3時間ルールを一番最初に解除してしまったので、それに追随する形で、各県、市、町村、自治体はどんどんどんどん、解除して、子どもたちをどんどんどんどん、「体力がなくなるんだ」等々と言いながら、避難とか疎開はいっさい考えておられず、そのまま、校庭で、「どこで遊んでもいいよ」っていう状態でいます。

で、この前、郡山市で出したのは、もう1マイクロ以上あるところが点在している校内を「どこへ行って遊んでもいいよ」って言うのは、あまりにも無責任だろうって言うことで、そのことも今、追及している最中です。

何から何まで、何故こんなに自分たちだけでやらなくちゃいけないのかっていうのが、凄く怒っているのが、あります。東京の皆さん・・・・東京に来る度に凄く辛い思いをするのが、電気を使うことがやはり余りにも東京は多過ぎるというのが実感しています。地下鉄に乗ると凄くそれが感じられます。あっちもこっちも電光掲示板だらけで、電磁波の中で皆さん、疲れないで生きていられるなって思うくらい、電光掲示板がそこここにあって、何か本当に東京にお住まいの方から声を挙げていっていただいて。

必要なものはどんどん使っていいと思うんですけれど、それ以外の娯楽的な部分でもし、節約・・・・節約じゃないですね。生き方を変えていただけることがあるんであれば、ぜひ、協力して「生き方を変えようツアー」をしていただけたらなと、思います。

あと、ここに、福島も郡山もそうなんですけれど、こうしていつもセミナーをして集ってくる方って、だんだんもう限られてきて、皆さん顔見知りになっていってしまっているっていう状況で、そうではなく、本当にどうやってそのことを拡げていこうかっていうのが最大の今、課題です。

どんどんどんどん大丈夫モードになって、安全だモードになって、見たくない、聞きたくない、話したくない、の中でどうやったら、疎開・避難っていうことをもう一度考えて、子どもたちを一緒に守っていこうねっていうことを考えて、命が大事だよね、人間だけじゃないよね、っていうことを考えれるのかっていうことを、どうやったら広めていけるのかっていうのが一番の課題です。

有難うございました。

こういうことを赦してはおけない


宇野朗子

2011年9月17日「原発から撤退集会」(佐賀市)より

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・・・・住民の人たちが避難の権利を与えられていないっていうことです。

今、除染がいるんだっていうのは、住民を外に出さないっていうための・・・・除染でもあるって、私たちは感じています。そして福島市の職員の方々がはっきりと言ったのは、避難というのは地域経済の縮小に繋がる、それはますい、だから除染なんだっていうふうにおっしゃったそうです。そして除染の具体的な見通しはほとんど無きに等しい、そして除染のためのマンパワーも足りないので、住民の方にも担っていただくことになるっていうふうにおっしゃったそうです。

私たちは、こういうことを赦してはおけないというふうに思います。こういうふうに除染、見通しの立たない除染。除染しなければならない、というのは皆思うわけですけれども、でも、その前にやはり、汚染がない地域で最低限度の文化的生活を営む権利というのは私たちは基本的人権としてもっています。そういう人権を福島県民も、別の地域の人たちにも、ぜひ保障していただきたいっていうふうに思います。

そして、こういうふうに大人がやっている蔭で、6ヵ月間、子どもたちが日々、被曝を強いられています。私たち大人が見る、後からどんどん出されてくる汚染地図ですけれども、子どもたちの年齢に置き替えて見てみれば、その汚染地図はもっともっと深刻になっているっていうふうに、私たちは見んあければならないと思います。

40年以上、この国策であった原発を推進するために40年以上、福島県民は原発の安全神話の中で、原発について語ることも許されず、過してきました。そして3.11。実際に私たちが心の底では一番怖れていた原発の苛酷事故が起きてしまってから、今度は原発安全神話ではなくて、被曝しても大丈夫だと、「放射能は安全です」ていうような大宣伝が行なわれてしまいました。

そうすることによって、福島の大人たちがXX元気を失くしています。その中でたくさんの不安を抱えて、そして自分たちの間でXXX思っていて、自由にものが言えない中で不安を抱えながら、過ごしているという状況があります。

この混乱の中で子どもたちが取り返しのつかない被曝XXを重ねないように、本当にまわりの皆さんの助けを本当に必要としています。どうぞよろしくお願いします。

一つ、お手紙を紹介させていただきます。中学2年生、三春町に住まわれていますXXカヨさんという方のメールを、許可を得て、読ませていただきます。

お元気ですか? 私は東京での友達も増え、楽しくやっています。でも三春を100点としたら、東京は80ぐらいでしょう。私は今、政府と東電に、もの凄く腹を立てています。どうして東電が嘘をつき、安全だと言い張るのか、どうしてこんな事故が起きても、政府は原発再開を目指すのか、そして何よりも大人が勝手に作った原発で、何故、福島の子どもが被曝しなくてはいけないのか、この怒りはどこにぶつけたらいいのか、ぶつけたとしても、聞いてくれるような政府なのか、何も分らない日々を、ただ送っています。

カヨさんの怒リというのは政府に向けられていますけれども、でもその先にやはり、私たち、この社会を作った私たち大人一人ひとりにも向けられている、というふうに思います。今、汚染地域に暮さざるをえないでいる子どもたちを私たちがどういうふうに守るのか。これから、こういう福島の原発震災で起きたこの悲劇を二度と繰り返さないというふうに私たちが決意をできるのか、ということが問われているというふうに思います。

66年前、敗戦によって私たちは過ちから学んで、軍国主義から脱して、戦争を放棄して、平和国家としてもう一回歩み始めるっていうふうに誓ったと思います。今、また私たちは痛恨の過ちを犯してしまいました。この思いを、原発主義から脱して、核の幻想と訣別するっていう決意を主権者である私たち一人ひとりが示していく、今、そういう時だと思います。