福島の子どもたちの今〜教育現場から


鈴木浩行

フクシマアクションプロジェクト第3回総会より

suzuki0皆さん、今日は。私は郡山から来ました、教員です。鈴木と言います。

2011年の原発事故当時ですが、私は現場を離れていまして、教職員組合の専従ということで、郡山の教育会館にいました。その当時ですが、もの凄い揺れで、コピー機があちこち走り回ったり、向いの屋根から瓦が飛んできたり、道路から水が吹き出てきたりという中で、一緒にいた中地さんが、「原発!」って言ったんですね。そして312日に爆発ということになりました。

私は組合の書記長という立場でありましたので、学校現場に何としても情報を伝えなくちゃならない、ということで学校の方に、情報を伝えるということをやっていきます。

これはFAXの通信なんですが、郡山市内に小学校がおよそ60校、中学校が30校、およそ90ぐらい学校があるわけですけれども、学校にFAXで兎に角、情報を流していこうということを始めました。当時、電話も不通だったんですが、唯一、FAXが何故か遅れた、という状況で(場内爆笑)、FAXを流し続けます。左側にあるのが61号ですが、多分、56号くらいから始まったんだと思います。最初に流したのは315日でした。

suzuki261号は水道水に関する情報で、当然やはり豊田の浄水場(注)から150ベクレル出たっていうことで、広報車がずっと走って回っていたんだけれど、おそらく寒い季節でしたので、窓も閉め切っているし、ほとんどの人が分からない状態だった中で、学校にこういう情報を流しました。

(注)豊田の浄水場: 猪苗代湖から引いてきた水を郡山市に給水するための施設だったが、昨年、閉鎖された

それから、330日の号です。当時は放射線を測定するガイガーカウンタみたいなものもほとんど無くて、運良く手に入ったもので郡山の地域を測ることにしました。図の左側が猪苗代に近い方、右が小野を通って浜通りに向う方角です。真ん中あたり、東北自動車道や東北本線の通っているあたり、その周辺がもの凄く高いということが分かりました。

suzuki3次は4月の27日です。郡山市教委から保護者への通達が出されて、3,7μSvという基準が出されて、「これはおかしいだろう!」ということで郡山市教委に出向きまして、基準の見直しと、慎重な態度を取るようにという申し入れを行ないました。拡大解釈をせず、共通理解を求めての要求でした。

それから次は暫く飛んで、6月になりますけれど、「風評被害」という言葉は慎重に扱うべきだというのを学校現場に流しました。今でもその「風評被害」という言葉によって我々は分断されている面がありますので、当時、この言葉は非常に危険であろうということで、教員の方に流しております。下の方には、年度1mSvの計算はこういうふうになってますよ、というふうな放射能の情報であるとか、色んな知識であるとか、そういうものを学校現場に届けました。

suzuki4623日です。文科省で発表されたデータを学校に送りました。一番上の行に、数値が付いていますが、事務所の前のところで毎日測定して、その日の移り変りですとか、毎日、せっせと流し続けました。

145号は「突然アラームが!」という見出しで、線量計を買ったところ、そのスイッチを入れた途端に鳴り出したわけなんです。向こうの基準が0,3μSvだったんです。そういうことで、そういう衝撃的な中身を現場の方に流して、2学期の体育であるとか、生活科であるとか、その他の活動であるとか、学校行事であるとか、栽培活動であるとか、除草についてはいったいどうなんだ、ということで、慎重な内容を学校に求めるように、現場の方に流しました。

suzuki5夏休みを過ぎて、826日、奉仕作業とか、そういう時期が学校現場に押し寄せてきます。県の方で出された資料を、「こういうふうにするんだよ」っていうことで、現場の方に流しました。実際、放射線のことについて一般の方はほとんど知識がありませんでした。で、本当にマスクもせず、肌を露出して、そういうような活動をする動きがありましたので、現場には慎重に慎重を重ねて下さいというお願いをしたのです。

その3日後ですけれども、福島県の小中生園児17 651人が、転向した、というような数です。

suzuki695日、文科省がセシウム134137の濃度の合計を出します。ところが、濃いところがあるんだけれども、ある範囲から先は公表されなかったんです。その先はいったいどうなっているんだろう、ということですね。ぜんぜん分からない、という状態でした。

その後、郡山の事務所で、表面汚染土の測定のできる、ベクレルの測れるものを買いまして、これも5台くらい買いました。それで支部の周りの表面汚染について調べて、「こういうところが高いですよ」というような中身の内容を送りました。

で、学校現場の状況ということでありますけども、私の勤めているのは谷田川小学校(郡山市田村町谷田川)です。郡山市全体としてはだいたい、0,1μSvくらいで推移しているんですが、私の勤めている学校のあたりは、2011年の34月当時は、線量が高くて、だいたい0,40,5μSvくらいだったろうと思います。

実はその次の年からこの学校に赴任するわけですけれども、低い線量ということもありまして、保護者、それから子どもの意識というのは、町の中心部と比べると、低いというような状態でした。

suzuki7次は、現在私が勤めている学校の通学路の線量率です。Hot spot finderという機械を使って、730日頃ですね、20kmくらい歩きました。5時間くらいかけて、ズーッと歩いて、測定してきました。除染してません。その中で、高いところで0,2μSvくらい。0,3μSvというのも1個所あったんですが、田圃の中の、水が集まっているような泥のあたりですね。後は平均すると0,1前後ということです。

suzuki8一方、郡山の中心部です。郡山3Aさんというところが造られた資料を持ってきたのですが、開成山公園のところへ行きますと、今でも0,60,7μSvというような状況だということですね。

学校現場で今も問題になっていると思われるのが、やっぱり、最初からあった「線量率の差」っていうのは非常に多きくて、それは国の中もそうだし、県の中もそうだし、市町村でもそうだし、地域の中でもそうです。

それから「不安」「知識・情報の差」….こうしたもので、我々が分断されてはいないか、って思っています。意識の違いがいっそう拡大していて、不安から防御するために、まあ、原発事故の当初は、非常な高ストレス状態でしたよね、我々。そうしますと、そういう高ストレス状態がずっと続くと限界に達して、「だいじょうぶ」だっていうようなことを選択する方もたくさんいたのではないかなと思います。

今、ダンダンダンダン、原発事故のことが、現実のことが忘れられて、過去の出来事のことになりつつあったり、それから「不安」と言えないというような気持。言うとどうなるか分からない、そういう状況も実は生まれていて、この分断はよりいっそう進んでいないかなっていうふうに思います。

それから、学校現場で言いますと、学校行事の平常化です。野外活動もそうですし、運動会、栽培活動、そういうものが、普通に行なわれる。行なおうという動きがドンドン進んでいるところです。

原発事故の記憶のない子どもたちが入学してきました。小さな頃ですので、ほとんど記憶のない子どもですね。これからは原発事故の後に生まれた子どもたちが学校現場にドンドン入学してくるようにもなります。

それから、食の平常化です。ほとんど測定されることのない畑の野菜。私のところは本当に田舎ですので、じいちゃんばあちゃんが、畑で作ったものを食べていたり、前と同じように渋柿を剥いて、干し柿にしたりとか、そういうような状況も生まれつつあります。測定する場所はたくさんあっても、そこを活用して測定するようなことは、恐らくほとんどない、あるいはごく少ないというような状況であります。

これから私たちは色々注意して見守っていかなければならないんですが、まず、学校現場に落ちてきたものは、まず、震災前は「わくわく原子力ランド」っていうのを文科省が配ってましたね。「絶対事故にならない」っていうのをドンドンドンドン宣伝してましたが、原発事故後は最初は「放射線について考えてみよう」っていうものが出されて、放射線について書かれたものですが、これにはかなり批判が多くて、その後、2014年の228日に新しく「本年度から新しく使ってもいいですよ」っていうことで、「小学生のための放射線副読本」が出されます。

その中身なんですが、イラスト入りで色々書かれています:放射線から身を守る方法は「放射性物質から離れる 」って書いてあります(会場爆笑)。まあ、我々は離れると近付くといった状態、離れたはずが、より高いところ場所だった、というようなことだったですよね。

それから、内容的にはやっぱり、「福島のことじゃない」っていうことです。これはつまり全国向けなんでしょう。福島以外の人たちもこれを使って学習しなさいよ、っていう中身でありまして、福島県では到底、使えないと思っています。

suzuki9それから「退避・避難をする時の注意点」なんて書いてありますけれども、こんな感じじゃないんですよね、あの当時を思い起こしても。もっともっと緊迫感があったし、もっともっと長い間、苦しめられたし、っていうことであって、こんな簡単にイラスト付きて書かれるような中身ではないです。

それから、政治的な判断で、充分な公平性もない、一方的な政治的な情報の取捨・選択によって書かれた内容だと思っています。政府・電力会社の責任にも触れられていません。事故後の廃炉問題、放射性物質についても、いっさい、記載はありません。そういうことで、私たちはやはり、放射線教育っていうのは、これからは人権教育も含めたうえで、そういう視点を持ってですね、学校現場の子どもたちとですね、一緒に学ばなくてはならないな、とい思っています。

どうも有難うございました。

健康管理調査結果の衝撃


駒崎ゆき子

「原発いらない金曜日in郡山」2013年2月15日、郡山駅前広場にて

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皆さん、今晩は。

子どもたちを放射能から守ろうという、14人のお子さんが仮処分の申請をしている、集団疎開裁判の世話人をしております、駒崎ゆき子と申します。

今回の福島県健康管理調査の結果は本当に私たちにとっては衝撃的でした。疑わしい7人と言いますが、その方たちも、甲状腺癌も疑われることはもちろんです。本当に38000人の中から10人の甲状腺癌の子どもたちを出したということは、とてもたいへんなことです。

そしてこの結果はまだ23年度まで検査をした結果です。24年度分についてはまだ結果が出ていないんです。24年度は、福島県から川俣町、伊達市と中通りに、福島県の中通りに入ります。この郡山市も、10月から検査を始めました。しかしその結果については、まだ公表されていません。

本当に、結果が遅すぎます。これだけの癌患者が出ているわけですから、速やかに検査をし、そして結果を速やかに出して、対策を打たなければならないと思います。このことができない、故意に遅らせているような節さえ見えます。とても大変なことだと思います。本当にこの福島、郡山に子どもたちをこのまま置いていいのかどうか、私たちはしっかり、物申していかなければならないと思います。

私たちの集団疎開裁判も高裁に行きまして、今、3回の審議が終り、終盤に差し掛かっています。これに向けて私たちも集中的な行動をしていこうと、今月の23日には新宿のアルタ前で、集会とデモを予定しております。郡山からもバスを出す予定でおりますので、ぜひ皆さん、ご参加をお願いしたいと思います。

また、私は市議会議員でもあります。今回、2月7日の日に、東電を呼びまして、今回の事故、それから放射能の汚染についての公開の委員会を開きました。主に賠償・補償の問題でしたが、今回、私たちが受けている賠償・補償についても24年度、8月で一律の補償は打ち切るというようなお話もありました。

これについても、私たちはしっかり、この市の放射能が事故前に戻るまで、しっかり補償は続けて欲しいというような意見を出しました。

IAEAの福島閣僚会合とフクシマアクションプロジェクト


吉田明子

(2013年1月23日、「女たちの一票一揆」院内集会での報告)

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吉田明子です。私はFoEジャパンでスタッフをしていまして、311の後からは原発エネルギー担当として福島の問題、原発の問題そしてエネルギー政策の問題 に携わっています。今日はIAEAの閣僚会議、「原子力安全に関する福島閣僚会合」が昨年12月15日から17日に開かれました。で、これに対して福島の女たちを初めですね、フクシマアクションプロジェクトという活動体を作って、このIAEAに市民の声を届ける、福島の声を届けるという活動をしてきました。このことについて簡単にご紹介したいと思います。

私は東京からこのプロジェクトに参加さぜていただいたんですけれども、一週間くらいその間ですね、福島と郡山に行ってきました。

IAEA, これは原発推進派の組織として、皆さん、当然、ご存知だと思うんですけど、これはIAEAのホームページで、about usというページを見ますと、このようにatoms for peaceというのが高々と掲げられていると、こういうことになっています。まあ、IAEAの成り立ちとして第二次世界大戦の後に原子力の平和利用という ことで1953年にアメリカのアイゼンハワー大統領がatoms for peaceという演説をしたというところから、それがまあ今にも引き継がれているというか、今だにこういう組織であるというものです。

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こ れは外務省の今回の閣僚会議に関するページなんですけれども、ここに今回の会議のプログラムですとか、様々な決定文書、それから後でご紹介しますけれども 福島県などとの協定文書がすべてこちらにアップされています。外務省のWEBサイトで、今ちょっと分りにくいところにあるんですけれども。

この「原子力安全に関する福島閣僚会合」なんですけれども、開催目的としては国際的な原子力安全強化に貢献することを主な目的としているという風に掲げられ ています。これはその閣僚会議の公式のサイトに載っているものなんですけれども、テーマが3つぐらいありまして、一つは「東京電力福島第一原発事故から得 られた更なる知見および教訓を国際社会と共有」すること。そして「原子力安全の強化に関する国際社会の様々な取組の進捗状況を議論」すること。そして3点目、「放射線からの人及び環境の防護について議論・共有」すること。

で、これと並んでですね、「福島の復興に向けた確かな歩みを国際社会に発する」と。こういったことが目的に掲げられて開催されました。で、これは会場の本会議場の前の一番目立つところに掲げられていたものなんですけど、 making nuclear power safer、まあ、もっと安全にというということが正面に掲げられていました。

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福島県郡山市で開催されまして、こちらの会議はですね、113ヶ国から約700名が参加したということで、この期間中ですね、郡山市はこの関係者、そしてスタッフの方で溢れていたんですね。で、スタッフの方はピンク色のジャンパーを着て、郡山の駅前だとか、各ホテル、まあ一つのホテルでは宿泊できないので何カ所かの、まあ7つか8つくらいのホテルに分れて宿泊していたんですけれども、それぞれのホテルのところにこのIAEA専用の受付があって、そこにまあ、 ピンクのジャンパーの人が常駐している、というような、まあ、ある意味で、賑いで開催されていました。

スケジュールはこんな感じだったんで すけれども、この前に14日に県内の視察ツアーというものが行なわれまして、浜通り・中通り・会津の3るのコースがあったと。そしてその夜に福島県産の農作物の安全に関する説明会のようなものも行われたという、まあ、積極的に復興をアピールするような、まあ;全体的には内容だったですね。

一日目、二日目と、全体会合というか本会合が開かれたいまして、その中では各国からの、117ヶ国の代表がそれぞれの国で原子力の安全についてどう考えているか、というような6分間のスピーチを開催していました。そして、二日目、三日目は専門会合ということで先程のテーマ、福島原発事故からの教訓、そして原子力安全の強化、放射線からの人および環境の防護ということで、それぞれテーマについて専門会合が開催されていました。

これは会場にパネル展示が幾つかあったんでしけれども、子供たちへの放射線教育、まあ、そういった授業をやっているというパネルですとか、それから「県民健康管理調査」についてもこういったパネルが整然を並んでいたんですね。

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これが全体会合の様子でこういう広い会場で開催さていました。

この12月15日、会議の初日なんですけども福島県とIAEAとの間で協定が結ばれました。覚書が結ばれたんですけれども、これは福島県とIAEAの覚書な んですけれども、3種類の覚書が締結されました。一つ目は「福島県とIAEAとの間の実施取決め」、これは福島県とIAEAとの間で今後、放射線モニタリ ングや除染について協力していく、これは三春町、そして南相馬市にIAEAと福島県による共同の研究センターが設置されて、そこでこういった除染の実験な どが行われていく、そして福島県立医科大学とIAEAとの間では県民健康管理調査、そして研究、啓発。この啓発というのは、放射線とはどういうものなのか、そのリスクだとかそういったものについて県民、人々にどう伝えていくか、ということについて協力していくということだそうです。

そして3つめが「務省とIAEAとの間の実施取決め」というもので、緊急時の対応、まあ、事故が起った時の対応について、協力していく。この3つの種類の協定が この会議で結ばれました。とは言っても原発推進のIAEAが福島県にやって来てこの健康問題、そして除染問題その他について協力するということは、 IAEAがチェルノブイリ事故の後にやってきたことを見れば、その影響を過少評価する、矮小化するとぴうことに他ならないだろう、ということで立ち上がっ たのがこのフクシマアクションプロジェクトなんですね。

このフクシマアクションプロジェクトは、今日はいらしていないんですけれども福島の佐々木慶子さんなどが中心になってスタートをしたんですけれども、11月24日に福島でキックオフ会合を開いて、出発しました。その時にはこういった覚書の内容だとか、どういったものになるか、まだ分っていなかったんです。けれども、とにかくこういった決定をする場に福島県民の、市民の声が届かないというのはいかがなものか。そんな県民不在で決めることは許されない、ということで、市民の声をこの場にいかに伝えるか、ということをまず主眼としてスタートしました。

この会議の情報とかも、外務省のホームページにアップされて、なかなか直前だったんですけれども、最初は一般市民の公開は予定され ていなかったんですね。で、それであれば現地の福島の状況については、福島県だとか、県立医大だとかが、代表して伝えるということにはなっていたんですけ れども、それではせっかく福島県で開催するのに市民の声を聞かないで、何の意味のある会議なのか、と。その点について訴えまして、で、辛うじてなんですけ れども、50人程度、事前に傍聴の登録をした人に限っては市民の傍聴も認められるですとか、それから直前になってですね、市民の声を、、福島県民に対する 説明会、どういうことを話して、まあ、郡山市で実際に開催するわけですので、交通規制含め様々な、まあ大規模な催しなので、市民に対してどういう意義があ るのか、どうやっていくのか、その方針などを説明する説明会を開催して欲しいということを要求しまして、これは12月9日の日曜日、この会議開催の僅か1 週間前だったんですけれども、そういった市民説明会が、郡山市で開催されることになりました。

で、その場でもですね、この本会議の場で、被 災者、福島県民の方から直接、意見を述べる場を持って欲しい、直接、会議の出席者に福島県の声を伝える場を設けて欲しいということを外務省に交渉しまし て、で、まあ、検討すると言ってくれたんですけれど、まあ1週間前だったということもあって、その会議のプログラムの中に組込むということは叶わなかっ た、しかし、そいういった声をですね、メールやファックスなどで外務省に贈ればそれを会場に掲示するということはこのフクシマアクションプロジェクトから の訴え掛けによって、実現しました。

これがそのメッセージボードですね。本当に普通のホワイトボードにプリントアウトした物が貼ってあるという簡素なものだったんですけれども、まったくこれが無ければ、政府と福島県が用意した美しいパネルが並ぶだけの会議だったかもしれないっていうところ に、生の声、こうした声が届きまして、資料にもあるフクシマアクションプロジェクトの要請書も、こちらに二日目には貼り出されました。

こういった形で、私たち、外務省と何とかお話しをしたんですけれども、少しずつでも市民の声に耳を固むけようという姿勢を引き出したという点でまあ、こうしたアクションを実際に起したことに意義があったかな、と考えています。

最初は目立たない場所に置かれていましたが、最後の日には、本会議場の目の前のよく目立つ場所に貼ってありまして、参加者の方も、「結構ですね、生の声」ということで、興味深くこの掲示板に立ち停って読んでいたり、写真を撮っている方もたくさんいたそうです。

これは12月15日なんですけれども、その要請書ですね、これをIAEAの担当の方に直接手渡ししたいという、この要求も佐々木慶子さんを中心に粘り強く外務省に交渉していまして、ついに実現することになりました。15日11時半からですね、何と30分以上にわたって、この寒空の下ですね、IAEAのスポークスマン、広報官の方が出てきて、この要請書の読み上げ、そして現地からの直接の声を聞いてくれました。

で、フクシマアクションプロジェクトとしてはそちらに要求事項を書いてあるんですけれども、1月の末までに文書で回答して欲しいということを伝えまして、その広報官の方からは、その点は強調して本部に伝えるという回答をいただいています。

もう一つ注目していただきたいのはこの被っているお面なんですね、これは人見やよいさんがデザインをしてくださったんですけれども、IAEA、福島でこれか ら活動していくんですけれども、決っして過少評価を許さない、それをしっかりと見ているという意志を込めたこの「眼」を着けてこのアクションをしました。

そ して12月16日、会議二日目なんですけれども、こちら市民会議を開催しました。で、フクシマアクションプロジェクトの関係者、そして海外からですね、 IAEAの本部があるウィーンからFoEオーストリアのラインハルトさん、そしてWHOの本部のあるジュネーブやパリのフランス厚労省の前で活動している クリストフ・エランさん、このIAEAやWHOに対して市民活動を続けているこのお二人を招いて、今後フクシマアクションプロジェクトはどういった姿勢で このIAEAを監視していくべきかということについて、会議を開催しました。

で、ここに元外務省の天木直人さんもいらしていただきまして、 ワワワの会のイベントのチラシが入っていますけれど、天木さんからは元外務官僚といった立場としてたいへん興味深いお話しをいただきました。まあ、外務省 の役人という、まあ、中にいるとですね、本当に大きな権力が動かす大規模なプロジェクトを淡々と進めなければいけない、そうすると市民の声とかを聞いてい ると、それを進めることができない、だから外務省の官僚は不勉強だし、情報もなかなか取り入れようとはしないというようなことを言っていました。本当にそれ、私たちのこのフクシマアクションプロジェクトを通じて外務省の方と話している中で感じたことなんですね。

で、その12月9日の説明会で も説明にきた外務省の方はですね、IAEAとWHOの協定についても、チェルノブイリの影響についても、知らなかったという風におっしゃっていました。で すので、まあ、粘り強くですね、コミュニケーションをして情報を伝えていくということが今後も引き続き必要だと実感しました。フクシマアクションプロジェクトは今週末、会議を開いて、継続していきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

要請書への回答


2013年1月17日
フクシマ・アクション・プロジェクト
共同代表
小渕真理 樣
武藤類子 樣
関  久雄 樣

国際原子力機関
広報官  ジル・チューダー

昨年12月15日に貴団体より受領しました要請書(IAEAに「福島原発事故を過少評価せず、被災者の声に真に応えることを求める」要請書)に対し、以下のとおり回答を致します。

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故により被災された方々に対して改めてお見舞い申し上げます。国際原子力機関(IAEA)としては、被災者の皆様が一日でも早く元の生活に戻れるよう、引き続きできるだけのお手伝いをしたいと考えております。

去 る12月15日に福島県知事との間で署名された覚書に基づき、IAEAは今後、放射線モニタリング・除染、人の健康などの分野で、福島県と協力していくこ とにしています。これらのプロジェクトは、福島県からの要望に基づき福島県の方々と一緒に実施していくものであり、IAEAが有する国際的な知見・経験を 福島の人たちと共有し、少しでも復興のお役に立ちたちと考えています。

現在IAEAは原発を推進するという立場をとっておりません。自国の エネルギー政策をどうするのか、また、その中で原子力発電をどう位置づけるのか、あるいは既に原子力発電所を稼動させている国については将来原発をどうし ていくのか、などはそれぞれの加盟国が自ら決定する問題であります。IAEAとして、加盟国に対して原発を導入すべきである、原発の運転を継続すべきであ る、あるいは原発を停止させるべきであると言う立場にはありません。しかし、加盟国が原子力発電を導入する、あるいは継続するという決定をした場合には、 それらの原発が国際的な安全基準を十分満たし、周辺国の懸念にも十分対応する形で、安全かつ持続的に運転されるよう支援をするということがIAEAの役割 です。加盟国が自国の原発の稼動を停止し将来原発から撤退するという決定をした場合であっても、原発が停止するまでは安全基準に沿った運転が必要ですし、 IAEAとしてはそのための支援を行います。

いずれの国においても原子力発電の推進は高い透明性と信頼性をもって行われなければならないのは当然であり、IAEAは国際的評価ミッションの派遣や得られた情報の共有などを通じて、国際的な透明性・信頼性の向上に貢献しています。

アクションプロジェクト武藤類子共同代表より IAEAジル・チューダー報道官へ


(2013年12月15日、郡山ビッグパレット駐車場で、報道官に対面しての発言)

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私からお願いしたいことがあります。覚えておいて 欲しいこと、それは福島県はもう脱原発を決めたということです。それからもう一つ、IAEAはぜひ、チェルノブイリの真実を語ってください。チェルノブイ リの健康被害の真実を語ってください。そして放射線防護の規準を見直してください。決して放射線の過少評価をしないでください。

命よりもだいじなものがあるでしょうか。そして最後のお願いです。今日から3日間行なわれている会議を、原発の安全性をではなくて、原発の危険性について語ってください。そして世界中の原発をなくすという合意の会議に切り替えてください。

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話は私たちが心配していた通りの状況で進んでいました


地脇美和

世界閣僚会議当日、会場の郡山ビッグパレット駐車場で、IAEA広報官を待っていた間の発言

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皆さん今日は 私は外務省のホームページから、傍聴の許可を受けて、先程、傍聴をしてきました。まだ会議は続いていますが、途中で抜けて出てきました。中の様子をお伝え します。皆さん、ビッグパレット、入ったことあると思うんですが、長い廊下があるんですけれども、そこの廊下すべてに福島県が作ったパネルがズラーっと 貼ってありました。で、そのパネルは、凄く津波も大変だった、という写真とか、除染をしているところとか、あと、子供たちの心のケアのためにこういう取り 組みをしていますとか、そういうことがいっぱい貼ってあったんですけれども、要は、福島は大変な状況であるけれども、線量も除染をすればこれだけ下るし、 こうやって除染をしています、こういう風に今、皆さん元気に過しています、頑張って生活しています、というパネルがズラーっと貼ってありました。それが一 階です。

で、二階には福島県の物産展ということで商品とかが置いてありました。で、福島県のお水をペットボトルに入れて売っています。「い かがですか?」っていうことでお奨めをされました。本当に、何も、もう大丈夫なんですよ、っていうことがズラーっとパネル展で貼ってありました。

フクシマアクションプロジェクトと話し合いをして、一時期、本会議の中で福島の被害者の声を聞くように、お願い、というか要請をしまして、こちらから人を推 薦してくれれば本会議の中で話をしてもよいという、、話ができるかどうかを検討するということを言っていただいていたんですが、結論、無理ということで、 その代り、皆さんからのメッセージを集めて会場に貼り出しますということで、お聞きしてました。ので私は会場に入った時にとにかくそれを捜して歩きました が、私が見た範囲では分らなかったんです。で、(どこにあるんですか?」と外務省の事務方の方に、聞きに行きましたところ、一階の一番隅っこの端に、ホワ イトボードに貼り付けて、一応、貼ってはありました。で、「私、見た時、分らなかったんですけれど」ていう風に事務方の方に言ったら、「必ず海外から是ら れた方が通る通り道に一応、貼ってあるので、見ると思います」っていうことでしたが、私たちが入ってすぐに一所懸命捜しても分らなかったので、それはどう なんだろう、ということを思いました。

タイトル がありました。英語で書いてあって、「福島の皆さんからの声」ということでタイトル貼って、皆さんからのメールが切り貼りでホワイトボード一面に貼ってありました。で、フクシマアクションプロジェクトの申し入れ書も貼ってありました。そこは確認しました。

で、 玄葉さん、玄葉大臣が最初にスピーチをして、その後、IAEAの天野さんがスピーチをしていたんですけれども、福島の経験を生かして、安全対策を万全にし て透明化して、大丈夫だから他の国もそんなに心配せずに福島から学んだこと、すべて皆さんにお話ししますから、事故が起らないようにこれからやりましょうね、原発、推進しましょう、っていうことを皆さん、はっきりと発言していました。

私たちは後ろで傍聴なので、発言も一切、するなということで言われていたのですが、本当に、何か、はらわたが煮えくり返るというのはこういうことなんだな、と思いながら一応、静かに聞いていましたが、言っていたことは本当に無茶苦茶でした。もう、とにかく、大丈夫なんだって。で、線量も事故当時よりはかなり低減されています、その一言なんですね。実際、今、どんだけ出ているのかっていうこともまったく言わず、除染の効果についても言わず、やってます、少し下ってます、っていうことだけで、会議がどんどん進んでいっていました。

ロビーには福島県のパネルとは別にIAEAの作ったパンフレットやDVDも置いてあったので、ちょっと貰ってきたんですけ れども、こういう形で自分たちの宣伝もちゃっかり続けていた、という形でした。本当に会議の中の話は私たちが心配していた通りの状況で進んでいました。で 皆さんにもお渡ししたIAEAへの要請の文書を見ていただくと分るんですけど、本当に福島原発事故を過少評価をして、実際の被災者たちの声を聞いていない ということは一緒だと思います。唯一、被災者の声ということで載っていたのは警察官と警察官の家族の方の思いというのは綺麗なパネルになって貼ってありま した。でも一般の普通の人の声は綺麗なパネルになって貼り出されるということではありませんでした。子どもたちが屋内遊び場も順次、整備していますっていうようなパネルもありました。

毎年群れをなしていた赤トンボが、今年は1匹しか来ませんでした


森園和重

2012年10月13日、「さようなら原発集会in日比谷」(東京・日比谷野外音楽堂)での報告

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皆さん、今日は。福島県から参りました。

始めに、今年の夏休み、全国の皆様のご支援により、福島県の子どもたちがこの夏も保養に出掛けることができました。本当に感謝いたします。有難うございました。

忘れてはいけないということを3つ、まずお話しさせていただきます。1つは福島原発告訴団について、ご存知の方、手を挙げていただけますか?有難うございます。今日、ここに参加された皆様にぜひとも、告訴人になっていただきたいと思います。1年7ヵ月たった今も原発事故の責任を誰一人取っていません。告訴は今月一杯、受け付けていますので、よろしくお願いしたいと思います。11月15日、福島地方検察庁に提出いたします。後ろの方のブースに資料が用意してございますので、詳細はそちらでお尋ねください。よろしくお願いいたします。

2つめは福島集団疎開裁判についてです。現在、仙台高裁で審議中です。第一回の審訊は10月1日に行なわれました。第2回の審訊は11月26日です。疎開裁判の詳細についてはこちらのブックレット600円にて、説明していますので、ぜひ、お買い求めいただいて、お勉強していただいて、皆様に広めていただいたら、有り難く思います。こちらもよろしくお願いいたします。

3つめは、原発事故子ども被災者支援法、正式名称、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住人等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が、今年の6月21日に超党派の議員の皆様の力により、国会で成立いたしました。この法律についての話し会いが今日も郡山で行なわれている予定になっております。私も今日、こちろの集会とデモを終了後、すぐにトンボ返りする予定でおります。

この3点をお伝えするという私の大役をまずは果したと思います。

続いて、今回も何時ものように、私のお話しをさせていただきたいのですが、話が飛んでしまうと分らなくなってしまうので、書いてきたものを読まさせていただきます。

今年の夏、我が家のある、私の住んでいる地域では蚊や娥やコガネムシがほとんどいませんでした。ゲリやドーウも昨年より少なく、コンビニエンスストアの青白い光に飛び込む網いっぱいの虫たちの姿もまったく見掛けませんでした。今年、お米の収穫期を迎えた田圃から、毎年、聞こえてくる雀避けの空砲の音を一度も聞きませんでした。毎年、夏の終りに群れる赤トンボが、今年は我が家の庭に1匹しか飛んできませんでした。コオロギや鈴虫、スイッチョンやバッタも弱々しい鳴声です。

福島の子どもたちはこの夏も虫に、昆虫に触ることはできませんでした。毎年、沢山、沢山出ています。去年の方がまだ元気でしたが、今年はなぜか皆、弱々しいです。この先、昆虫たちの姿を見ることができるのでしょうか。子どもたちに既に出ている健康被害、無色透明、無味無臭の放射性物質。今日も容赦なく私たちに降り注ぐ放射線。

これはある小学校の線量です。遠くの方、見えないと思いますが、その小学校はテレビにも放送され、有名な小学校でした。除染に継ぐ除染を重ねても、先日、9月29日、線量を測ってきました。5,736μSv/hです。5マイクロあります。こんなホットスポットが、校舎の中にもまだまだ点在しています。こういうホットスポットが、郡山市、福島市…福島県の中にはまだまだあります。そんな中で先日も郡山市ではシティマラソンが開かれました。昨年夏からマラソン大会、駅伝大会、ビール祭り、ラーメン大会、屋台や出店、そして先日、霧雨降る中で、神輿を子どもたちが引いていました。放射能の雨です。

その霧雨の中で子どもたちが楽しそうに太鼓を敲きながら神輿を引いているんです。誰がやらせているんでしょう? でも本当に子どもたちは雨に濡れながらも楽しそうでした。

企業、商工会議所、教育界、医学界までもが行政と結託して昨年早々から「安全安心キャンペーン」を繰り広げてまいりました。それを垂れ流し続けた読売朝日。大手メディア。原子力事業は国策であると言い放ち、原子力村の言うがままに放送を続けたNHKの大罪、どう責任を取るんでしょう。

でも、私たち大人の責任でもあります。私の責任でもあります。無知で無関心で、数十年生きてきました。もっともっとどこまでもどこまでも貪欲で強欲で…そんな人間たち。地球は私たち人間だけのものではありません。

12月15日から、IAEAが郡山で会議を開くそうです。原子力村が何をしに日本に来て、居を構えるのか。原子力産業を海外に輸出し続ける東芝・日立・三菱の皆さん。皆さんにお聞きしたい。私たちの命と健康をどう考えているのか。この時、この瞬間の福一では原発事故の収束の作業を続けられている作業員の方々たちが、約3000名いらっしゃいます。今年の夏は本当にうだるような暑さで、ご無事でいるかと、皆、祈っていました。6割が福島県民です。被害者が加害者に雇われているのです。これが現実です。

皆、家族を守るため命を守るため、生活を続けるため、日本を守るため、高線量の中で、命懸けの作業です。何時また地震が来るかも分らない。私はこうして東京に出て来る度に、連れ合いにメールをします。「大丈夫ですか?地震は来てないか?」必ず確認を取ります。何もなかったように生活をしている福島気県民も、地震や余震があると、福一は大丈夫かと、連絡を取り合います。どんなに「安全安心キャンペーン」を張られても、地震があると一瞬で311の時に戻ります。

原発事故後、窓という窓を締め切り、目張りをして揺れるカーテンを見て過した恐怖が甦ります。今度こそ風向きを確認して逃げようと、もう二度と再び地震は起きませんか? 誰か断言できますか? 福一は収束していません。ここ東京が何も変わらず、安全に生活できているのは、福一で収束作業にあたってくれている被曝労働作業員の方々がいるからです。そのことを絶対に忘れないでいただきたいと思います。

人間の手に負えない原発は、もう作っても再稼動してもいけないのです。最後に、日本人の女性の皆さん、世界中の女性の皆さんに、繋って、No Nukes、原発はいらないよ、止めようよ、と声を挙げていただきいと思います。そしてそれをサポートしてくれる男性の皆さんも、一緒になって、絶対に、再稼動された原発、これを止めて、廃炉作業も被曝が少ない綿密な計画のもとで、行われるように、行動していく、皆さんと一緒に、進んでいきたいと思います。

今日はお話を聴いていただいて本当に有難うございました。

大きな痛手を蒙った福島県に棲む当事者だからこそ言える脱原発


蛇石郁子

「エネルギー環境会議・福島県民の意見を聴く会」(2012年8月1日=政府主催)より

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25番です。蛇石郁子と申します。郡山市の市議会議員をしております。

私は3月11日以降、大変な災害の中、市内を駈け巡り、そしてまた原発事故以降、やはり眼に見えない恐怖に曝され、自らも被曝しております。

政府が一番やらなければいけなかったことは、原発事故が起きた時に子どもたちの命をどう守っていくか、ということだったと思いますが、福島県内においては、それが確実に実行されたとは言えません。まだ、測定されない中、本当に危い子どもたちをアメリカでは80キロの方に避難させましたけれども、そういった手は日本では打てませんでした。そこで沢山の被曝に曝され、そして放射線の防護に対しても、キチンとした情報が与えられなかった、無駄な被曝が強いられたと思っております。

では、私の意見表明をいたします。

私はゼロ被害を求めます。再稼動は認めず、原発の即時廃炉の意見を表明いたします。原発はいりません。3月11日、大震災による原発事故によって、福島県民は健康に生きる権利をことごとく奪われてしまいました。そして日本中に、世界中に放射能汚染を拡げ、世界の人々に、子どもたちに、大きな迷惑をかけた事実は日本人の一人として大変恥しく、情けなく思っております。

もっとも懸念することは、感受性の強い子どもたちへの影響です。健康に悪影響を及ぼす恐れのある放射性物質の拡散はホウシャたちを大きな恐怖と不安に陥れました。そして、放射性物質による環境汚染は子どもたちが健やかに遊び、育ち、学ぶ環境をことごとく奪いました。

郡山市においては、教室にクーラーはまだ設置されておりません。この厳しい環境の中で、我慢を強いられております。政府による正確な情報、安全な食品を提供されず、無用な内部被曝、外部被曝を受けたのです。多くの命、財産、かけがいのない美しい故郷を奪われ、苦悩を心の底から理解していただきたい。

特に、原子力政策を推進してきた人々、政府、電力関係者の方々にです。年間、100mSvまで安全である、という政府関係者、学者の方々は、福島県から遠くにいないで、ぜひ、福島県内棲み続けていただきたい。そして福島県民とともに同じように低線量被曝の中で飲食し、生活していただきたい。

原発・放射性廃棄物は人類と共存できません。放射能の拡散は倫理上許されないことです。ですから私は原発や放射性廃棄物の対外輸出にも反対です。日本のみならず、世界中から原発を無くすこと、核の廃絶を強く求め、戦争のない平和な世界を築くことが私たち大人の使命であると考えます。

ゼロシナリオを求める理由:私は原子力政策への不信感をどうしても払拭することができません。過去の政府の対応と電力会社の企業体質の問題、情報の隠蔽、事故の過少評価など、正しい情報提供と情報公開がなされなかったことです。

また、地震事故が起きた時、暴走を止めることができるのか疑問です。高い放射能数値の中、汚染水処理と危険で苛酷な作業を行う人が絶対必要ですが、果してそれがどのように確保されるのでしょうか。原発事故による経済損失は数十兆円という国家存亡に関わる規模です。国民への負担増を強いる原発は、経済的にもあいません。危険な原発や作業は過疎地住民に交付金を押し付けますが、本当に安全なら都会に建設すべきです。

地方と都会:国民を差別・分断してはなりません。原発は人権の問題でもあります。なぜ再稼動を急ぐのか。安全対策より、結論ありきの電力会社温存の経済重視は、理解できません。

二つめ:東京電力第一原子力発電所の甚大な事故の受け止め方、認識が甘過ぎます。そもそも4つのプレート上にある日本列島は地学的に見ても活断層が多い地震国です。原発を稼動させること自体、極めて危険です。何時、3.11同様、またそれ以上の大地震が起きるか分りません。福島事故の経験から明かなように、一度事故を起せば完全に収束されるまで長期間かかります。私が収束を最後まで見届けることは極めて困難です。完全収束まで40年を要するなら、60歳の人は100歳になってしまいます。

福島事故の責任をいったい誰が取ったのでしょうか。将来の世代への大きな負の遺産はぜったい許されません。放射性廃棄物中間処理施設、最終処分地は未だに決められておりません。

原発に頼らないエネルギー対策への絶対転換へ、跳ぶことが必要です。私は今年の1月末ですが、脱原発に戻ったドイツの方を訪問しております。省エネの見込は省電力1割ではなく、3割削減も可能です。地域分散型・再生可能エネルギーの積極的導入、電力の自由化と発送電の分離など、システム改革をなぜ導入しないんでしょうか。管理に10万年必要な核燃料サイクル、再処理の余地を残してはいけません。

最後に、毎週金曜日の夜、首相官邸前に集っている数十万人もの国民の声を政府関係者は無視することはできません。「原発いらない!」「大飯原発再稼動反対!」は安全な生活と健康、エネルギーを求める国民の切実な声であり、願いです。3.11以後、国民の意識と行動は大きく変化しています。政府もまた国民に信頼される組織へと大きく変化することが重要です。

大きな痛手を蒙った福島県に棲む当事者だからこそ言える脱原発、ゼロシナリオが日本の希望の道であると断言いたします。放射能に怯えることのない、再生可能エネルギーで持続可能な社会を実現していきましょう。

よろしくお願いいたします。

福島の今


森園和重

2012年5月18日、たんぽぽ舎勉強会「隠された福島事故を暴露する」より

福島の今ということでお話しさせていただきます。昨年の3月11日に、危機を感じた方はすぐに避難しました。でも私のように何も無知な人間はそのまま地震に怯えて、原発のことよりも地震に怯えて、固まって3月を過ごしました。

まず、その時期は水道も止まっていたので、マスクはしていましたけれど、3時間、5時間と水を汲みにあちこちを走り回ったりという、そういう状況の中で過していました。

で、この1年が経ってなんですけど、国の、政府の思い通りに、福島県民はマインドコントロールをしっかりされまして、郡山に至っては、もう、本当に速い段階から「大丈夫よ」という声が市民の中からもだいぶ聞こえてて、凄い大変な状況をずっと暮してきています。

未だに窓を開けない方、洗濯物を干さない方、布団を干さない方、私も実際、窓はほとんど・・・・風がない日だけですね。それ以外は窓を閉め切ったままにして、暮しています。この辛さはちょっと経験していただかないと、分らないかなっていうくらい、大変な、ことでした。ええ。夏は暑いし。

で、去年、学校、小中高にエアコン付けるように、さんざん県や市町村に訴えたんですが、いっさいエアコン付けられず、今年も除染費用は330憶、郡山は入ったので、その一部でエアコンを小中高に付けろと、何度も何度も請願書・・・・あと、応援してくれる市議会議員さん、女性3人と何度も訴えたんですが、やはり却下されてしまって、もう今年は怒りまくってますので、ちょっと郡山市の前でマイクを持って、「窓を開けろ!」と。

眼の前には開成山公園という、まだ6マイクロ、9マイクロ、平気で10マイクロあるところの、開成山公園の前に郡山市役所がございますので、窓を開けてエアコン切って、応答しろということを、あの、マイクを持たないと分らないかな、と。子どもたちがどれほどの苦しみの中で勉強を強いられ、生活を強いられているのか、大人はあまりにも鈍感になってしまって、想像もつかない状況に陥っているのが、今の郡山の状況です。

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福島原発、今あと行なわれているのが、原発告訴団。先日も武藤類子さんがこちらの会場でお話をさせていただいたと思うんですが、6月11日を目指して告訴団の中に入っております。

それから子どもたちの集団疎開の裁判も、今、仙台高裁の方に、今週20日を目処に今、必死の思いでまとめあげて、郡山市に対抗すべく、今、メーリングリストを使って、書類を作成してます。

それから、今、昨日だったんですが、院内集会で被爆者支援法、援護法を、ということで、兎に角、被曝をしてしまったことは事実なので、これに対しての支援法、援護法の立法化を求めて、行動も起しております。

そして、そうですね、小中学校のことで、また戻るんですけれど、給食で地産地消をずっと進めてるんですね。でも東北っていうのは、冬の間っていうのは葉物がいっさい無いので、皆、西日本から全部入れていたんですが、これから葉物がどんどん出てくるんですね。その中で地産地消を進められて、米飯給食の地産地消を去年の秋からずっと強いられて、それを子どもたちが食べるのかということを、想像していただいて、この危険を知っていただけたらな、と思っております。

それから、先程も出ましたけれども避難経路。この後にもし何かあった時の避難経路や沃素剤の配布についても、県庁に解い合わせようが、やはり請願書なり申し入れ書をしても、「安全なんだから大丈夫です」っていう一言です。あと、「そんなことをしたら、福島市にも郡山市にも人がいなくなってしまうでしょう」ということを平気で県庁の人が申します。そういう状態がずっと続いています。

で、後、健康のことで言えば、皆様もご存知の山下俊一氏という長崎大学から福島の副学長になった、彼等が今、進めている甲状腺のみについての、執着というか、それによって日本全国の医師会がもの凄い圧力を掛けられて、なかなか声を出されないで今まできたんですが、やっと市民と科学者による内部被曝問題研究会というのが立ち上がって、少しずつ、協力してくださるお医者さまも出てき始めています。

今、私、個人的に考えているのが、やっぱり被曝したことを実証するには、死亡後に献体というか、本当にキチンと調べてもらえる、そういう医療施設、脳から皮膚から眼から、すべてにどれだけのものが、あるのかということを、すべてできるように、進めて。それも法律の中に入れていただいて、キチっと頭から足の先まで解剖してもらって、それによって、事実を突き付けていきたい、と。政府に対しても東電に対しても、突き付けていきたいと思います。で、今、その行動も始めました。

今、本当に、被曝は容赦なく、続いている状態で、郡山からこちらに来ると、私は凄くアレルギーがあって、敏感なんですね。なので、なのでやっぱり自分の家に戻ると体が怠くて、偏頭痛っていうのか・・・・偏頭痛とは違うんでうよ。頭痛って言っていいんでしょうか、前頭葉の方がもの凄く重たい感じになって、唇の中が痺れたり、夏、粘膜から血が出たり、疲れが溜ると血が出てくるの当たり前だったり、そういう症状が。あと、紫斑が去年が出てたりして、それに対する色んな防護法を肥田舜太郎先生とか、それ以外の先生方にお聞きしながら、色々教えていただいて、今、こうやって元気に生活してお子さんがいて苦労している親御さんのために何かできないかと思って走り回っている状況です。

何もできないんですけれど、今の福島がどうかっていいうことで、一番酷いって感じるのは、大人が、私たちの年代の大人が本当に狂ってしまっているっていうことが、大変、苦しく、辛いことで、商工会、教育委員会、医療関係、大学関係、すべて、子どもを使っての「安全安心パレード」が去年の7月からズーっと続けられてて、市のマラソン、市のロードサイクル、市の駅伝、市の運動会、って言われるくらい、酷い状況が続いてて、で、今度はプールが再開されてしまうんですが、福島市のあるプールでは6万ベクレルという水の汚染が出てるんですね。それにもかかわらず、その水をそのまま抜いてしまって、そこを除染をすると言っています。

で、郡山市は一回、3時間ルールを一番最初に解除してしまったので、それに追随する形で、各県、市、町村、自治体はどんどんどんどん、解除して、子どもたちをどんどんどんどん、「体力がなくなるんだ」等々と言いながら、避難とか疎開はいっさい考えておられず、そのまま、校庭で、「どこで遊んでもいいよ」っていう状態でいます。

で、この前、郡山市で出したのは、もう1マイクロ以上あるところが点在している校内を「どこへ行って遊んでもいいよ」って言うのは、あまりにも無責任だろうって言うことで、そのことも今、追及している最中です。

何から何まで、何故こんなに自分たちだけでやらなくちゃいけないのかっていうのが、凄く怒っているのが、あります。東京の皆さん・・・・東京に来る度に凄く辛い思いをするのが、電気を使うことがやはり余りにも東京は多過ぎるというのが実感しています。地下鉄に乗ると凄くそれが感じられます。あっちもこっちも電光掲示板だらけで、電磁波の中で皆さん、疲れないで生きていられるなって思うくらい、電光掲示板がそこここにあって、何か本当に東京にお住まいの方から声を挙げていっていただいて。

必要なものはどんどん使っていいと思うんですけれど、それ以外の娯楽的な部分でもし、節約・・・・節約じゃないですね。生き方を変えていただけることがあるんであれば、ぜひ、協力して「生き方を変えようツアー」をしていただけたらなと、思います。

あと、ここに、福島も郡山もそうなんですけれど、こうしていつもセミナーをして集ってくる方って、だんだんもう限られてきて、皆さん顔見知りになっていってしまっているっていう状況で、そうではなく、本当にどうやってそのことを拡げていこうかっていうのが最大の今、課題です。

どんどんどんどん大丈夫モードになって、安全だモードになって、見たくない、聞きたくない、話したくない、の中でどうやったら、疎開・避難っていうことをもう一度考えて、子どもたちを一緒に守っていこうねっていうことを考えて、命が大事だよね、人間だけじゃないよね、っていうことを考えれるのかっていうことを、どうやったら広めていけるのかっていうのが一番の課題です。

有難うございました。

一筋の光の川となって


武藤類子

2011年10月15日「ふくしまの子どもを守れ!郡山集会」(JR郡山駅西口広場)より

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皆さん今日は。三春町から参りました武藤類子と申します。

始めに、この裁判を始められました14人の子どもたちとその保護者の皆さんに深く敬意を表したいと思います。どんなに勇気がいったことでしょう。どんなに怖かったことでしょう。でも皆さんの行動が福島のすべての子どもたちの未来を守る、とても貴重な一歩なのだと思います。本当に有難うございます。

3月11日から7ヵ月、風が冷たくなりました。私は最近、寂しい気持を抑えきれなくなっています。荒れた畑を見ても、ご飯を食べていても、地面を跳ぶ蛙を見ても、何だか涙が止まりません。今ごろになって自分がこの原発事故にどれだけ傷ついたかようやく気がつきました。

皆さんも毎日、溢れそうになる涙を必死で胸の奥に仕舞い込み、暮しているのではないでしょうか。日々、新しいニュースは私たちを翻弄させます。遠く横浜で計測された高濃度のストロンチウム。福島医大の330床のベッドの拡大。自主避難に対する補償の禁止。除染の補助金の線引き。まるで見えな檻に閉じ籠められているかのように思えます。

子どもたちの健康被害を心配するお父さんお母さんは焦りと孤独の中におられるのではないでしょうか。

私の育った時代は米ソの核実験の盛んな頃でした。姉が一人おりましたが、36歳になって白血病を発症しました。10年余りを病と共に過ごし、亡くなりましたが、白血病は悲しい病気でした。もちろん因果関係は実証できません。

私たち大人は全力で子どもの健康被害を防がなければなりません。そのために力を合わせましょう。力を振り絞って「子どもを逃がして欲しい!」と声を挙げた人々と繋りあいましょう。裁判所の勇気ある判断を市民が支えましょう。子どもたちが郡山でなくどこかの町にいたとしても、風の中を頬を真っ赤にして走り回り、木苺を摘んで食べ、笑顔を輝かせることができるならば、それは私たちの喜びです。

雨の中ですが、郡山の子どもを守るために一筋の光の川となって、一緒に歩きましょう。

有難うございました。