2014年10月12日:福島第一の近くまで


イヴ・ルノワル

この文章は福島市野田町界隈に続くものです。

1. グループ

私たちは5人だ。藤本智子(さとこ)とイヴ・シュヴァリエ、マルチン・ヴァルタ、竹内雅文と私である。全員が写真かヴィデオを撮っているのだが、私だけは撮影を諦めていた。カメラの記録カードが前夜に故障し、信頼できなかったからである。雅とマルチンと私とは、各自、線量計を携帯していた。11台、表示のし方と、多分、感度も異なるので、その場、その場での数値にも違いがある。数値を比べあうのは、無意味なことだ。

写真が撮れないので、私は移動の間ずっと車内のガンマ線量を測り続けることで満足することにした。通過地点の名称を雅が言ってくれる。測定器は、スイッチを入れると25秒後に数値を返す。私は小型のメモ用紙に値を書き入れ、必要に応じて位置情報を加える。こうやって私は休止なく409地点の数値を集め、行程の放射能の状態を図にすることができた。

11つの数値は、バス、次いで乗用車内での、さらに幾つかの特徴的な場所では停車地点の屋外での、25秒間の空間線量の平均値を示している。計測の仕方は統一した。車内では測定器を窓のそばで地面に対して45°の角度に向けて保持している。車内の値と車外での値に大差はない。このことは、腰のベルトの位置での測定で確認した。

こうした結果から一般論を導くのは慎重にすべきだ。停車時のものを除けば、計測値はすべて路上ないしは路傍の空間線量である。しかし、路上での計測値と、少し離れた地点、打ち捨てられた家屋の周辺であるとか、フレコンに入った廃棄物の集積場の周辺での値との間に、大した違いはなかった。汚染の管理の目指すところがはっきり目に見えない以上、こうした違いの無さというのも、一般化して捉えるべきではない。

2. 全体図

y-r01バスは国道114号を通って福島から私たちを南相馬まで乗せていった。途中、川俣で数分間の停車がある。南相馬が近づくと海岸平野の風景になるが、それまではずっと山の景色である。

地図に書き入れてあるのは、今回の«イニシエーション»の後半だが、その導師はNPO法人フロンティア南相馬の草野良太さんであった。

yvesminamisoma基本的な標識点を記入しておいた。違う縮尺でもっと拡大して見れば、それぞれの場所の様子がもっと良く分かる。

次に測定値をまとめて図示してあるが、それぞれの測定地点を上の図と照らし合わせられるようにしてある。

___往路のグラフ__________南相馬(原町)までの復路
yveswb3. 福島市と南相馬(原町)との間の特記事項

放射性降下物の量が甚大な地域を除染するという決定は、地形の壁にぶつかっている。坂が急峻になり、谷が曲りくねるに従って、空間放射線量はカオスの様相となり、1989年に旧ソ連内にICRPが設定した「一般住民の限度値」を超えた高い値を示す。しかし、ちょこっとでも空地があればどこでも構わず、といった感じで積まれているフレコンを見れば、これでも空間線量はだいぶ下ったか、ないしは平準化した後なのだと考えるしかない。バスから見た光景は、仰天の連続であった。家々の直前の花壇までもをフレコンで一杯にするのはまさに愚行である。住民たちの至近の環境を、除染による産物が、毒しているのである….。ウブな質問をひとつ 、ぶつけてみたくなった。「住んでいる人たちの防護を蔑ろにしてまで除染しなければならないほど重要な場所が、いったいどこにあるのか?」と。残念ながら、この山中を縫い曲る道筋をバスはあっと言う間に通過してしまい、誰も写真を撮らなかった。下のは似たような場所での写真だが、前述の現場での印象はかなり薄らぐ。

y-r04y-r05行程の間、傷ましい、悲しい思いでいっぱいだったが、反抗心も涌いた。森に覆われた山々の素晴しい景色が、家々の入口にまでごく当たり前のような顔をして山積みされている除染ゴミによって痛めつけられ、汚されている。放射能は目に見えず臭いもないが、どこにでもあること、そして20113月の福島第1の爆発以来、この地域は放射能の持続的な支配下に置かれてしまっていることが、この青や黒の袋が思い起させる。この地に住み続けている人たちは、自分たちの生活条件が陥ってしまった今の状態を、どういう言葉で表現しているのだろうか。この道を通って旅をする人たちは、来る日も来る日も目に飛び込んでくる光景に、どんな思いであろうか。陽光や風雨に曝されるプラスティックの袋の強度に、将来がかかっているということを、どう考えたら良いのだろう。中のゴミに相変わらず含まれている放射性物質の半減期が30年だというのに、こうした袋はいったいどれだけ持つのだろう。この酷い光景を繰り返し見せつけられるのは、実に傷ましい。

パノラマが開けた場所では、袋の置き場もその分だけ広大になる。何ということだ。

山間部では置いておける量が限られてくるので、集められた袋は手近で作業も楽な小さな面積の場所を除染したものに限られているように思われる。勾配のある場所はほとんど手付かずのままだし、雨の降る度に放射性物質を含んだ粒子が窪地へ運び込まれ、取り除いて袋に詰めた分も、じきに元通りになってしまう。

平地では、除染ゴミと生活の場とが網の目模様を織りなしている。

y-r06y-r07ここに見える除染地域のフレコン置き場用地には、まだまだ空きがいっぱいある。除染員たちのシジフォスの神話のような作業は、まだ当分は続くわけだ。

間もなく、バスは南相馬(原町)に到着した。

4. 南相馬(原町)から10km地点まで

測定器から得られる情報に疑問の余地はない。この海に近い、多くの部分が津波の被害を受けた地域では、先刻通ってきた山間地域よりもセシウムの量はずっと少ない。このあたりでは、降雨はずっと弱かったに違いない。海から風が吹いている時には、そうなるのが通常である。その風が内陸に入り込んで、隆起部にぶつかると、空気の塊がもち上げられて凝縮する。そして冷やされるのである。

しかし、そうであるからと言って、放射性の霧がこのあたりを通過した時に、住民たちの被曝は少なかったということにはならないのである。住民たちは放射性のヨウ素を吸い込んでしまい、それは健康上の刻印として、一生ついて回るのである。

強制避難の運営は、ガイガーカウンタが刻々と与えてくれるデータとの突き合わせに耐えられない。行政の決定によって空家になったに違いない、捨てられた住居群を通ったが、パリで私の住んでいる、石灰の壁に囲われた古いアパルトマンよりも、空間ガンマ線量は低い。ここに住んでいた人たちは昼間は家に戻ることが許されているが、夜を過ごすのは禁止されているとのことであった。どこにそういう政策の正当性があるというのか。

最近まで立入禁止標識のあった10km地点の少し手前に、津波によって破壊されたままの家屋が片づけられないまま残っていた。ここも南相馬や津波の跡がきれいに片付けられている地域と同じくらい線量が低いし、そうした地域を下回る場合すらあるのに、どうしてなのだろう。付近の空撮と、そうした家のうちの一軒の写真とをご覧いただきたい。

y-r08y-r09y-r10y-r11

囲いのついた、膨大な面積の除染ゴミ置き場が目についた。グーグルアースの空撮に見当らないところからすると、造られて間もないのだろう。青い袋と、黒い袋とが、分けて積まれている。この2色 の仕訳は、どういう基準によるのであろうか。今、津波が来れば、これらもすべて押し流されて、間近にある海へと運ばれていくことになる。あたかも、地球に 働いているさまざまな力も、当局者にとって必要な間だけはこの地に手を付けないでいてくれるだろうとでも言うのであろうか。いったい、どれだけの期間を見込んでいるのか。明かに一時凌ぎのこういう方策は、どんな見通しに立って進められているというのか。

y-r12高い放射線量の地帯に今や私たちはかなり近づいている。打ち捨てられた小集落を幾つか通過するが、放射線量は福島市よりも低い。事故のあった発電所の間近を通っている国道6号は、つい最近、通行禁止が解除された。日曜日にしては、通行量も多い。

国道は10kmの障壁に向かっている。ここの放射能は福島市と同じ程度である。ここで見た光景を2点。

y-r15y-r165. 10kmの境界: 高い放射能の地帯

立っている警官たちがもはや象徴的な存在でしかなくなっている境界地点を、速度を落すこともなく通り抜けると、いとも急速に放射能は増加していった。第2章に掲げたグラフに示されているように、今や自然な状態の10倍ほどの線量であり、福島第1のすぐ近くでは100倍ほどにもなった。

この国道は停止せずに通過するしかないのだが、道路沿いは注意深く除染されているに違いなく、この地帯でも道から離れた場所での数値に比べて、道路での数値は大幅に低いのだろうと仮定するのが正しいのだろう。粗面コンクリート平板で補強された急坂が100m200m続いた場所で、もし速度を落して通ることができていたら、そうした点についてもっと確かな考えを持つことができたことだろう。そこで計器は突如、乱舞したのである。粗面コンクリートは、ここにあるもののように老化しているものは特にそうだが、細かい穴が無数に存在し、そこに入り込んだセシウムの粒子は完全に封じ込められてしまって、除染などは不可能である。これを測定できれば、この場所と近辺との、放射性降下物の一般化可能な情報が得られたことだろう。けれども後続車両が迫っており、運転してくれている方に速度を落すように説得する時間など、ある筈もなかった。

福島第1発電所へ向う道は封鎖されていた。10Kmほど南にある福島第2への道は開いていたので私たちは進入していったが、発電所入口では警官の検問態勢が敷かれ、私たちは引き返すしかなかった。福島第2の入口では空間ガンマ線量ははっきり低下した。福島市周辺の畑地で計測した値とほぼ同じだった。

次の写真は10km境界線

y-r17次の写真は福島第2の入口の検問所だが、道の先に発電所の建物の一つが見えている。

y-r186. 高い放射線の地帯の南の出口にある石炭火力付近で停止

福島第1を過ぎた後では、空間放射線量は急速に低下していた。

福島第2から数キロのところには、火力発電所がある。ここは津波で大きく損壊したが、短時日で修復している。煙突から出る煙は見えない。日本の石炭火力はどこでもそうだが、燃焼と煙濾過に先端的な技術を使っているのである。空間放射線量は福島の町中と同程度だ。

写真は帰路の前にちょいと一休みした時のものである。右から、草野良太、藤本智子、イヴ・シュヴァリエ

y-r20広野火力発電所

y-r197. 地方道35号を経由から再び国道6号へ入っての帰路

運転の草野さんは、帰路の一部を地方道35号経由にした。この山寄りの道筋に相当する部分のグラフを見れば、並行している海岸寄りの国道6号に比べて、放射線被曝量がほぼ倍になっているのが分かる。地形が持ち上がれば直ちに降雨が強さを増す。その結果が明かである。言うまでもなく、道路周辺は念入りに除染されていることであろう。

原町駅に戻る前に、私たちは多少迂回をして福島第1の北30kmにある原町火力発電所の近くに車を停めた。空撮には、その構内の港に石炭運搬船が見える。その南に、以前はたいへんに好評だったサーフィン場があるが、今は利用する人はいない。写真には、波がくっきりと写っている。

y-r21y-r23ここでもやはり、煙は出ていないように見える。

私たちは海を眺め、ここの海岸にもまた除染ゴミの袋が無造作に積まれているのに注意していた。そこに首から名札を下げた陽気な男性が近づいてきた。お互いの自己紹介の後、会話が始まった。

y-r26竹内雅文、イヴ・ルノワル、草野良太、藤本智子、イヴ・シュヴァリエ、そして撮影者マルティン・ヴァルタの影。

y-r31傾斜に馴れ親しんだ人物の撮影による、マルティン・ヴァルタ

y-r27男性は森林の除染作業者だ。何とも膨大な事業である。森林の除染作業者である。彼の話から理解したことを、なるべく捻じ曲げないように整理すると、こんな具合になる。

破局的惨事の後、政府は再興の論理に従って一か八かの決定をした。放射能に強度に汚染された地域の全面除染である。事故を起した発電所自体を«きれいにする»には少なくとも400年はかかるから、時間が足りないということはない。

そこで政府は、放射性降下物に汚染されている地域の大半を占める森林を、浄化する財政措置を決定した。

彼の従事している作業の元請け企業は、明らかにおいしい契約を結んだ。企業は、生えている木を取り除くことに対して支払いを受ける。円相場が下落しているので、日本製の木材には需要がある。木は汚染されていても、それは表面だけだ。表皮を取り除きさえすれば、内側の材は丸ごと売り物にできる。倒れている木は、周知のように、じきにカミキリムシの餌になり、腐敗する。商品価値などはない。そういうものは、現場に残しておいて構わないことになっている。こんなボロい儲け話は誰も夢想だにしないことだろう。

こういう議論が真相から外れていないとするならば、福島の放射性となった森林に向かって、そのうち大勢が押しかけることになりそうだ。

最後になるが、福島事故とその帰結についてのイニシエーションの旅の間中、私たちのゴマであり、通訳であった二人、藤本智子と竹内雅文に、熱くお礼を申しあげたい。

原町駅前の雅

y-r28藤本智子(福島市の佐々木慶子宅にて)

satoko-chezK福島事故は日本を揺がした。物言わぬ多数者たちは事故に幕を引き、「普段の」関心事に戻ったかのように見える。

福島事故は民と指導者と公権力総体との間の暗黙の合意の根底を突き崩した。上から下まであらゆる階梯の公権力が、広い範囲にわたって責任性を喪失している。移住させられた人々に対する行政の態度のほぼ全体にわたって、欲得づくや棄民政策が顕著である。

日本の原子力保安当局は、陣頭に立つことなく机に囓りつき、名誉を失なった。前代未聞のことである。ウィンズケール、スリーマイル、チェルノブイリの事故に際して、イギリス、アメリカ、そしてソ連の原子力保安当局者たちは、救えるものは救おうと、危険を冒して陣頭に立った。生命を賭した。この恥ずべき不在の報酬はこうである:IAEAICRPやその輩下が、我が物顔に、呵責なくのさばることになったのだ。

技術官僚支配と勇気ある人々との間の闘いが、始まろうとしている。

«資料» 福島第一発電所周辺地域の除染に、IAEAはチームを再度派遣


IAEAプレスリリース

2013年10月4日

国際原子力機関(IAEA)は今月下旬、福島第一原子力発電所の事故によって被害を受けた諸地域の、除染活動見直しのための国際専門家チームを日本に派遣する。

「福島第一原子力発電所周辺の汚染された広範な地域の除染に関するIAEA第二次国際派遣団」は2013年10月14日から21日までの日程で派遣される。16人のチームは、国際的な専門家とIAEAのスタッフからなる。

この派遣団は2011年10月に実施された「福島第一原子力発電所周辺の汚染された広範な地域の除染に関するIAEA国際派遣団」の後を継ぐものである。

日本で進行中の除染作業の進展を査定すること、除染という課題に向けて助言することが主目的の派遣団であるが、環境大臣を含む、関連部門の政府要人との会談も予定されている。10月16日から18日までは、福島県内の除染現場を訪問することになっている。

派遣日程の最終日には、派遣チームの所見と助言との概観的な報告書が日本政府に手渡され、また一般の人々にも公開されることになっている。

怒って、怒り抜きましょう!


村田弘

福島原発告訴団の集会「強制捜査はまだか!」(2013年8月4日、いわき市文化センター大ホール)より

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村田と申します。私は小高から、神さんと猫で避難して、今、横浜に住んでます。

しかし、河合先生、歌、上手ですねえ。実は河合先生にも入っていただいて、市民の立場からこの原発の問題を裁くという、「原発を問う民衆法廷」というのを去年から今年にかけて1年半ほどやって参りまして、10回…全国を回って10回ほど公判を開いて、先月の21日に一応、最終的な公判を東京で開きまして、原発は廃止…原発と核はまったく裏表のものであって、我々これから、原発禁止条約を作るべきだというような勧告をいただいて…あの、地方でも、原発禁止という条例を作るという運動を進めようじゃないかというような、勧告を出していただきました。

それに先立って、去年の5月の20日に郡山で開きました、3回目の法廷ではですね、今、問題になっている東京電力、さらには当時の政府、菅直人さん以下ですね、主立った幹部と、例の班目先生を始めとする原子力関係者について、明かに公害罪法と業務上過失致死傷罪で有罪である、というような判決を、実は出していただいているのです。

これは河合先生もこの法廷のですね、検事並びに原告団長になっていただいておりまして、先程、話されたような非常に明快な論理で追及された結果の、ま、市民の判断であったかと思います。

しかし現実は何と遠いことか、ということを今、染々感じておるところです。あの…ずっと色々な活動を見てますと、女性は大変元気で、ぼくは本当に羨しいですが、男は弱いんですかね。ぼくは最近、ちょっと疲れたなあ、っていう、何か非常に重い…体が重いっていう感じをよくしてます。

で、さっき電車の中で、数をこうやって(指折って)数えてみたんですけれど、2年5ヵ月っていう、まあ、避難してから876日くらいになるんですね。で、何で疲れたのかって、改めて考えてみると、これは生活が成れないとかいう単純な話ではなくて、先程、広瀬さんなんかにご紹介していただいたような、本当に信じられないようなことが毎日毎日、出てくるわけですよね。まあ、我々の直感としてはこういうことはあり得るだろうということは分ってたことが、一つひとつ、思てに出てくる、それを受け止める、それに対して怒りを感じる…この怒るっていうことが、たいてい疲れるんですよね。

まあ、一日3回、怒ったとすると、2700回くらいになるに至っているわけですから、まあ、疲れるのあたりまえだなあ、と思ってこの会場に来たような次第です。

この間、偶々ですね、「馬追い」が本格的に再開するっていうんで、横浜で脱原発関係の運動を一緒にやっていた方をご案内して、3日ほど故郷に帰ってきました。まあ、その時に霊山町ですね、小国町、あそこに里山学校の関さんに誘われてちょっと行ってきたんですけれども、あそこはもう既に除染、町ぐるみ除染が終ったということで、住民が帰ってくるようにということを必死になってやっているようなんですが、驚いたのはですね、その除染が終ったら、さっき広瀬さんの話のスライドにあったような、フレコンバッグって言うんですか、あれがまあ、あちこち積んであってですね、で、1カ所、それを見に行ったわけです。何と、そのフレコンバッグの下から草が生えているんですね。もう、突き抜けているんですよ。それも、里山のど真ん中ですよ。

それで一緒に行った方が測ったら1,98μSvです。あの綺麗な里山で、「もう除染が終った、皆、帰ってきて生活をしましょう」っていうところの現場の今の状態がそうなんですね。

それだけじゃあなくて、小国町だけじゃあなくて、川内村にしろ都路にしろ、皆今、「お帰り!」と言っているところの現実は、そういうことだと思うんです。

さっき、河合先生が大変上手に飯館村の歌を歌われましたけれど、浪江町の駅前にもね、足でこう踏むとね、「高原の駅よさようなら」っていう歌が出てくる、あれがあるんですよね。

だから、そういう町っていうのが、そういうのが本当にまとめてこういう悲惨な状況になっているっていうことを…やっぱりこれは怒んなきゃあ駄目です。怒って、怒り抜かなきゃあ駄目だと思います。怒り抜きましょう。

それで、今、賠償の問題も含めてですね、ま、当然、それだけではなくて、この国の人々もかなり露骨になってきていると思います。子どもたちの甲状腺のあれだけのことも無視しながら、何とブルドーザのようにもう一回、再稼動に進むという姿勢ははっきりしていると思うんです。

で、あの、向こう側と言いますか、進める側、しかもその背後にはもっと日本だけではなくて、バックにいる大きな国際的な力が働いて、我々のこういう現実をですね、踏み潰そうとしているのは現実だと思います。それをしっかり見極めたうえで、やっぱり一歩一歩、苦しいけど、怒る。怒って、その怒りをエネルギーにして、これからもやっていきたいと思います。

去年でしたか、武藤類子さんが関西の方でお話しされた炭火の話っていうのが私、いつも思い出すんですけれど、最初はカッカと赤い色を出して燃えると。しかし、本当に一番、熱を発するのは、その赤い部分が消えて白くなった時だと、こういう話を聴いて、それをずっと考え込んでます。確かに一番熱いのはその燃えて白くなった、その炎が白くなった時だと思うけれど、放っておくと灰になって終っちゃうんですね。終ってしまっては駄目だと思います。

エネルギーを次々と補給しながら、何時までも熱を発して、この恨みと言いますか、現実をですね、引っくり返すまで、皆さんとともに、微力ですが頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。

勇気を持って、真実を明かし、福島の真実を語り、日本を守っていきましょう


渡辺ミヨ子

「つながろうフクシマ/さよなら原発集会」(2013年6月2日東京・芝公園23号地)より

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皆さん、今日は。

脱原発の思いを胸にこの会場にお集りいただいた皆さんに心より御礼を申し上げます。そして、私の尊敬する大江健三郎さん、そして落合恵子さんと同じ舞台で私が脱原発の思いを申し上げることができることを私は一生の宝と思いました。本当に有難うございます。

私は福島第一原発から25キロぐらいのところに住んでいました。今は小学5年生の孫と私たち夫婦の3人で田村市内の西側に住んでいます。これまでの全国の皆さん、そして世界中の皆さんからご支援いただき、心から御礼申し上げます。

私は戦時中に、昭和17年に生まれました。育ち盛りに、まわりの大人の人たちの話す戦争の話は子ども心にも大きな衝撃でした。その頃、ヨーロッパのスイスが平和だったことも知りました。私の心は平和なスイスのことを考えることで、いつも安らいでいました。

私が子育て中の頃に大熊町に福島第一原発が作られました。まわりの人たちがたくさん働きに行きました。私は広島に落とされたあの怖ろしい原爆のことが頭を過りました。しかしまわりのほとんどの人たちが私が聞いてもいないのに「絶対、安全だ」「事故は起きないんだ」「ここには大きな地震は来ないんだ」と口々に言っていました。そしてすべてが原発のお蔭で、生活が豊かになったように思い込んでいました。

あの3月11日の大きな地震の後、原発が4基も爆発して、広島に落された爆弾の何百倍もの放射能が飛び散らされてしまいました。生まれ育った時から私たちを守ってくれた豊かな自然はすべて、放射能という死の灰で汚されてしまったのです。

「安心・安全」という真っ赤な嘘と、少しばかりの豊かさに踊らされていた自分を悔み、未来を生きる子どもたちの空気を思い、自分の目から流れる涙を抑えられませんでした。

国は始めから「安心・安全」というキャンペーンをやる一方で、福島医大には膨大な予算が充てられました。復興予算、そして除染費用。毎日、新聞やテレビのニュースでは、福島県に充てられる予算の数字が大きな文字で映されていました。今、県内各地に大手企業が入り、除染が行なわれています。そして、手抜き除染のことも取り上げられました。水で洗い、土を剥ぎ、草木を倒して袋に詰め込むだけで、私たちの地域が元通りに戻るわけがありません。雨が降れば、大地の放射能は川へ、そして海へ流れるのです。汚染水のタンクが、汚染物の詰まった袋が、所狭しと増えるばかりです。

去年から入って良いとされる30キロ圏内の私たちの地域では、山菜から高いレベルの1万何千ベクレルというセシウムが検出されました。しかし入っている年配の人たちは知らずにそれを食べてしまうのです。福島で起きていることの真実を隠したいと考える人たちの強い力があるよに思えてなりません。

先日、総理大臣が、「わが国の世界一の技術を、原発を外国へ輸出する」と言っておられました。福島の原発が世界一のい技術であるならば、世界中の原発は今すぐ停めなければいけないでしょう。それを何故、世界中のどの国よりも放射能の怖ろしさを体験済みのはずの日本が、外国へ輸出することが許されるのか、それはまるで、日本は歴史認識が無いと外国から言われた、昔の戦争と同じになるのではないか、後に責任を問われることになるのではないかと、とても心配です。

経済成長戦略に、囚われすぎて、道を過ってはいけないでしょう。今、問わていることは、日本の使命はあの穏かに美しく凛と輝く宇宙から見た、この地球を、我らの母なる星を、地球を、知性と愛情と調和で守ることにあると思うのです。

未来の日本が昔と同じ責任を問われないため、原発のゴミと国の大きな借金で未来の日本が苦しむことがないように、今、考えを新にする時ではないでしょうか。勇気を持って、真実を明かし、福島の真実を語り、世界中の叡智を結集し、福島を、日本を、そして母なる地球を、守っていきましょう。

有難うございました。

子どもを助けない国、子どもを助けない自治体


武藤類子

集団疎開裁判街頭集会(2013年5月18日東京・新宿アルタ前)にて

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どうも皆さん、今日は。こんなにお天気のよい土曜日に、今なお放射線に曝され続けている子どもたちのために、こんなにたくさんの方々が集まってくださっていることに、心から感謝をいたします。

福島原発事故から2年の月日がたちましたが、事故によって破壊された原子炉からは今も毎日、2憶4000万ベクレルの放射性物質が放出されています。つい最近、福島市の図書館の駐車場の土からは、1kgあたり43万ベクレルのセシウムが検出されました。

今週の初めに私も福島市に行きました。そしたら丁度、ドイツのテレビのクルーが来ていました。その方々が測定した駅近くの駐車場の隅っこは、地面の上で毎時65マイクロシーベルトありました。驚くようなホットスポットは福島市だけでなくて、郡山市にも至るところに潜んでいます。

昨晩のNHKニュースでこんな報道がありました。福島県内で除染が行われたのは、まだ10%に満たない、そしてその中の77%は年間1mSv未満にならないのだそうです。除染をしてもならないのだそうです。産業技術総合研究所の中西フェローという方が、「除染の見直しが必要だ」ということを言ったそうです。そして、「高線量のところは移住の必要があるのだ」ということを言ったそうです。これをNHKのニュースで昨日、報道されたそうです。

事実はもう隠せないところにまで来ているのですね。そして今回、この裁判所が出した判決は郡山市に住むことの危険性を認めながら、そこを出る手助けはしないということなのです。勇気をふり絞って原告となった子どもたちへの答がそれです。

子どもを助けない国、子どもを助けない自治体、私たちの住む社会はこんなところなんです。これでいいのでしょうか?大人として恥かしい限りです。

お集りの皆さん、そして道行く皆さん、原発事故は何も終っていません! 被災地ではたくさんの人々が苦しみ、特に子どもたちが危険に曝されているのです。どうかこのことに関心を持ち続けてください。無関心は悪しき状況を支えてしまいます。

子どもたちの命と健康を護るための具体的な方法を一人ひとりが考えていきましょう。最善を尽していきましょう。

有難うございました。

三春に建設される環境創造センター


武藤類子

2013年4月21日、日比谷コンベンションホールで行なわれた「チェルノブイリ・フクシマを忘れない!」集会での発言より

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ここはですね、実を言うと私の家のすぐそばなんですけれども、田村郡三春町というところの工業団地なんですね。工業団地の一角に広く空いている所があったんですね。ここに福島県が、環境創造センターというものをつくるんだそうです。

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これはですね、福島県に三春町と南相馬市の二か所つくるんだそうなんですけれども、三春町の場合には建設費60億円。南相馬市は15億円だったかな。そして 様々な予算全部で190億円という莫大なお金を使って創造センターというものをつくるんだそうなんですね。このなかにIAEAが常駐するんだということを 聞いていたんですね。

で、つい2,3日前なんですけれども、福島県に参りましてこのIAEAというものについての説明を色々と求めたんですね。福島県の職員の方々に聞いたんですけれども、実を言うと、ここに建物が出来るのは2年後なんですけれども、もうすでに今年中にですね、福島県庁の隣の建物にこのIAEAの部屋が出来るんだそうです。

そこは何をする所かというと、緊急時対応能力研修センターというものが出来るんだそうなんですね。アジア太平洋地域の核に関する緊急事態のようなことが起きた時に「どう対応するか」という訓練センターみたいなものが、ここで、福島で行われるということなんだそうです。

私はよく分からなかったんですけど、RANETというところのいろんな機器というものを福島県に置いてですね、それの使い方なんかを研究するんだそうです。

まあ、被爆地福島というところでそういう訓練がなされるのか、という、そんな思いでちょっと帰ってきたんですけれども、で、そこにIAEAが来る訳なんです ね。それで、そのIAEAは、こっちの建物が出来たらそこに移行するんですけれども、福島県としてはですね、最初に発表していたのは、福島県とIAEAと の協力で、放射線のモニタリング、そして除染、それから廃棄物処理に関する研究をするということですね。それから人々に対する放射線の教育とか広報とかそ ういうことをするということを言ってたんですね。でも、もともとの目的というのは、その緊急時対応能力研修センターということのようなんですね。

福島県で、環境創造センターの中にはですね、IAEAの他にJAEA、それから国立環境研究所ですか、そういうものが入るんだそうなんですね。それで県の方 にそういう、言わば推進機関ではなくてですね、もっと市民の立場に立った世界的な研究者とかそういう人たちを、そこに混ぜていただくということは出来ない のでしょうか?ということを聞いたんですけれども、「除染などに関してはIAEAが世界最高水準だ」ということを言っていて、「そこにお願いするしかない んだ」ということを言っていたんですね。

「県としては今まで推進してきたことに対して責任を取れよという意味もあります」というふうには言っていたんですけれども、なんだかあまり…、こうちょっと心もとないと言いますか、「いずれそこがどうなっていくんだろう」ということがとっても心配なんですね。

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1週間ぐらい前また、家の近くなものですからしょっちゅう行って「どんなふうになっているのかな?」と見に行っているんですけれども、地質調査というものが始まっていました。
3月11日から10月3日まで、結構長い期間の地質調査をやるようで、上の方にちょっと小さくボーリングの機械が映っているんですけれども、結構大規模なボーリングの調査をやるみたいなんですね。だから大きい建物が建つのかな?というふうに思っています。

このIAEAのことに関しても、私たちも、本当に私たちは素人なのでね、何ができるか分からないんですけれども、とにかく県にある程度の、交渉できる場をつくり続けて発言したりとか、質問したり、そういうことを続けていこうというふうには思っています。

「復興」は虚ろな言葉にしか聞こえません


武藤類子

2013年4月7日、パネルッディスカッション「女たちの力でネットワーク」より

今日は。

昨年の12月に野田首相が収束宣言というのを出されましたけれども、何も終っていないっていうのが福島県の中の人間の共通の思いだっていうように思っています。それで、一年たって、さらに色んなことが起きてきているので、そのことをちょっとお話ししたいと思うんですけれども、まず最近、3月くらいから地震が凄く多くなってきて、結構、揺れるんですね。

それにやっぱり4号機のことがもの凄く皆、不安に思っています。4号機、少し建物が傾いていて、そこに補強材が入っている状態ですけれども、また大きな地震があって、あれが崩れた時にどうしようっていうのは本当に皆、思っています。で、私も、皆もだいたいガソリンを満タンにしているんですね、いつも。何かっていう時に逃げられるように、私の家では避難箱を一人一個ずつ持っていて、皆、大事なものを入れておいたりとか、そんなふうな状況でいます。

そういうふうな状況でいる一方で、「復興」っていう言葉がね、1年たったら出てきました。「復興」っていう言葉があるんですけれども、どうしても私にはひどく虚ろな言葉にしか聞こえないんですね。で、復興が何とセットかっていうと除染っていうのとセットになっているんです。

で、除染っていうのは放射能を無くすことなんですけれど、無くなりはしないですね、どうしてもね。すぐに事故の後に、沢山の方が入られて、除染の研究をしています。色んな実験もしているんですけれども、ここ1年たって、だんだん私たちの中にあるのは、まあ「限界がある、無理じゃないの」っていうふうなね、そういう言葉が徐々に増えつつあるんですね。

確かに子供がいる学校とか通学路とか、そういうところをしなくてはならないっていう緊急性はあるんですけれど、山であるとか、まあ私のとことでも山を背負っている家なんですけれども、そういうところで除染をしても、また、一旦下ったのがまた上がってきているっていう、そういう状況です。

で、屋根の上を除染してもその水が今度は側溝に入って側溝の泥が、その放射線量が上がっているとか、そういう状況なんですね。本当に、もしかしたら、無理なんじゃないかっていうのがこう、段々、言われている感じがします。
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それから、その、除染をするから、もう大丈夫だよっていうことで色々、「帰村宣言」とか、そういうのが出されて、もう「帰ってこい、帰ってこい」っていう、そういうメッセージが出されてきているんですね。それで、遠くに避難している人のところにも直接、村長から電話が入って「もう大丈夫、綺麗になっているんだから、帰っておいで」っていうようなことが言われていますね。

それで、でもその村で、小学校を再開するために親たちが一所懸命除染しているんですけれども、皆、もの凄いマスクをして、白い防塵服を着て、必死になって工事をしているっていう、そんな状態なんです。

そしてまあ、色んなことが本当に起きていて、食べ物のことなんかも、1年たって基準値が今度、下がっていくから、最近では100ベクレル以上ですっていのは報告されているんだけれど、今までは500ベクレル以下のものは、以下っていうことで流通していたわけだから、それについて色々、数値が出ているけれども、そのことについて表示さてるとかそういうことがなかったわけですね。その間に本当に沢山の内部被曝っていうものが起きているんじゃないかっていう、そういう怖れがあります。

それから「安全キャンペーン」っていうのがあったんですけれども、放射線健康管理アドヴァイザーていうんですか、そういう長い名前の方が事故後すぐに来られたんですね、福島県に。そして沢山の講演会、そしてテレビにラジオ、そして「市政便り」とかで、まあ、「安全だ、安全だ、大丈夫だ」っていう、そういうキャンペーンを張りました。そういう表立ったキャンペーンはあんまりなくなったんですけれど、今度は小さい公民館の集りであるとか、ガンノコクミツノ集会であるとか、そいういうところの4番目くらいの人が今度は出てきて、やっぱり繰り返し安全キャンペーンっていうのは、規模と姿を変えてなされているっていう状態です。

本当に国はもの凄く莫大なお金を除染に投入しました。それで除染のための業者ていうのが、もう沢山、入り込んでいるわけなんですね。その方たちがいわき市であるとか、警戒区域以外のちょっとした大きな土地に群らがって、ちょっと賑わっているっていうそんな感じのような状況で、原発城下町は今、いわき市にあるっていうか、そんな感じもあります。

それから、そうですね、その除染に関してやっぱりお金がどんどん来るので、皆やらざるをえなくなるんですよね。ただ、どんなふうな除染が効果的かとか、どういう規準でどういうふうにやりなさいとかが何もなくて、みんなバラバラにされているので、どんどん、国、県、町、そして地区っていうふうに丸投げされているから、まあ、皆しょうがなくてやるっていう人もいれば、なんの防護もしないでやる人もいるっていうそんな状態だけれども、皆が出る地区の除染作業に出ないわけにはいかない。そういう感じも出てきているんですね。

遠くに避難している人に電話がかかってきて「明日は地区の除染の作業だけれど、まさかきれいになったところに帰ってくるんでねえべない」って。そういうことがね、言われたりするんですね。でも、それがやっぱり同じ被災者で残っている人も辛いんですよね。その作業すること。「皆やっているからやるけれど、本当は自分たちだって嫌だ」っていう思いをもつと思うんですよね。

そういう生きにくさっていうのがもの凄く深まっています。まあ、食べ物についてもそうですし除染についてもそうだし、避難とか保養についてもそうだし、あの、地元に残っている人たちの間で、避難とか保養とか放射能に関する怖さとかそういうことを口にすることが、凄くしづらくなっているというような状況があって、人々の分断っていうのが本当に微に入り細に入り、色んなところに知らないうちに放射能が入り込んでいるのと同じように、その分断が入り込んでいるっていうそういう感じが、もの凄く今、しています。

そしてやっぱり一年たって、上滑りっていうか、内実のない復興だけで「復興!復興!」って騒がれるので、皆やっぱりそれをしなくちゃいけないんじゃないかっている思いになるわけですね。で、この間、びっくりしたんですけれども、栃木県の中学生がいわき市の瓦礫の片付けにボランティアに来たっていう、20人ぐらい来たっていうのがテレビのニュースで流れていたんですね。本当にびっくりしました。

いわき市っていうのは、原発から南に30キロから50キロくらいの間にある大きな市なんですけれども、そこが本当にたくさんの放射性物質が降った地域でもありますし、まあ、今は線量は低くなっていますけれどね。でもん例え放射能がなくなっても瓦礫の中っていうのは沢山の化学物質であるとか、アスベストとかそういうものがあると思うんですね。そういうものを復興という名のもとに中学生に瓦礫の片付けをさせるという。子供たいは何かしたいという思いで多分、来ると思うんだけれど、本当に大人のすることをさせていいんだろうかということを感じました。

で、皆でやはり1年くらいたって、色んなことを常に常に選択を迫られているので、疲れてくるんですね。そして、次第にもう放射能に対する警戒を不図、手放したくなるっていう瞬間があると思うんですね。段々もう、聞きたくない、そういうことに心を向けているのがあまりにも辛くなってきているっていう、精神の限界みたいな状況に来ていると思います。

ついこの間も私の友達から、色んな保養の情報とか色々流れていましたけれど「もう言わないで」って言われてしまったんですね。聞きたくないっていうふうに言われて。そういうふうに今まで親しくしていた友達の間も分断されていくっていう、そういう状況だっていうふうに思います。

本当にの1年、この国がやってきたこと、そして東京電力の怖るべき無責任ぶり、そういうものに日々、傷付いて、無力感に襲われているっていう、そういうのが現実の状況だって思います。

今、福島で何が起っているのか


武藤類子

2012年12月16日、市民会議「海外からみた福島原発震災・福島から考える未来」(フクシマアクションプロジュエクト主催・於:郡山女子大)での発言

皆さん今日は。私は三春町というところに住んでいる武藤類子と申します。私の家は原発から約45キロのところにあります。で、昨年3月11日に原発事故が起 きて、福島がいったいどんな状況になっているのかということをお話ししたいと思います。ここに福島の方がたくさん会場に来ておられますけれども、皆さん一人ひとり、本当に一人ひとりに困難があった、という状況なんですね。で、そのことについて語り切れませんけれども、代表的なことをお話ししたいというふう に思います。

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これが福島原発の3号機と4号機の写真ですね。4号機がたまたま点検中でしたので燃料棒が取れて、原子炉から使用済み核燃料プールに入っていました。今、 1600本の核燃料が入っています。で、つい昨日も地震がありましたけれども、ちょっと前にも大きな地震がありましたね。この地震で、この燃料棒の入った プールがいつ崩れるだろうか、そしてこの燃料がさらに爆発しないだろうか、という不安を思っています。

それから3号機はついこの間、瓦礫の撤去作業中に鉄骨が燃料プールに滑り落ちたという事故がありました。近寄れないので、鉄骨が外に転がっています。それで、クレーンの操作を間違えて、鉄骨が入ってしまったんですね。プールの中を覗いたらさらに2本の鉄骨が入っていたということが分りました。

それから2号機の建物は壊れていな いんですけれども状況はいちばん深刻でいちばん線量の高いところが原子炉格納容器の上の部分だと言われえちます。それは73シーベルトあるそうです。73 シーベルトというのは、人が1分間そこにいたら100%死亡するという数値だそうです。生身の人間がここに入ることができるようになるためには、300年 かかる、というふうに言われています。

そこで今、1日3000人の労働者たちがいらいています。彼らは年間50mSvが線量の許容数値でし たけれども、いきなり250mSvに引上げられたんですね。夥しい被曝の中で作業をしているという状況です。そこで働いている人たちは約60%が福島県民だと言われているんですね。その人たちは仕事を失くした人や田畑で田圃を作ることができなくなって、そういう人たちが原発労働者として多く働いています。

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これは福島県内に2700個所あるモニタリングポストです。これは3ヵ月くらい前の郡山駅前、東口というところですね。0,998、約1マイクロですね。 で、こういうホットスポットが今も町の中にたくさん存在しています。もっと高いところもあります。このモニタリングポストに関して、疑惑が持たれたんです ね、これは本当に正しい数値なんだろうかということが言われていました。どうも、測っている測定値の線量と違うようだと、気付いた人たちがたくさんおられたんですね。

それでXXの人たちが測って、それからグリーンピースジャパンというところも測りました。そしたらどうも数値が低く出ているものが多い、すべてのではないんですけれども、多いということが分りました。で、どうしてなのかということで、発表されたのは、これはソーラーパネルを使った自家発電の装置なんですね。それで発電された電気がバッテリーに蓄められます。で、バッテリーというものの中には鉛が入っています。鉛で遮蔽されて、線量が低く測られているのではないかということも言われています。あとは、このモニタリングポストを設置する前に測るところだけを除染しているのではないかということも言わています。

次に、これを測定した半月後に私が同じ場所に行ったら、0,5μSvに変わっていたんですね。それで、どうしてかなっと思ったら、そこを除染したと言うことを聞きました。この広場だけを除染したということです。このように、自分たちが住む場所の空間線量という最低限の情報すら私たちは得ることができない、というふうに認識しています。

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これが早川先生という方が出しておられる早川マップというマップですけれども、非常にこの、放射線の拡散っていうのは日本中に拡がっているのですね。こうい う中でですね、福島市や郡山市っているとろは非常にたくさんの人がいるんでしけれどもとても高い線量が今だに測られています。それから、避難が義務の地域、チェルノブイリで言えば避難の義務の地域、あるいは避難の権利がある地域、というところに今だにたくさんの人たちが暮しています。子供たちもそこに家族といる、ということになっています。で、この原発事故があってすぐに、日本の国はデータを隠すことや安全キャンペーンを張って、「この事故は大したこと ないんだよ」っていうことを言い、そして数値ですね、規準値を上げるということをしました。
それによって福島県民は、もしかしたらしなくても良かったかもしれない被曝をたくさん強いられたっていうことがあるんだと思います。

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これは川内村という村です。原発から20キロくらいのところです。この村は原発事故があってすぐに全村避難ということになって、全員で避難したんですね。ところが一早く、全村帰村、帰村宣言をしたんですね。3000人くらいの小さな村なんですけれども、すべての家を建て直して戻る、ということを決めました。 これは8月に私が写した川内村です。ここで除染の作業というものが行なわれたわけなんですね。これはどういう除染かと言いますと、家のまわりを20mも木 を切って、それから敷地の中の木を全部、抜いて、5センチも土を剥ぎます。そして新しい土を入れて整地をするという、それで終りなんですね。それで1軒めを除染して次々とやっていくと、10軒くらいまでいくと、最初にやった家がまた元の線量に上がっているということを言っていました。たまたま私の友達がこの除染作業に出ているんですけれども、そういうことを言っていました。

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これは先程の家の道路を隔てた向い側です。先程の家から出た除染ののゴミですね。土や切った木の枝などがここに入っています。これは1m20cmくらいの大 きな袋なんですけれども、ここに線量計を近付けたら4μSvありました。こういうものが今、福島県中にたくさん置いてあります。これを山の中の村では、こうして仮置き場にするところもあるんですけれども、町の中ではちょっと大変です。置くところがありません。だから家の、家から除染されたゴミは、自分のうちの庭で穴を掘って、そしてそこに埋めて土を被せる、またはブルーシートを被せただけっていうところも中にはあります。

で、今、1年と9ヵ月経ったわけなんですけれども、今だに放射線というのは原発から毎日、1000万ベクレルですね、放出されていると言われています。この間、こういうこと がありました。農業試験場というところで、大根を測ったんですね。まったく放射能の出ない大根を測ったんですけれども、それを切干し大根にしたんですね。 切って外に干しました。そしたら、3000ベクレルになったということを発表しました。だから放射性物質はまだまだ私たちのまわりにたくさんあるっていうことですね。数字にもなっているということですね。

そして、約1年経った頃から、福島では「復興」ということが言われ始めたんですね。先程、佐々木慶子さんがおっしゃっていましたけれども、子供たちを復興のシンボルにしています。例えば、子供の参加するマラソン大会とか、スケッチ大会が外で行なわれるようになり、それから学校の外に出る制限時間が解除されました。それから外でのプールも行なわれるようになりました。それから家庭の子供たちがいわき市というところの瓦礫の片付けのボランティアに行ったということもニュースで聴きました。

それからですね、どんどん、最初に行われ た安全キャンペーンと同じようなものではなくて、もっと違った形の放射線の安全キャンペーン始められるっていうように思います。例えば、子供たちがよく行くような施設で、「正しく怖がる放射線」っていうことをやり、それから伊達市というところでICRPの第4委員会の委員長であるジャック・ロシャールという人が来まして、市民との対話集会、ダイアローグというのがありました。そうしたことがあります。

それから賠償がどんどん遅れ、それから借 り上げ住宅の新規打ち切りという案も出ているんですね。これはどういうことかと言うと、福島県民をどんどん元に戻して、ここに住まわせるという、そういうことに取り組もうという、福島県も自治体も進めているということです。他で暮す、避難をするとか、そういうことに関しては選択肢になれないような、そんな状態になっています。

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これは一昨日、行なわれたIAEAの人々の福島原発の視察ですね。真ん中に天野さんがいます。私は三春町というところに住んでいますけれども、私の住んでい る町に今度、福島県が作る、環境創造センターというものができます。ここにIAEAが常駐することになっています。約60億円を使ってこの環境創造センターを作るそうなんですけれども、ここに関係している人々はどんな構成メンバーでできているかと言いますと、JAEA(日本原子力研究開発機構)、それから国立環境研究所・資源環境廃棄物研究センター、日本原子力学会、それから放射線防護研究センターですね。そして日本大学と福島大学も入るということになっていますね。

その中で出てくるのは、環境放射能等のモニタリング、廃棄物処理の研究、それから情報収集、発信、それから研究交流機能っていうのがあるんですけれど、ここでは放射線の影響に関するリスク・コミュニケーション、そういうことが研究されるというふうに言われています。これに関しては、どういった形でどんなふうに行なわれていくのかっていうことに、とても不安に感じます。

先程の方もおっしゃっておられましたけれども、こうしたことが私たちにはまったく何も知らされないで決まってしまったんですね。すべてが私たち抜きで決められていくという感じがしています。で、三 春町にこの創造センターができるっていうので、福島県が三春町に説明に来るっていうことになったんですけれども、それに出席できるのは議員と区長だけで、 一般住民は入れないということなんですね。そういう中で進められていくのだ、というふうに思います。