«資料» ALARA原則の基礎と国際的発展


クリスチアン・ルフォル

欧州ALARA網議長であったCEPNのクリスチアン・ルフォルが、多分、2006年の10月に講演で上映したスライドの訳である。

国際レベルで樹立されている放射線防護の規準

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放射線の病理的効果

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確定的効果の管理
閾値モデル

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確定的効果の管理:
予防原則

★線量/効果の関係は閾値があり、確立されている。
★規制は簡単に実践できる
★限度値は個々人にとって、確定的効果が出現しないという保証になる

目の水晶体で150 mSv/年
皮膚、体表で500 mSv/年

偶発的、または確率的効果

★被曝した人たちに癌罹患率の増加が見られる
★被曝した人たちのうちの誰が放射線起源の癌になっていくかは、予測不可能
★その結果、放射線による癌を、そうでない癌と見分けることも不可能

放射線起源の癌をしっかりと明確化するには、10〜30年の経過観察が必要:

★被曝線量が1Svなら1000人が発症
★被曝線量が1/10Svなら数万人が発症
★被曝線量が1/100 Svなら10 000 000 人が発症

ヒロシマ、ナガサキの健康への効果

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偶発的効果に関連した危険度の構成

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低線量の偶発的効果にとっての、線量/効果の関係

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予防原則

不確かなものを管理するうえでの倫理的態度
社会的責任性への配慮
行動の原則。その目指すところは:
★新しい知見の獲得に利するような、被曝/危険度の関係構築
★危険度を合理性の岸辺内に保持する
★危険度の公正な配分を保証する
★防護のための社会的資源を考慮する

偶発的効果への危険度
(ICRP60号:生涯)

癌による死亡の危険度: 27,5 %
1Sv毎の危険度の増大:
__労働者にとっては:4%
__一般人にとっては:5%
癌に関連した寿命の縮小: 16年
1人Svあたりの寿命の縮小: 〜1年

偶発的効果への危険度

名目上の確率の諸指数

被曝した人々 致死性癌(加重値) 非致死性癌(加重値) 遺伝的効果 総数
労働者 4,0 0,8 0,8 5,6
一般 5,0 1,0 1,3 7,3

★就業年齢の全期間(35年間)、20mSvの被曝をし続けた労働者は700mSvほどの蓄積になる。
★この数値は、放射線起源の癌による死亡の危険度にして2,8% に相当する。

集合的線量

被爆者数 個々人の線量 個々人に余分に生じる危険度 人口あたり危険度 人口あたり線量
100 1 Sv 4/100 4人が癌 100人Sv
1 000 0,1 Sv 4/1 000 4人が癌 100人Sv
10 000 0,01 Sv 4/10 000 4人が癌 100人Sv

_____労働者に対しては、1Svあたり4%として、閾なしの直線的関係を想定

★被曝した個々人の線量の合算
★人×シーベルト(人Sv)で表わす
★総人口に対する潜在的損害に翻訳される
★総体的な危険度の評価(危険度の指標)を見積れる
★防御行為の成績の指標
★個々人の線量水準や、その他の確定的要素を常に考慮に入れていくことが必要

3つの原則

責任ある危険の管理に向けて

★実践の正当化
★防護の適切化
★個々人の被曝の限定

実践の正当化

期待される利益 > 健康上の損害

防護の適切化

経済的社会的諸要素を考慮に入れたうえで、合理的に可能な限り低く
(ALARA)

危険度の受け入れ可能性のモデル
(フレデリク・ロベルによる)

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線量限度の迷走的な解釈と適用

★限度値は、安全と安全でないこととの境(これ以下なら害はないという閾)ではない
★限度値は、線源にではなく、個々人に適用される
★線量限度は、介入の状況(実際にある諸状況)には適用されない
★線量限度は、患者個人の利益のために意図的に放射される医療被曝には適用されない

限度値の法的地位

★超過=違反
★雇用者/事業者に分有される責任
★基本的な責任者は雇用者

ALARAの法的地位

★限度の遵守のように、「義務的」
★しかし….手段の義務であり、結果の義務ではない
★ALARAの作動に向けて、態度ないしは行動を採る無条件の「責任」が全員にある。
★予防からは「目標」が出てくる
★….それに対して異を唱えるのは、法的に不可能
★事業者と雇用者とに分有されるべき責任
★事業者: 「適切化された労働の諸資材と諸条件」を、労働者たちが使えるようにする責任
★雇用者: 自分のところの人員の被曝量を前もって見積っておく共同責任
★事業者: 原則を適用しなかった場合の、事後的基本責任

ALARA : 先取りしながら事を運ぶ

★合理的に可能な限り、危険を低く抑え続けることには、先取り的な態度の採用が必然的に伴う。その結果として:
__個々人の、そして集合的な被曝を予測し、明言しておく
__被曝を軽減するための行動を計画しておく
__「合理的」と判断される行動をとり続ける
★ALARAの遂行手続と、決定への援助用具(80年代); 人シーベルトの貨幣価値
★原子施設内でのALARAの諸プログラム(90年代)
__役者たちの巻き込み
__用具(DOSIANA, VISIPLAN; RWP; …)
注:DOSIANAは線量データベースの名称、VISIPLANはALARAの一部として行なわれている線量アセス・プログラム、RWPは高線量域での労働許可
__遂行手続
____・定式化の諸水準
____・REX

ALARA : 役者間での妥協

★被曝を合理的に可能な限り低く維持するために、合理的に実行可能で、また実行されなければならないもの
★集合的危険、そして個人的危険への償いという用語での目標設定
★危険への公平な償いに適したものになるような、 危険の在処の移転
★目標への到達に向けて備給可能な資源

国際ALARA網

★10年来、欧州にALARA文化を促進するための網作りと、REX交換の必要性
★EAN(欧州ALARA網)
__講習会
__ALARA手紙
__下部網
__調査
★様々な立場の関係者に追守される勧告
★意志と熱情
★柔軟性
★共同の解決
★RECAN…東南アジア 注:RECAN=欧州中央アジア地方ALARA網
★EMAN (環境モニター・アセス網)

将来の規制: ICRP放射線防護体系の発展

ICRPは数年にわたる聴聞の手続の後で、放射線防護体系を定義し直す新しい勧告書を2007年に発表した。
限度値は変更なし
正当化と適切化とを、中核的原理として再明言
集合的線量の誤った使用への批判
強制の概念の強化

将来の規制: 欧州規制の発展

放射線防護基本法規(BSS)を定義し直す、数年以内での新しい政令化
限度値は変更なし
正当化と適切化とを、中核的原理として再明言
すべての被曝(患者を含む)を包括する単一の政令
屋外労働者の政令のBSSへの包括

危険なALARA原則


ロジェ・ベルベオク

「放射線防護と原子力法制」(1998年)より

ICRPはたいへん早くから、労働者たち、あるいは一般の人たちが受けている、ないし受けるべき線量を「適正化」する重要性を認めていました。放射線が健康にとって危険であると考えるのならば、線量はもっとも低い水準にまで低下させるべきだと、但し書き無しに望むのが、健康防護の正しい論理のはずです。1950年にICRPは実際に、被曝を「可能な限り低い水準に」まで低下させることを勧告していました。遺憾なことに、委員会はこの「可能な限り」というのがどの程度なことなのか、明確にはしませんでした。物理的に可能な限りなのでしょうか、それとも、経済的に可能な限りなのでしょうか?二律背反は後に解決されることになります。

1977年にICRPは«合理的に達成できる限り低く(As Low As Reasonably Achievable)»、ALARAの原則を導入しました。放射線防護が高くつくからと言って、ある程度の高さの線量を受容させ、人々を癌による死に追いやるのは«合理的»でしょうか? 何人分かの死を避けるために、原子力産業に莫大な支出を余儀なくさせて、その発展を脅かすのは合理的でしょうか? ICRPは、こういう生の言葉使いで問題を提示していませんが、彼らが言いたのは、要は原子力産業を維持しようということで、そうすることで社会に利益があるというのが、大前提になっている一方、それが成り立つ条件を超えてしまえば、社会的に何らかの問題を生じさせることになるかのように言っているのです。

ICRPの論理は、諸個人(労働者も一般の人たちも)の放射線防護の改善に必要な金銭が、社会防衛の別の領域で使用されればより有益で、より多くの人たちを防護することになるのだ、というのならば、正当化されます。単純な議論で、結論も単純です: 原子力事業者が放射線防護を増やさないことによって節約できる金銭は、社会的な防護の予算に注ぎ込まれるわけではありません。その金銭は事業者の会計に入ったままです。

ICRPが«原価/利益»分析に基いて線量水準を定める提案をする時、それは何を意味しているのでしょうか? 何を含意しているのでしょうか? 諸個人を防護するには費用がかかることを意味しているのですし、そこから期待している利益というのは、被曝による死者が最小であるということです。誰にかかる費用でしょう? もちろん、事業者にかかるのです。 誰にとっての利益でしょう? 諸個人のです。この天秤を支えるには、何か第三の勢力が必要なのは疑いありません。最適化を事業者の手に委ねるのならば、結果は始めから分り切っています。この分析は何を含意しているでしょうか? 2つの違った大きさの間に等式を成り立たせるには、それぞれの大きさを共通の単位で測らなければなりません。費用は金銭的な費用の物差で測られます。利益はどうでしょう? 幾人かの人たちの命、あるいは死をどうやって、そしてどういう単位で測ることができるでしょうか? 数学的に分析するのであれば、諸個人の命(あるいは死)が金銭の単位で測られない限り不可能です。人ひとりの命は幾らにつきますか? これこそが、«原価/利益»適正化というシニカルな考え方が論理として含意しているものです。

声明へのこういうアプローチから、«あなたの命は、幾らだとお考えですか?»という類の主観的な判断規準に入り込まずに生命を見積るための、«科学的»な活動が一山、導き出されるわけです。生命と死を扱う技術者階層の飯の種となる一方で、専門家の大会も開かせることになる、猥褻な研究です。この研究は«人=シーベルトの金銭的費用»という名であり、そこではシーベルトが癌その他諸々の«傷害»を表象しています。

この主題で書かれものは山のようにあるわけで、私たちの社会の合理的思考の倒錯が、どこまで達しているかを示しています。